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ダブルのオコエ選手に偏見ダダ漏れの差別記事、現実に対応するための「知」の実装が急務

韓東賢日本映画大学教員(社会学)
夏の全国高校野球、走攻守で活躍した関東第一のオコエ瑠偉選手(写真:岡沢克郎/アフロ)

「真夏の甲子園が、サバンナと化した」???

8月6日に開幕し、予定通りに進めば本号発売前日の20日に決勝戦が行われ閉幕する予定の、第97回全国高校野球選手権大会。これを書いている本日16日には3回戦が行われ、明日の準々決勝に進むベスト8が出そろったところだ。そのうちの1校、東東京代表の関東第一高校には、ナイジェリア人の父を持つオコエ瑠偉外野手(3年)がいる。

オコエ選手は、11日に行われた2回戦(高岡商に12-10で勝利)で、俊足を生かした攻撃と走塁で1イニング2本の三塁打を含む4打数3安打4打点の活躍を見せたが、これについて報じたスポーツ報知の記事に対し、人種差別的だという批判が相次いだ。「野性味を全開させた」、「真夏の甲子園が、サバンナと化した。オコエは本能をむき出しにして、黒土を駆け回った」、「味方まで獲物のように追いかけた」、「飢えたオコエが、浜風をワイルドに切り裂く」などと表現したことに対して、である(ネット版の記事はその後、理由を明らかにされないまま削除された)。

賛辞であっても悪意がなくても他者化であり差別

父親をナイジェリア人と明記したうえで、記者の(そして少なくない日本人の、おそらく無意識の)偏見にもとづいたアフリカのイメージ――サバンナや野生動物――と結びつけてオコエ選手を形容するのは、それがいくら活躍への賛辞であっても、一種のオリエンタリズムであり、(人種)差別にほかならない。悪意がないからといって許されるものではないし、メディアの報道ならばより慎重であるべきだ。

授業などでも強調することだが、古典的な差別である序列化(見下し)、そして差異化(遠ざけ)に比べて、平等を装った同化(無視)や、むしろ配慮したりその価値を称揚する同情や美化(特別扱い)が、たとえ悪意がなく、無意識的にでも、他者化や客体化、蔑視、要は差別につながってしまうこともある、というのはなかなか理解しにくい。とはいえ今回のケースはそれ以前の、典型的な他者化であり、序列化につながる明白な差別だと言える。

周回遅れの「多文化主義なき多文化社会」

最近、ミスユニバース日本代表の宮本エリアナさんが話題になったが、バレーボール女子日本代表の宮部藍選手をはじめ、インターハイの陸上ではサニブラウン選手やエドバー・イヨバ選手が注目され、バスケットボールではオコエ瑠偉選手の妹のオコエ桃仁花選手の活躍が報じられるなど、スポーツ界を中心に黒人系ダブルの若者たちが台頭し、一気に可視化している印象がある。そして今回のような、ほめているつもりで偏見ダダ漏れの著しい他者化、典型的な序列化になってしまうタイプの差別表現は、とくに「日本人らしい」ルックスからかけ離れた、語弊を恐れずに言えば見た目的に「明らかに同化しえない」対象に直面した際に出てしまいがちのように見える。

日本は「多文化主義なき多文化社会」だとつねづね言ってきた。周回遅れを取り戻せなくても、少なくとも現実に対応するための「知」の実装が急務だろう。

(『週刊金曜日』2015年8月21日号「メディアウォッチング」)

日本映画大学教員(社会学)

ハン・トンヒョン 1968年東京生まれ。専門はネイションとエスニシティ、マイノリティ・マジョリティの関係やアイデンティティ、差別の問題など。主なフィールドは在日コリアンのことを中心に日本の多文化状況。韓国エンタメにも関心。著書に『チマ・チョゴリ制服の民族誌(エスノグラフィ)』(双風舎,2006.電子版はPitch Communications,2015)、共著に『ポリティカル・コレクトネスからどこへ』(2022,有斐閣)、『韓国映画・ドラマ──わたしたちのおしゃべりの記録 2014~2020』(2021,駒草出版)、『平成史【完全版】』(河出書房新社,2019)など。

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