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年末年始ハワイ取材はこう変わった

井上公造芸能リポーター
今回のハワイ取材風景。取材陣は多いように見えるが…

年末年始のハワイ取材にボクが初めて行ったのは、28歳の時。ちょうど、今から30年前のことになる。

当時、ボクはスポーツ紙の芸能担当記者。「連日、早朝からホノルル空港で日本から来る芸能人を張り込んでこい!」とだけ指示をされてハワイ入りしたのだが、これが予想以上に大変。毎朝4時半くらいに起きて、1時間後にホノルル空港で張り込み開始。ひたすら、到着する芸能人を待つのだが、すごい数の観光客の中から芸能人を見つけ出すだけでも“神業”に思えた。

ベテランが勢ぞろい

現場で中心となっていたのはワイドショーの取材班で、故・梨元勝さん、前田忠明さん、藤田恵子さん、みといせいこさんといったベテラン芸能リポーターが勢ぞろい。次々と到着する芸能人をさっと見つけてインタビューする姿に、惚れ惚れした記憶が残っている。

その時点では、まさか自分が芸能リポーターになるなんて考えもしなかったが、その2年後には転職。今度は芸能リポーターとして、年末年始のハワイ取材を経験することとなった。

その頃は、ワイドショー全盛時で、正直、各番組ともかなりの予算があった。だから、ワイドショーを放送していた各テレビ局は、朝帯、昼帯、それぞれがリポーター、ディレクターを派遣。これに、現地のコーディネーター、カメラマン、照明マン、音声マンが加わり、取材に動いていた。

総勢40人態勢で

ワイドショーだけで総勢40人を超え、それに各スポーツ紙、女性誌までが参戦。これだけ芸能マスコミがいると、ホノルル空港のすべての出入り口を張り込むことができるため、ハワイ入りした芸能人を見逃すなんてことはあり得なかった。

そんなマスコミだらけのホノルル空港ではあるものの、芸能人はハワイが好きで、カップルでやって来た芸能人は何組もいる。彼らがホノルルがあるオアフ島からマウイ島やハワイ島に移動しても、とにかく追いかけ回していた。

撮影した映像は衛星回線を使って、日本に送った。ワイドショー同士で衛星回線の時間帯の予約もし烈を極め、何としてもライバル局よりも早く放送するというのが、ボクらの使命だった。

テレビ局が徐々に…

これだけの態勢を組めば、当然、お金がかかる。年末年始のハワイの芸能人インタビューは完全に“季節の風物詩”になり、視聴率も稼げたのだが、徐々に「予算がない。お金がかかりすぎる」という理由で撤退するテレビ局が増えていった。

ちなみに、今回は東京キー局はTBSとフジテレビ。関西からは朝日放送、関西テレビ、読売テレビ。なんと、今では、キー局よりも地方局のほうが多いという状況になってしまったのだ。

さらに、芸能リポーターとして“参戦”しているのはボクだけ。元日からは、関西テレビの番組でMCを務めるお笑いコンビ「TKO」の木本武宏さんが、番組企画で“臨時リポーター”を務めているが、あとは各局のディレクターがマイクを持つ状態。撮影もコーディネーターとカメラマンだけになっている。

視聴者の期待は変わらず

時代の移り変わりと言ってしまえばそれまでだが、こういった現場の変化の一方で、視聴者の期待はそれほど変わっていないのは明らかに分かる。この時期に、ハワイの芸能人を見て、新年を迎えたことを実感する人も多いからだと思う。

また、芸能人の中にも、年末年始のホノルル空港でのインタビューを楽しみにしている人もけっこういる。毎年12月になると、ボクに「何日から公造さんは行きますか?僕は○日のチケット取りました」と連絡をくれる芸能人が何人もいるのだ。

ボクも先月30日で58歳になった。「せめて還暦までは続けたい!」。そう思えるのは、この時期のハワイにボクの取材者人生の原点が詰まっているからかもしれない。

芸能リポーター

福岡市出身。大学卒業後、フリーライターや雑誌編集長を経て、サンケイスポーツ文化社会部記者として事件・芸能取材を担当。1986年に故・梨元勝氏の「オフィス梨元」に入り、芸能リポーターに転身。テレビ朝日「モーニングショー」などに出演した。その後、フリーとなり、98年「有限会社メディアボックス(現・株式会社KOZOクリエイターズ)」を設立。現在、日本テレビ「スッキリ」、読売テレビ「情報ライブ ミヤネ屋」、朝日放送テレビ「おはよう朝日です」など、数多くの情報番組に出演中。モバイルサイト「井上公造芸能」では、毎日ホットな芸能情報を配信している。

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