金正恩命令「深夜の実験」で大爆発事故…3000人死亡の惨事よぎる
かつての北朝鮮で、化学繊維の花形として高く評価されていたビナロン。開発したのは、現在の韓国・全羅南道(チョルラナムド)出身で、京都帝国大学で工学博士学位を取得、同学の化学研究所で助教授を務めた李升基(リ・スンギ)博士だ。
朝鮮半島が日本の植民地支配から解放された後に韓国に戻り、その後北朝鮮に渡って、1961年に北朝鮮独自の化学繊維「ビナロン」を開発。それ以外にも、化学兵器、核兵器の開発にも関わっていた。
そのビナロンの主要生産工場である咸鏡南道(ハムギョンナムド)の咸興(ハムン)にある2.8ビナロン連合企業所で、大規模な爆発事故が起き、多数の死傷者が発生したと、現地のデイリーNK内部情報筋が伝えた。
(参考記事:【画像】「炎に包まれる兵士」北朝鮮、ICBM発射で死亡事故か…米メディア報道)
事故が起きたのは先月5日のこと。太陽節(金日成主席の生誕記念日)を10日後に控え、工程の現代化を成果として示すために、企業所内の生活必需品化学工場で実験が行われていた。工場の党委員会の協力の下に、工場の幹部、技術者、労働者、現場の技師などが一堂に会し、深夜まで実験を行っていたが、午前2時ごろに大爆発が起きた。
この爆発でその場にいた9人が死亡、10人が重傷を負い、程度は不明ながら20人が火傷を負って病院に搬送された。工場の敷地は非常に広いが、周囲の民家にも爆発音が響き渡ったということから、爆発の凄まじさがうかがえる。
多くの市民が、1997年に起きた北朝鮮史上最悪の爆発事故を思い出し、恐怖に震えたことだろう。この事故では、火薬25トンを積んだ貨物列車5両に何らかの理由で引火、通勤列車、住宅地などを巻き込んで大爆発を起こし、3000人が死亡、1万人が負傷したとされている。
今回の爆発事故の発生を受けて、咸鏡南道と工場の安全部(警察署)、保衛部(秘密警察)、工場の党委員会が合同で調査を行った。
実験は、ビナロンとは関係なく、石炭をガスにしてメタノールを生成し、触媒を使って化合物を生成するという「C1化学工業実験」だった。最終実験の前に、科学者や技術者は、実験には危険が伴うので、触媒を輸入してから行うべきだと主張したが、工場の党委員会は、是が非でも太陽節までに党中央に最終報告しなければならないと、実験を強行させた。おそらく、その触媒の質に問題があり、大事故につながってしまったものと思われる。
北朝鮮の工場においては、技術者、科学者よりも、技術に関しては門外漢の党委員会の書記の発言権の方が大きい。技術的な問題点を指摘して、実現が困難などと言おうものなら「敗北主義」「技術主義」「機関本位主義」(エゴイズム)と批判され、ヘタをすればクビにされた上で山奥に追放される。最悪の場合は、党の政策に背いたとして、管理所(政治犯収容所)送りにされかねない。
科学技術を重視すると強調する一方で、思想と党による支配を優先させ、現場を混乱させ、ついに事故につながってしまった。
金正恩総書記は、2018年の新年の辞で「化学工業部門でC1化学工業の創設を促し、触媒生産基地と燐酸肥料工場の建設を計画通り推し進め、グラウバー石を出発原料とする炭酸ソーダ生産工程を改修、完備すべきである」と述べているが、その貫徹のために工場では3年に渡って実験を行ってきたが、今回の事故で触媒生産の重要なシステムがすべて焼失してしまったという。
事故により、連合企業所の基礎化学物質生産が数カ月の中断を余儀なくされる事態となった。一方、中央は事故直後の先月8日に、党の資金を割り当て、事故に遭った労働者とその家族に道党(朝鮮労働党咸鏡南道委員会)が責任を持ってケアせよとの指示を下した。
労災事故が起きても、責任は現場の労働者になすりつけられ、犠牲になった人への補償が行われないことがよくある北朝鮮で、中央が直々に補償とケアを指示したのは、この工場のC1化学工業開発にかける期待の大きさを示していると言えよう。