PlayStation VITA、価格改定について思うこと
ゲーム機はいつも夢見がち。
現状維持を好まない。
変化を好む。
四半世紀の歴史は示す。
あらゆるAV機器のコアになると宣言したのはPCエンジン 。
オンライン対戦ゲームを試みたメガドライブ。
時は90年代中期。
スーパーファミコン全盛期からプレイステーション勃興期へ。
NINTENDO64は「ゲームを変える」と意気込んだ。
ドリームキャストはネットワーク端末の野望をのぞかせてモデムを標準搭載。
ソフトはダウンロード販売に切り替えたかったプレイステーション2。
プレイステーション・ポータブルは「21世紀のウォークマン」を標榜した。
テレビとインターネットの関係を変えると宣言したのはWii。
プレイステーション3は家庭内のスーパーコンピュータを目指した。
立体像のゲームを普及させたかったニンテンドー3DS。
いつの時代も新型ハードは野心家として誕生する。
けれども、ある瞬間、現実主義者に生まれ変わって、のちの生涯を生きる。
ところで、PlayStation Vita。
ラテン語「Vita」。英語では「Life」。
生活、または人生。
PlayStation VITAは2013年2月18日、値下げを発表した。
と同時に、生活か人生を変えるという方針を転換して「ゲーム専用機、割り切り宣言」が行われたように感じた。歴史に従うかのように、またひとりの現実主義者が生まれた。
現実は正解。
起きていることはすべて正しい。
とするならば、ゲーム機が長年持ちつづけてきた、ゲーム以外の何者かであろうとする、あるいはゲームを根本から変えてしまおうとする願望は、ハード設計者の思い込みにすぎない。
まもなくニューヨークで次世代プレイステーションの発表が行われる。
ゲームゲームしたゲーム機になるだろうと推測される。
1993年、ゲームの名をあえて避けて創業したソニー・コンピュータエンタテインメント。
狭義のゲームでとどまることなく、広義のコンピュータエンタテインメントを創造することを目標とした。時代とともに、企業の性格は変化するはずだったが、現実はゲームハードとゲームソフトを売る企業になっている。
2013年2月。18日からはじまる週は、ソニー・コンピュータエンタテインメントという企業にとって、節目の時かもしれない。
PlayStation VITAの値下げ発表。
次世代プレイステーションの仕様公開。
これに加えて、宣言をするべき、宣言をしてほしいのは「私たちはゲームの会社です」という企業のアイデンティティの再定義だ。
ゲームはあくまでも入口。
本命はコンピュータエンタテインメント。
この言外のメッセージをぬぐい去ったほうが、PlayStation VITA、ならびに次世代プレイステーションの立ち位置がはっきりすると思うからだ。ゲームの海に身をゆだね、ゲームへの愛を存分に語る時は、今でしょ。