国の審議会 傍聴つづける教員の思い
■「教員の働き方改革」は重要な局面に
文部科学省の中央教育審議会(中教審)「学校における働き方改革特別部会」は先月28日、「中間まとめ(案)」を発表した。「教員の働き方改革」の気運が高まるなか、議論は重要な局面を迎えている。
この特別部会の審議に、足繁く通っている現役の高校教員がいる。このところ、ツイッター上でも話題を呼ぶ発言を次々とくり出している斉藤ひでみ先生だ(仮名、顔出しNG)。
9月には思いを共有する有志の教員らとともに「現職審議会」(現職審)を設立し、中教審の審議内容に対して、適宜コメントをネット上に発表している。先月には記者会見も開催し、会場は記者であふれるほどであった。
今回は、その働き方改革の「スター」と言ってよい斉藤先生に、取材に応えてもらった。これまで私はたびたび斉藤先生と顔を合わせることはあったものの、こうしてじっくりと話を聴かせてもらうのは、今回が初めてだ。
顔の見えない「スター」は、いったい何のために傍聴に通い、情報を発信しつづけるのか。その思いに迫った。
■現場での危機意識から
【2017年12月上旬、某所】
- 内田:今日は、「中教審の傍聴に通い続けること」をテーマにして、斉藤先生個人の思いや意見を伺いたいと思います。僕自身はこれまで斉藤先生の動きをずっと追ってきました。どうしてここまで「教員の働き方改革」に力を注ぐんだろうと、ずっと不思議だったんです。
- 斉藤:これは大げさなことではなくて、毎年のように、学校に来れなくなる先生がいるんですよ。そこから危機意識が生まれています。
- 内田:来れなくなるとは、どういう事情で?
- 斉藤:病休になっちゃうんです。個々の教員が抱えている仕事というのが全然まわりから見えないし、クラス担任でも部活動でも、他の人にすぐに代わってもらえるものでもない。何でも屋みたいな感じで、授業やその準備だけじゃなくて、いまの時期だと成績処理や進路指導も大変です。悩みを抱えた生徒の対応や保護者対応も日常的にあります。部活動は土日も含めて毎日やってますし、大会の運営や審判にも借り出されて、そういう仕事やそこでの悩みを全部一人でため込んで、ある日爆発する、と。
■自分はむしろ「順風満帆」
- 内田:あれ? ということは、斉藤先生ご自身はそれほどシンドイというわけではない?
- 斉藤:じつは僕は運良く、管理職ともうまくやってこれたんです。授業が好きなんで、そこに力を入れてきたことも、ちゃんと評価してくれましたし。部活動も、そこそこうまくやってこれました。いまは職員会議などで反旗を翻していますが、それまでは順風満帆でした。
- 内田:めちゃくちゃいい調子じゃないですか。だとしたら、なおのこと、身バレのリスクを抱えてまで、声をあげる必要はなかったように思うのですが…
- 斉藤:実際のところ、絶対にまちがってると思えることが、現場で多々あるわけですよ。だけど、みんなはそこに蓋をしてやっている。そのなかで、同僚が次々と倒れていく。僕は、心底、自分の学校と日本の教育をよくしたいと思ってるんです。たぶん、管理職以上に(笑)
■傍聴してわかったこと 現場の実情は蚊帳の外
- 内田:斉藤先生の問題意識はよくわかりました。では、順を追って、中教審の「学校における働き方改革特別部会」の様子を傍聴しようと思ったきっかけと、傍聴を続けるなかで感じたことをお伺いしたいです。
- 斉藤:最初は、傍聴しようなんて思ってなかったんです。でも7月に「教員の『夏の陣』!」と呼びかけたツイート(@kimamanigo0815)が一気に5万リツイートされました。そのタイミングで、中教審に傍聴に行った人たちから、「助けてほしい」「現場から離れたところで議論されている」といった声が届くようになったんです。それで、自分の目で確かめてみる必要がある、そして、その議論の様子をリポートしよう、と考えました。
- 内田:実際に行ってみて、どうでしたか?
- 斉藤:実際のところ、「ツイッターから入ってきた情報ほどには、ひどくないな」と(笑) だけど、満足できるものではまったくない。学校現場は蚊帳の外にあって、現職の苦しんでいる声はぜんぜん届いていないと感じました。ただその一方で、中教審の個々の委員さんは真剣に教員の働き方に向き合ってくれているということも感じました。
■攻撃から応援へ
- 斉藤:最初は、「攻撃してやろう」くらいの気持ちで傍聴してみたんですが、傍聴をしてみたところ、「応援しなきゃ」と思うようになりました。だから傍聴する前に、「教働コラムズ」にかなり攻撃的で煽るようなコメントを寄せたのですが、傍聴後にそのコメントを取り下げて、書き直したんですよ。中教審の特別部会が閉じるまで、建設的に議論をやっていくべきで、攻撃するんじゃなくて応援しよう、と。
- 内田:特別部会の審議が7月に始まって約半年、何か変化は感じましたか?
- 斉藤:前回の審議会(第8回、11/28)は、とくに学校現場にとって前向きな発言が多くて本当によかったです。事務局がまとめた「中間まとめ(案)」に対して、たとえば相原委員の「部活動指導が教員の本来業務でないことを明確に」という発言は、本当に励みになりました。あのときは、傍聴席もざわつきましたよね。他にも多くの委員さんの意見が、夏の頃の議論に比べると、現職教員の気持ちをくんでくれているように感じます。
■部活動への厳しいまなざし
- 内田:やはり部活動の負担は、斉藤先生のなかでもとりわけ大きな課題なんでしょうか? 前回審議会の後のぶら下がり取材でも、けっこう吠えていたように見えました。
- 斉藤:「中間まとめ(案)」の部活動に関する文言をみたときには、真っ青になりましたし、怒りがこみあげてきたんですよ。ただ、その一点以外は、いいこと書いてあると思ったんです。でもそれらを覆すほどに、部活動の記述は、ひどかった。
- 内田:全体がどうではなくて、部活動のことを怒った。
- 斉藤:そうです。部活動は、現状でも土日を含めて毎日、僕たちの大きな負担になっています。なのに、それが「学校の業務」と書いてある。実際に校長先生と交渉する際に、部活動の位置づけっていうのは、肝なんです。「これは職務なんですか?」と、やりとりするわけですよ。そのとき「学校の業務」という一見するとたいした意味のない言葉が、意味が曖昧なばかりに、権力者たる校長の武器になっちゃうんですよ。だからこそ「部活動指導は教員の本来業務でない」ということを、今後確定する「中間まとめ」に明記してほしいんです。
■授業こそが教員の本務
- 内田:そこまでして部活動のあり方にこだわる理由は?
- 斉藤:僕が高校の教員になって最初に感じたのは、「校内の授業がひどい」です。だから、部活動や諸々の業務をやっている場合じゃなくて、授業に力を入れなきゃ。学校の先生の授業が準備不足であるということは、生徒は絶対に見抜いています。学力をあげるには塾に行くと考える。でも、授業で勝負ですよ。
- 内田:授業とその準備が最優先ということですね。
- 斉藤:そのとおりです。部活動っていうのは、授業をはじめとする教育課程内の仕事がちゃんと片付いて、それでも余裕があれば指導するというかたちにすべきです。僕自身は組合員でもないので、給料が削減されてもかまわない。それでも、授業のプロである教員がその力を発揮できるような環境をつくってほしい。日本社会の未来を考えたときに、毎年自分の専門でもない部活動を担わされ、授業準備がおろそかになってしまっては、日本社会がよい方向に進むとは思えないんです。
■校長も苦しい
- 内田:ところで先月は「現職審議会」の代表として、記者会見やぶら下がり取材対応と、マスコミへの露出が重なりました。露出が増えるにつれて、「マスコミに出るのではなく、職員室から変えていくべきだ」といった声も多く聞かれます。斉藤先生はどのように受け止めていらっしゃいますか?
- 斉藤:それこそ、もう現場では闘ってきたんです。現場では変えられないような根幹の部分を、変えたいと考えています。年配の先生からは、「校長に文句を言っても仕方ない。校長も苦しいんだよ」という話をされて、たしかにそれもそのとおり。現場で膨大な仕事量を前にして、もうみんな十分に手を尽くしてきたんですよ。そして教育委員会だって、人もお金もないなかで、手の打ちようがない。こうなってくるともう国に訴えるしかない。
- 内田:国だからこそできることとは、具体的にどういったことでしょう?
- 斉藤:国が部活動や給特法に手を入れてくれれば、きっと教員は救われると思うんです。部活動のあり方は、中教審でも論じるべき点がけっこう洗い出されました。とは言ってもまだまだ不満は多いです。他方で、給特法については議論さえ始まっていないという印象です。給特法のせいで、どんなに長時間働いても、「自主的に居残っているだけ」という扱いですからね。
■学校現場は変わるのか?
- 内田:「国に訴えたところで、学校現場が変わるのか?」というあきらめの声も聞こえてきます。どのようにお考えですか?
- 斉藤:こう言ったから変わる、こういう活動をしたから変わるということではなくて、やらざるを得ないんですよ。学校現場でダメだった。教育委員会も動けない。こうなってくると、国に働きかけるしかないんですよ。別に僕がやらなくてもいいんですよ。でも、誰もやっていない。僕はたとえ一人でもやろう、と。
- 内田:「何も変わらない」とあきらめてしまっては、まさに何も変わらないことになりますからね。
- 斉藤:そのとおりです。変わるかどうかは、わからない。でもやるしかない。「成功するから、やる」じゃないんです。成功も失敗も考えない。教員は、生徒に対して「チャレンジしよう」とか言うわけじゃないですか。僕自身が、そういう人間であり続けたいと思っています。
<取材を終えて>
私の前でこそ、本名も顔も出してくれたけれども、普段の「斉藤ひでみ」先生は、本名も顔も伏せたかたちで、活動を展開している。自分の周りで苦しんでいる同僚の声を、何とか国の審議会に伝えようとするその姿は、スターというよりは黒子のように見える。
じつは私は、斉藤先生をはじめとする現職の先生方が中教審の特別部会に毎回のように足を運んでいるというのを耳にしたとき、暢気にパソコンの前で仕事をしている自分を恥じた。自分が中教審に意見を伝えられる可能性があるとすれば、それはいったい何なのか? その答えの一つが、この取材記事である。
どこの誰かもわからないような先生たちが、忙しいなか何とか時間をつくって、日本の学校教育の未来を模索している。中教審の傍聴席にはたくさんの黒子がいて、皆が審議の様子を見つめ、一喜一憂している。
黒子の先生たちもそして私自身もまた、そこにある思いはきっと同じだろう――「変わるかどうかは、わからない。でもやるしかない!」