ある外国人ジョッキーが、賞金の一部を寄附するようになった若い馬とのちょっと素敵なエピソード
思わぬ反響があった逸話をここで改めて紹介
今夏のワールドオールスタージョッキーズ(以下、WASJ)を優勝したユーリコ・ダシルヴァ騎手。彼の生い立ちや人生そのものに大きな影響を及ぼした若駒との出会いをある競馬雑誌で記したところ、思った以上に多くの反響をいただいた。せっかくなのでたくさんの人にその素敵なエピソードを知っていただきたく思い、記事を再構築し、ヤフーニュースで記させていただくことにした。
ブラジル生まれの彼の生い立ち
現在、42歳。奥様と5歳の男の子、1歳の女の子の4人でカナダで暮らすダシルヴァだが、元々はブラジル、サンパウロにあるブリという街で生まれた。
「人口2万人という街で、僕の家は決して裕福ではなかったからテレビもなかったんだ。だからテレビを観るために叔父さんの家まで行っていたんだ」
叔父は牛を飼う牧場をしていた。そこでダシルヴァ少年はポニーに乗って牛を追い、カウボーイのようなことをしていた。そんなある日、テレビに映った競馬を初めてみた。
「ポニーに乗るのは楽しかったし、競馬をみた時にすぐ『ジョッキーになりたい』って思ったね」
まずはクオーターホースのレースに乗るため12歳で家を出た。16歳になるとサンパウロにある競馬学校を受験。70人中合格は僅か6名という狭き門を突破した。
かの地のシステムは生徒として動画みたりという授業を受けながら厩舎作業をし、同時に見習い減量騎手として実戦にも参加するというものだった。
「4キロ減でスタートし、勝ち数に応じて減量がなくなっていきます。最終的に70勝できると減量がなくなり、正式に騎手デビューできるのですが、僕の同期で70勝に達したのは結局、僕1人でした」
しかもそれを僅か11カ月でクリアしてみせた。
ところが減量がなくなると騎乗依頼が激減。乗り鞍が減ったことで当然、勝ち鞍も思うように伸びなくなった。そんな時、ある馬の騎乗依頼が舞い込んだ。
「気性難でベテラン騎手が乗りたがらない馬でした。でも、自分はチャンスが欲しかったから『どんな馬でも乗ってみせます』と言って乗ったんです」
フランスボーストというその馬とのコンビで勝ち上がると、ブラジルのダービーに挑むまで出世。
「結果、ダービーを勝つことができました」
これによりブラジルでの地位を不動のモノにしたが、彼は更なる飛躍を求めた。
辿り着いた地・カナダで一気に花開きついに今夏のWASJに選出
主戦場をマカオへ移動。さらに2004年には名騎手の集うアメリカ・東海岸へ移籍しようと考えた。
「ニューヨークで乗ろうと思い、向かう途中で寄ったカナダで衝撃的な出会いがありました」
トロントにあるウッドバイン競馬場へ寄ると、「その美しさに魅了された」のだ。
そこでカナダに移住。ウッドバインを主戦として乗り出した。
「しばらくしてテコンドーのトレーニングを取り入れるようにすると、集中力が増して、勝ち星も増えていきました」
08年には年間100勝を突破すると、翌09年はダービーにあたるクイーンズプレートを勝利。さらに翌10年はクイーンズプレート連覇など190勝を挙げてリーディングを獲得。以降、毎年リーディング争いを演じ、時には200勝オーバーでその座を獲得するまでになった。
こういった活躍が認められ、今年のWASJにカナダ代表として選出された。すると、最終第4戦で見事にJRA初勝利を決めると共に同シリーズの総合優勝も飾ってみせた。
「日本の皆さんはとても親切だし、食事も美味しくて、ここに来られただけでもハッピー。しかも僕のヒーローであるユタカタケに勝って優勝できた。こんな嬉しいことはないね!!」
賞金の一部を寄附するようになったちょっと素敵なエピソード
そして、優勝賞金の一部は引退した馬の余生のために寄附します」と語った。
そこでそのような活動はいつからしているのか?と改めて問うと、ある素敵なエピソードを教えてくれた。
「以前、自分の騎乗していた3歳馬が、故障して、馬主からは『予後不良で仕方ない』と言われました。でも、若い馬だから競走馬としての復帰は無理でも、命は助けてあげられないか?と言うと、1人の獣医師が立ち上がってくれたんです」
その獣医師が手術した結果、若駒は一命をとりとめた。
それから5年後、ダシルヴァはある女性に声をかけられたと言う。
「『私が誰だか知っている?』と言われたけど、知らない人だったから『分からない』って答えたんだ。そうしたら彼女はこう言ったんだ。『あの時の3歳馬を手術した獣医が私よ』って……」
獣医師はオーラという名の女性だったのだ。
「彼女とは今でも一緒にあの時の3歳馬を牧場に訪ねているんだ」
そう語るダシルヴァに、その女性獣医師とは今でも親交があるのですね?と改めて聞くと、彼は答えた。
「もちろんさ。だって、彼女と僕の間には2人の子供がいるからね」
そう、当時の女性獣医師こそ、現在のダシルヴァの奥様なのであった。
「僕たちは馬のお陰で素晴らしい人生を送れています。だから人を愛するように馬を愛するのは当然のこと」
賞金の一部を引退馬に寄付する理由を彼は笑顔でそう語ってみせた。
(文中敬称略、撮影=平松さとし)