【富士宮市】潤井川の名前の由来はかぐや姫を思って流した涙?!富丘桜橋下流の堤防に残る大洪水復旧の面影
潤井川(うるいがわ)は、静岡県富士宮市、富士市を流れる富士川水系の一級河川です。『潤う』という文字が使われているので、水量の豊かな川だと思っていましたが、富士山の大沢崩れが源流となっていて普段は水がなく、雨が降ったときだけ水が流れる涸れ川になっています。
また県道72号線より源流部にかけての名称は大沢川です。
中流域では、芝川より取水した大堰用水や富士山南西ろくを流れる川の水を取り入れて流量が増えていきます。以前は富士宮市の大中里地区を流れるあたりまでは水量が少なかったため、飢渇川(きかつがわ)と呼ばれていたそうです。
では、何故涸れ川に『潤井川』という名前が付いたのか…その由来は村山浅間神社に伝わる『富士山縁起』にあるようです。
富士山麓に住む老夫婦が竹の中からかぐや姫を発見、その子は誰もが目を見張るほどの美しい大人に成長しました。一方、時の帝は美しい女性を探すために、全国に使者を派遣していました。その使者が老夫婦の家に宿をとった所、とても美しい娘の存在を知り、帝へ伝えました。しかしかぐや姫は帝を拒みを富士山へ登り姿を消してしまいました。これを地元の人々が悲しみ涙した所を『憂涙河』と呼び、後に『潤井川』と呼ばれるようになったそうです。
かつて潤井川は川幅が狭く屈曲していたため、たびたび大雨による水害を受けました。現在では、星山放水路から、水を富士川へ流下させるようにしたり、河床を下げる事業などにより、潤井川流域の治水の安全度が向上しています。
1908年の大洪水で決壊した潤井川堤防復旧の際、喜楽橋から身延線鉄(飢渇踏切)までの堤防上に松が植えられ『松原』と呼ばれていたそうです。
富丘桜橋下流の堤防にある松の木が、当時の面影を残しています。
そういえば此花昨夜姫命も、強引で荒っぽい風神様に慕われて山宮浅間神社に逃げたという伝説がありますね。
もしかしたらかぐや姫と此花昨夜姫命は同一人(神)物なのかも?!なんて思いを巡らせながら、潤井川沿いを歩いて来ました。
潤井川河川敷:富士宮市淀師(富丘桜橋下流)
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