ホロコースト時代にドイツからアメリカの息子に送った手紙を元に米国の高校で舞台化
検閲下のドイツからアメリカの息子へ「希望を捨ててはいけません」
第二次世界大戦の時に、ナチスドイツが支配下の欧州で約600万人のユダヤ人を殺害した、いわゆるホロコースト。米国のネブラスカ州リンカーンに住むケン・ワルド氏の両親はホロコーストの生存者で、ナチスドイツ時代にナチスからの迫害から逃れてドイツからアメリカに渡って来た。
ケン・ワルド氏の父はドイツ名ではハインズ・シェーンヴァルドだったが、アメリカに来て英語のヘンリー・ワルドに改名して、ネブラスカ州のユダヤ人コミュニティで生活していた。だがケン・ワルド氏は彼の祖父のことは知らなかった。ワルド氏は「幼い頃、祖父や祖母について尋ねても沈黙がありました。何があったのか誰も語りたがりませんでした。私たち子供のことを怯えさせたくなかったのでしょう。両親たちも自分達の人生を生きるのに精いっぱいでした」と語っていた。
そして1986年にワルド氏の父が他界して、遺品を整理していたら、ハインツ・ワルド氏の父に宛てた手紙が出てきた。その手紙を振り返ってワルド氏は「棚の中にある分厚いフォルダーの中から古い書類が出てきました。見てみると、ほとんどがドイツ語で書かれていました。1930年代後半から1941年、42年ごろまでの手紙でした。私も兄弟もアメリカ生まれなのでドイツ語はできませんでした。でもこれらの手紙が祖父と祖母が父に宛てた手紙であることは理解できました」と語っていた。
「祖母は手紙の中で、"希望を捨ててはいけません。あなたに起きる全てのことを楽しみなさい。父と私は暖かい春の日に長い道を歩くことを楽しんでいます"といったことを書いています。当時はドイツからの手紙は検閲されていました」とワルド氏は語っていた。
ワルド氏の祖父はお店を経営していた。「彼らはユダヤ系というだけで普通のドイツ人でした。彼らは決して自分達の環境を嘆いたり、後悔していませんでした。彼らはドイツを去ることができませんでした。キューバのビザを取得しましたが、ナチスドイツがユダヤ人の脱出を禁止しました。私は正確には知りませんが、祖父母はソビブルの絶滅収容所で殺害されたようです」と語っている。
手紙を元に地元の高校では舞台で演劇になってホロコーストを伝承
そしてケン・ワルド氏は地元のリンカーン高校の教員のクリストファー・メリー氏に、その話をしたところ、メリー氏がワルド氏の祖父母の手紙を元に舞台劇「壁の上のゴースト(Ghost on the Wall)」という舞台の脚本に書いて、学生らが演じて、ワルド氏の祖父母の物語を演劇で伝えている。
メリー氏は「ホロコースト時代に多くの人が殺害されました。でも彼らの声はもう届きません。このような貴重な手紙があるので、ホロコースト時代の歴史を後世に伝えていきたいと思います。二度とホロコーストのような悲惨な歴史を繰り返してはいけません」と語っていた。また学生は「ホロコースト時代がとても身近に感じました」と語っている。
ホロコースト生存者ら歴史を伝える記憶のデジタル化
戦後70年以上が経過しホロコースト生存者らの高齢化も進み、多くの人が他界してしまった。当時の記憶や経験を後世に伝えようとしてホロコースト生存者らの証言を動画や3Dなどで記録して保存している、いわゆる記憶のデジタル化は積極的に進められている。また、ホロコーストの犠牲者の遺品やメモ、生存者らが所有していたホロコースト時代の物の多くは、家族らがホロコースト博物館などに寄付している。
欧米では主要都市のほとんどにホロコースト博物館やユダヤ博物館があり、ホロコーストに関する様々な物品が展示されている。そして、それらの多くはデジタル化されて世界中からオンラインで閲覧が可能であり、研究者やホロコースト教育に活用されている。いわゆる記憶のデジタル化の一環であり、後世にホロコーストの歴史を伝えることに貢献している。今回のホロコースト時代のナチスドイツ政権下のドイツで迫害されているユダヤ人の両親からアメリカの息子に宛てられた手紙も当時の様子を知る貴重な歴史的証言の1つだ。