【光る君へ】藤原氏の全盛を築いた影の実力者・黒幕(ラスボス)とは?(相関図・家系図)
NHK大河ドラマ『光る君へ』。世界最古の女性文学『源氏物語』の作者・紫式部(演:吉高由里子)と、平安時代に藤原氏全盛を築いた藤原道長(演:柄本佑)とのラブストーリー。
これまで「史実と違う」と散々叩かれて来た大河ドラマ。特に昨年の『どうする家康』で徳川家康の正室・瀬名が「戦のない世」をつくるために奔走したという「ファンタジー」は賛否両論。ネットでも激しい議論となった。
しかし、今回の『光る君へ』は従来とは異なる様相を呈している。
◆史実と違う「ファンタジー」が許される「説得力」
やや歴史をかじった人なら「(おそらく)紫式部と清少納言(演:ファーストサマー・ウイカ)は会ったことがない」といわれていることは周知の事実だが、『光る君へ』ではそれをガン無視して2人を親友のように描く。
さらに先週は、手に枝をもって庭に隠れながら定子(演:高畑充希)の様子をうかがう2人の姿が描かれた。まるでコントである。しかも、そのコントの直後に思い余った定子が自ら髪を切り落とす(出家)という「悲劇の始まり」が描かれる。
その流れが自然だから、視聴者は納得してしまうのだ。
父・為時(演:岸谷五朗)の昇進についても、諸説がある中から、「越前では為時の漢詩の才が生かせるから」という説を採用している。
あくまでも道長は「為時の才を認めた」から、越前への配置換えを決めたのであり、「まひろの頼み」だから聞き入れたわけではない。
それでも申文(もうしぶみ)の文字を見て「もしや」と文箱の懐かしいまひろの筆跡と見比べてしまう道長。彼の想いがあふれるあたりは、たまらない。しかも勘の鋭い奥方の倫子(演:黒木華)が後ろに!!
つづきが気になるところだが、ここから先は話題を変えて、タイトル通りの「黒幕」とは誰なのか?について書いてみたいと思う。
その前に家系図でザッと関係を見ておきたい。
◆伊周と隆家は本当に道長や詮子を呪ったのか?
◎「わたしにお任せください」倫子の笑顔の裏の秘密とは?
先週(5/19)もさまざまな事件があったが、その中でもネットで物議をかもしたのが、「詮子呪詛事件」だろう。道長の姉・詮子(演:吉田羊)が病に臥せっている。「悪しき気が漂っておる」と女房や下男たちに屋敷内を調べさせる道長の妻・倫子(演:黒木華)。
厭物(いやもの=他人を呪う物)が出てくる、出てくる。床下などだけでなく、当の詮子が眠る部屋の調度品の中からも。一つや二つではない。
「それはもしや、伊周らの手の者がこの屋敷にも入り込んでいるということか」愕然とする道長。しかし、倫子には考えがあるようである。「この屋敷で起きたことはわたしの責任。わたしにお任せください」
むむむ?何やら微笑んでいる?…これはもしや、詮子の自作自演か?それとも?
◎呪詛が周知の事実に?
倫子にすべてを任せて道長が出仕すると、なぜか女院呪詛の件は、すでに検非違使別当(警察組織の長官)の藤原実資(演:秋山竜次)の知るところとなっており、一条天皇(演:塩野瑛久)の耳にも入ってしまう。
伊周が祖父である高階成忠に命じておこなったとされ、女院だけではなく、右大臣(道長)も呪詛されたという。
その上、法琳寺(※)において天皇家以外には許されない呪術・大元帥法を行ったと聞き、一条天皇は激怒。(※かつて京都に会った寺。現在は廃寺)
「女院や右大臣を呪詛するとは、朕(ちん:天皇の一人称)を呪詛したも同じ。身内といえども許せぬ。厳罰に処せ」
こうして、道長の思惑とは別に、どんどん事件は進んでいく。一体誰が、女院を呪詛したことを広めたというのか?
◎伊周と隆家の呪詛は本当だったのか?
ドラマでは、詮子の自作自演だと見抜いた倫子がすべてをうまく取り繕うことを示唆していた。しかし、おそらく詮子は一枚上手で、すでに実資に伝わるようなルートを確保していたということだろうか。
さて、伊周と隆家が本当に詮子や道長を呪ったのか?といえば、史実においても限りなくグレーのようである。
法琳寺で大元帥法をおこなったことは、寺からの密告によって発覚したが、誰を呪っていたかまではわかっていない。実資の日記『小右記(しょううき)』によれば、道長の屋敷から厭物が出てきたのも確かである。でも誰の仕業かはやはりはっきりとはしていない。
ただこの二つを結び付けて考えるのは、当然の流れというべきだろう。(そもそも、臣下が大元帥法をおこなうこと自体が大罪である)
◆事件の背景にいた女性たち
◎諸悪の根源「道長」説
ドラマでは道長はあくまでも「人道的な人物」として描かれるが、歴史の上では「道長の陰謀」だとする説は根強くある。
その理由としては、ドラマの中では描かれていないが、伊周や隆家は道長に数々の嫌がらせをしたといわれているのだ。道長の従者が、隆家の従者に襲われて殺害される事件も起きている。
ドラマの中の道長は、安倍晴明(はるあきら:ユースケ・サンタマリア)に向かって「彼らはわたしの甥だ。わたしを呪詛したりするだろうか」と問うているが、呪詛どころか実際に身近な者が殺されているのだ。早々に手を打たねばと考えたとしても不思議ではない。
◎詮子陰謀説のもととなった中関白家との確執
伊周が失脚して一番その恩恵を受けるのは、もちろん道長である。しかし、伊周らに牛耳らせたくないという強い意志や気概を持つのは、道長よりもむしろ女院・詮子だ。
ドラマにおいて、父・兼家(演:段田安則)が、呪詛を利用して花山院を退位に追い込んだことは、視聴者の記憶に新しい。昏睡状態にあった父が、急に眼をカッ!と見開いて驚かされたのは、ほかならぬ詮子である。
呪詛も病をも政治に利用した父。そんな父を憎みながらも、父の血を色濃く引く「策士」である詮子。彼女が父同様に呪詛や病を利用しようと考えるのも納得できる。
振り返ってみると、父・兼家の存命中、詮子にはほとんど発言権がなかった。兄である道隆(中関白家)の代においても、さほどの力はなかったのだ。そんな彼女を甘く見て、一条天皇の寵愛深い定子を介して天皇を取り込もうとしたのが、伊周たちである。
一条天皇を囲んで道隆家族が団らんし、詮子を蚊帳の外においても、彼女は不愉快な顔を見せることしかできなかった。伊周が彼女を馬鹿にした発言をしても、言い返すこともできなかったのである。
◎道隆亡き後、政治はすべて詮子の思い通りに
道隆一家への彼女の憤り、恨みはよほどのことだったのだろう。史実においても、彼女が牙をむくのは兄・道隆の死後、事実上の最高権力者になってから。伊周を退けて道兼(演:玉置玲央)、道長兄弟を執政者の座に就けたのは、ドラマでも描かれた通り、彼女の意向である。
特に道長を推す際に、息子である天皇の寝所に乗り込んだことは歴史書『大鏡』にも記載がある。ドラマでは涙ながらに「わたくしのことなど、どうでもよいのです!」と訴える吉田羊さんの鬼気迫る演技が話題となった。
なぜそこまで詮子は道長に肩入れしたのか?少なくとも道長なら、自分抜きで天皇に取り入るようなことはしないと考えたから、ではなかろうか。
◎志を同じくする同士・詮子と倫子
今回の呪詛事件の黒幕は誰なのだろうか?
①伊周・隆家兄弟が実際に呪詛した
②道長の陰謀
③詮子の自作自演
④詮子と倫子の結託による
どれも可能性がありそうだ。④ももしかしたら、まったく可能性がないわけではない。
考えてみると、詮子の起こした(かもしれない)呪詛自作自演事件は、倫子にとっても「渡りに船」、道長を出世させるためには「好都合」なことだった。倫子はむしろ詮子に協力的だったとしてもおかしくはない。
詮子は当時、倫子の土御門殿に同居していた。そのお礼の意味もあり、道長や彰子へのバックアップには力を惜しまなかったのだろう。のちに一条天皇に入内する彰子の格を上げるために、母である倫子に従三位の地位を授ける根回しまでおこなった。
詮子と倫子は、自分たちの生き残りをかけて、道長という一人の男を頂点につけるための同士だったのである。
(5/26 23:00追記:ドラマの上ではどうやら、詮子一人の自作自演だったようである。「女院様と殿のお父上は仮病がお得意だったとか」と笑顔で詮子を皮肉る倫子、無敵!)
◆「寛和(かんな)の変」の影にも詮子あり?
◎花山天皇をだまして出家させた大事件の黒幕は兼家か?
もう一つ、詮子が黒幕だったかもしれないとされる事件がある。
「寛和の変」とは、ドラマ序盤で盛り上がった、花山天皇が出家・退位に追い込まれた986年の政変のこと。この事件の実行役は道長の兄である道兼、黒幕は父の兼家だといわれている。
花山天皇を誘い出して出家させたのは、道兼と、厳久(げんきゅう)という僧である。この厳久は、花山天皇が出家した元慶寺(花山寺)の僧侶で、それまでの出自は不明。しかし寛和の変以降は驚異の立身出世を遂げる。
実資の『小右記』によれば、この年厳久は、兼家主催の法華八講の講師となり、僧侶として出世することが約束された。
◎寛和の変が起きて一番得をしたのは誰か?
注目すべきは、厳久が最初の別当となった慈徳寺は、詮子が建てた寺院だということ。さらに、詮子が出家したときに戒を授けたのも厳久である。
このつながりから、寛和の変の父や兄たちの裏で暗躍する詮子の姿が見えて来そうである。この事件の黒幕が兼家だとされるのは、花山天皇が退位すれば一条天皇が即位して、自らが外戚となれるから。
しかし、詮子は国母(こくも)になれるのである。天皇の子を産みながら中宮になれなかった詮子にとって、皇太后となることは悲願だったのではないか。事件の黒幕ではないにしろ、彼女がこの事件にかかわった可能性は高い。
◎詮子がモデルとなった光源氏の「宿敵」とは?
ところで、彼女をモデルにしたとされる人物が『源氏物語』に登場しているのをご存じだろうか。それはあの源氏の宿敵・弘徽殿(こきでん)の女御(のちに皇太后)である。
光源氏の母・桐壺更衣をいじめ殺しただけでは飽き足らず、源氏を須磨に追いやった恐ろしい女性。皇子を産みながら中宮になれなかったことなど、確かに詮子と弘徽殿の境遇は似ている。
詮子にとって、伊周を追い落とすために狂言を仕掛けることなど、たやすいことだったのかもしれない。
(イラスト・文 / 陽菜ひよ子)
◆主要参考文献
フェミニスト紫式部の生活と意見 ~現代用語で読み解く「源氏物語」~(奥山景布子)(集英社)
ワケあり式部とおつかれ道長(奥山景布子)(中央公論新社)
紫式部日記(山本淳子編)(角川文庫)