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春高バレー閉幕から1か月。伝えられなかった敗者の物語と「これから」に向け願うべき変化

田中夕子スポーツライター、フリーライター
1月に開催された春高バレー。男子は東福岡、女子は就実の優勝で幕を閉じた(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

 春高バレー決勝から1か月が過ぎた。

 新たなニュースが続々報じられる中、なぜあえてひと月前を振り返るのか。理由は2つある。

 1つは、速報性を求められる中では試合の経過や勝敗の行方ばかりが重視されがちで、試合後に聞きながらその時は書けなかった話がまだまだいくつもあること。閉幕後に開催の是非が問われる大会となったからこそ、埋もれてしまいがちな春高までの時間であった出来事を伝え、記したかった。

 そして2つ目は、毎年当たり前に見て来た風景が、決して当たり前ではなかったと気がつかされた大会だったからこそ、変えるべきものもあるのではないか、と痛感させられたこと。高校生の大会だから、ではなく、春高もアスリートファーストを掲げるならば、いつまでも「今までこうだったから」と変化しないことを良しとする時代ではない。そう記すには、たとえひと月が過ぎようとまだ遅くないと思えたからだ。

心無い声にもひるまず、感染予防啓蒙活動に務めた大村工

 大会中は準々決勝が行われる3日目まで、1日に4面ないし5面で同時に試合が行われる。その中でさまざまな媒体へ掲載すべく、テーマに基づいた取材を行っていくのだが、大会3日目までは1つのコートに張り付いてひたすら試合を見て、敗れたチームの取材をする。優先順位をつけなければあっという間に試合が行われていく中、ひたすら同じコートで試合を見て、どんな選手が出て、途中で誰が入って、試合の経過はこうなって、とメモをしながら追うとあっという間に時間が過ぎる。

 勝者だけでなく敗者もその都道府県の代表で、コロナ禍でさまざまな制限や我慢、犠牲を強いられながらこの場を目指し、オレンジコートに立つべく努力を重ねて来たことに代わりはない。敗因や、これまでの時間を振り返る取材を限られた時間で重ねる中、特に印象深かったのが2回戦で敗れた大村工業(長崎)、恵庭南(北海道)、3回戦で敗れた昌平(埼玉)の3校だった。

1月10日の閉会式。無観客の中、男女優勝、準優勝校が揃う
1月10日の閉会式。無観客の中、男女優勝、準優勝校が揃う写真:長田洋平/アフロスポーツ

 大会期間中にも最後の試合に立つことすらできず会場を去ったチームもあるように、今大会の出場チームは目の前の戦う相手だけでなく、新型コロナウイルスという見えない敵とも戦わなければならなかった。

 無事大会を開催すべく、各校が徹底した感染対策を行う中、細心の注意をはらって臨んだのが今大会で11年連続18度目の出場を果たした大村工だった。

 かつて日本代表として北京五輪にも出場した朝長孝介監督が率い、卒業生をVリーグや大学にも多く輩出している。決して目立った選手はいないが、基本に忠実。ブレない姿勢を貫く同校のバレースタイルが筆者もとても好きなのだが、これまで重ねて来た経験の範疇を上回るような事態に見舞われたのが、昨夏。8月に同校バレー部の教諭が新型コロナウイルスに感染した、とニュースで一斉に報じられた。

 長崎県内の新聞やニュースに留まらず、朝長監督の現役時代の知名度もあったことや、バレーボールファンにはなじみの深いことも重なり、インターネットでも一気に拡散される。どれだけ注意を払っても感染する時は誰でもする。そうわかっていても、感染者が少ない地域では、陽性者が出たというだけで大きなニュースになり、学校や職場が特定されれば誹謗中傷にもさらされる。学校や地域に感染が広がったわけではなくとも、大村工業に向けられる視線は厳しく、時には心ない言葉が選手たちに向けられることも残念ながらあった。

 だが、その経験をマイナスとするのではなく、選手たちは自発的に感染者が出たからこそ予防することの大切さを訴えようと、毎日登校時間である8時頃から、3~4名のグループに分かれ、手洗い場で手洗いやうがい、日頃から感染予防のための地道な心がけをすることの大切さを訴えた。1人1人の地道な努力こそが感染拡大を防ぐこと。今できることは何か、と選手たちが考え、決して派手ではなくとも日々先頭に立って呼びかけることで何かが変われば、と行動した結果だった。

 その成果と言うにはあまりに安易ではあるが、結果的に感染は広がることなく長崎代表として春高出場を決め、臨んだ今大会。1回戦は勝利したが、2回戦は仙台商(宮城)にフルセットの末に敗退。涙する選手たちを労い、取材に応じた朝長監督は冷静に敗因を述べたが、3年生が取り組んできた1つ1つを振り返るうち、思わず言葉を詰まらせた。

「選手たちもいろんなことを言われました。でも、どうしてやることもできず、一緒に生活も、バレーもできなかった。我慢しかできない中、それでも選手たちは諦めず、自発的にできることをしようと頑張ってくれた。こうして出場権をつかみ、この場で戦えるチームになってくれたことを、感謝したいです」

 涙を拭い、言葉を絞り出す。現役時代も見たことがない姿だった。

恵庭南、米づくりの前に「最高の親孝行」

 無観客開催の今年、開場入りできる選手、スタッフの人数も限られていたため、家族だけでなく共に戦ってきた仲間も同じ場所で応援することもできない。さまざまな思いや約束を交わしながら挑んだ、3年生たちにとって最後の春高。多くの選手たちが直接その場で見てほしかった人たちへの感謝も込めてプレーする中、ほぼ唯一の例外となったのが、北海道代表として2年連続三度目の出場を果たした恵庭南の記虎新太主将だ。

 小学校からバレーボールを始めた記虎主将の、最初の指導者は母の友美さん。当時から監督と選手として何試合も経験を重ねてきたが、春高でも母がコーチとしてベンチに入ることになり、記虎主将は「みんなの家族は直接見せることができない中、申し訳ない気持ちもあったけれど、自分だけは母に特別席で見てもらえているようで、高校最後に親孝行ができた」と笑う。

 小学生の頃は母と指導者という2つの接し方に反発することや、やりづらさを感じることがなかったわけではない。だが、高校に入り、全国大会に向けた練習も厳しさを増し、特に最後の1年は緊急事態宣言の発令に伴い、登校も満足な練習すらできない状況が続く中、改めて感じたのは指導者としての母ではなく、常に温かい愛情を接し、時に背中を押してくれた偉大な母の姿。

「バレーを始めてからは指導者でもあったけれど、いつもお母さんがいてくれた。小学校の頃からずっと指導してくれて、育ててくれてありがとう」

 2回戦で慶應義塾(神奈川)に敗れたが、攻守両面で存在感を発揮し、最後まで主将としてチームを引っ張った。高校でバレーボール選手としての生活は終えるため、最後に勝利をプレゼントすることはできなかったが、悔いはない。

「大学では農業を勉強して、将来は実家を継いでお米をつくります」

 また違う形での親孝行を果たしながらつくる、お米の味はどれほど特別なものだろう。ベタな言い方とわかってはいるが、取材の最後に見せた笑顔と同じくらい、輝くものになるはずだと思わずにいられない。

コロナ禍の春高。感染予防を鑑み、史上初めて無観客で開催された
コロナ禍の春高。感染予防を鑑み、史上初めて無観客で開催された写真:長田洋平/アフロスポーツ

初出場の昌平。リベロと元リベロ監督の絆

 例年と異なる春高で、初出場は男女合わせて4校。その1つが、昌平(埼玉)。すでに全国大会でも名を馳せるサッカー部や、バスケットボール部などスポーツの強豪校であるが、チームを率い、初出場に導いた掛川厚志監督は、09年まで東レアローズでリベロとして活躍した元選手でもある。

 現役時代からこだわりを持って取り組んできた対人レシーブ。指導者となってからもそれは変わらず、野球のキャッチボールと同様、バレーボールの最も基本となる練習と掲げる対人レシーブでしっかりボールを叩き、打たれたボールをレシーブし、相手に返す。言葉にすれば何でもないことのように思える基本に重きを置いてきた。練習の最初で行われることも多いことから、身体ならしとばかりに手打ちでいい加減に打ったり、レシーブも手首だけで適当に返すようなことがあれば、改善するまで終わらない。就任当時は「対人レシーブだけで練習が終わったこともあった」と振り返る。

 地道な練習と、トレーニングでの身体づくりを重視した結果、ようやく春高初出場を果たした今年、掛川監督が「今まで接してきた中でダントツ」と太鼓判を押したのが、自身の現役時代と同じリベロの互絢太郎だ。

 昨年の埼玉大会で埼玉栄に敗れた日から「自分のせいで負けた」と練習に明け暮れた。始発電車に乗って誰よりも早く学校へ来て、ひたすら基礎練習を繰り返す。一時はあまりの悔しさと不甲斐なさに「もうこのままバレーを辞めようか」と諦めかけたこともあったが、始発で登校する自分のために毎日弁当をつくってくれた母から「これが終わりじゃないでしょ」と励まされ、また頑張ろう、と始発電車に乗って学校へ行くと、ボールを打つ相手になるべく監督が待っていてくれる。それが互にとっては大きなモチベーションとなり「自分のためではなく、応援してくれる人、支えてくれる人のためにやって行こう」と奮い立たせた結果、たどり着いたのが、ずっと憧れて来た春高のオレンジコートだった。

 昌平に入って、掛川先生と全国に来られてよかった、と笑顔で話す互が、課題を克服すべく練習に励むリベロの姿を思い出し、掛川監督が涙を拭う。

「毎日毎日、必死で努力を重ねてきた姿に、力をもらったのはむしろ自分のほう。これからも成長を重ねてもっと上を目指してほしいし、自分もまた、ここへ戻ってこられるように頑張ります」

初出場で3回戦進出を果たした昌平(写真奥)。リベロの互⑥の努力を掛川監督も称えた
初出場で3回戦進出を果たした昌平(写真奥)。リベロの互⑥の努力を掛川監督も称えた写真:西村尚己/アフロスポーツ

試合順、同時開催。アスリートファーストのために変えるべきこと

 コロナ禍での開催。大会中、大会後に出場校の中から新型コロナウイルスの感染も報告された。出場校や宿泊先、会場でも万全の感染対策が行われていたが、準決勝が行われた9、10日は東京に緊急事態宣言も発動される中であり、大会の開催自体や出場した選手、チームに批判的な声が寄せられたのも事実ではある。

 確かに無観客開催とはいえ、例年通り大会3日目までは同時に4コートで試合が行われることや、開会式は選手宣誓を行う選手のみの参加であったにも関わらず、閉会式は男女優勝、準優勝校が一堂に会したこと。分散化をするならば男女を別会場、別日程にするなどもっと方法はあるはずで、閉会式に至っては女子の決勝が終わるまで男子を待機させる必要もなかったはずだ。

 さらに言うならば、例年問題とされる準決勝、決勝の試合順。準決勝は女子から先に行われるにも関わらず決勝は男子が先であるため、十分なリカバリー時間を取ることすらできない。緊急事態宣言下であることを鑑みれば今年だけを例外として3セットマッチにするなど、今後を見据えた新たな策を取り入れることもできたはずだが、原卓弘・大会実行委員長は大会終了後に取材へ応じ、準決勝の試合順に関しては考慮が必要であると述べながらも「(3セットマッチは)ルールなので簡単には変えられない」と回答した。

 すべての試合に実況、解説がつき、華やかなライトの中で行われる春高は、高校生バレーボール選手にとって憧れの場で、それは放映するテレビ局があるから為されていることであるのは紛れもない事実だ。そして、大会を開催すべく、大会運営を本業とするわけではない教員や東京都の高校生が感染対策を行いながら尽力したこと。そのすべての力に出場した選手や監督が感謝の言葉を述べていたように、それぞれができることを果たしたうえで春高は成り立つ。それも変わらぬ事実だ。

 だが、密を避けるという大前提から考えれば、大会開催の会場を1つに限定するのではなく複数にする。日時に余裕をもたせる。男女で開催期間を分けるなど、考え得る方法はあり、コロナ禍に限らず、今後を見据えれば論議すべきことではないだろうか。

 3回戦と準々決勝が同日行われること。準決勝を終えて24時間も経たぬ間に決勝へ臨まなければならないこと。若いから、高校生だから、で片づけるのではなく、誰が見てもおかしいと感じる課題を、いつまでもそのまま「これまでそうだったから」変えずにいるのは道理に合わない。

 勝者も敗者も、もっと言うならばこの場に立てずともこの場所を目指したすべての選手にとって、春高は特別な大会だ。

 だからこそ、大人の都合ではなく選手のために。変化しないことが正解とするのではなく、変えるべきことは積極的に変えていく。コロナ禍での今大会が、その第一歩となることを願うばかりだ。

大会3日目までは4面同時に行われる。開催日程や試合順など、今後見直されるべき課題も露わになった
大会3日目までは4面同時に行われる。開催日程や試合順など、今後見直されるべき課題も露わになった写真:西村尚己/アフロスポーツ

スポーツライター、フリーライター

神奈川県生まれ。神奈川新聞運動部でのアルバイトを経て、月刊トレーニングジャーナル編集部勤務。2004年にフリーとなり、バレーボール、水泳、フェンシング、レスリングなど五輪競技を取材。著書に「高校バレーは頭脳が9割」(日本文化出版)。共著に「海と、がれきと、ボールと、絆」(講談社)、「青春サプリ」(ポプラ社)。「SAORI」(日本文化出版)、「夢を泳ぐ」(徳間書店)、「絆があれば何度でもやり直せる」(カンゼン)など女子アスリートの著書や、前橋育英高校硬式野球部の荒井直樹監督が記した「当たり前の積み重ねが本物になる」(カンゼン)などで構成を担当。

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