ル・マンに学ぶ、レースの歴史を紡ぐ大切さ。ここでは全てが名車になる。
伝統の「ル・マン24時間レース」が水曜日のフリー走行で幕を開けた。今年で91年目、第82回大会となる。歴史の長さだけに限ると既に90回以上開催されているアメリカの「インディ500」よりも短いが、耐久レースの代名詞「ル・マン」は他の耐久レースとは比較にならないほど分厚い歴史を持つ。
ル・マン ミュージアムで楽しむ進化の歴史
「ル・マン24時間レース」の開催地、サルトサーキットには過去の名車を展示する素晴らしいミュージアムがあり、所狭しに並べられたレーシングカーが自動車の進化の歴史を後世のファンに伝えている。現在のル・マンでは常設サーキット区間「ブガッティサーキット」を使う2輪のル・マン24時間レースやMotoGPロードレース世界選手権、さらには様々な4輪レースが開催されているが、ミュージアム展示の軸になっているのがメインとなる4輪の「ル・マン24時間レース」に出場した車両だ。
展示はまず、24時間レースが開始される以前の1900年代前半のレーシングカーの展示から始まり、ACO(フランス西部自動車クラブ)による「グランプリ」開催、そして24時間レースの開催へと続く。さすがに90年の歴史があるだけに、全ての時代のレーシングカーが展示されているわけではない。もっと大きなスペースがあれば、時代ごとの丁寧な展示も可能なのだろうが、ここのミュージアムはできる限りのコレクションを隙間無く並べているのも特徴だ。
日本人にも馴染みあるレーシングカーも
「ル・マン ミュージアム」には日本のファンが目を引くレーシングカーの展示も多い。特に日本では1980年代〜90年代前半のグループC規定のレーシングカー、通称「グループCカー」の人気が高く、展示の後半にやってくるCカー群にはファンなら思わず涙してしまうだろう。
日本のレーシングカーも少数派だが展示されている。まず日本車で唯一、総合優勝を成し遂げた「マツダ787B」(91年優勝)だ。このマシンはロータリーエンジンが出場できた最後の年、91年に優勝を飾ったエポックメイキングなマシンであると同時に、1970年代からル・マンで鳴り続けた甲高いロータリーエンジンのサウンドがファンを魅了し、今でも人気投票1位になるほど有名。ル・マンの歴史上では欠かせない、ICON的なマシンだ。残念ながら展示されているのはレプリカで、優勝車の現物はマツダが動態保存している。
そして、もう1台展示されているのが、「トヨタ94CV」。1994年、FIAが定めるグループCカーの時代が終焉を迎え、ル・マン独自の規定でCカーの残党を出場させていた時代に、トップを走行しながらラスト1時間でトラブルにより優勝を逃してしまったマシンだ。なぜ、頂点に立てなかった不遇のマシンを展示しているのか?理由は簡単だ。このマシンを走らせたのは日本のSUPER GTで活躍するチームの「SARD(サード)」。同チームは1973年から「シグマオートモーティブ」の名前でル・マン24時間レースに挑戦を続けてきたチームで、初期にはマツダのロータリーエンジンで果敢にル・マンに挑戦を続けてきたチームである。
マツダとSARD(シグマ)のマシンが展示され、トヨタや日産のワークスマシンが展示されていないことや、クラス優勝したホンダNSXの展示がないことを日本のファンは不思議に思うかもしれない。しかし、逆に考えれば、そういったワークスマシン以上に、マツダやシグマの長きに渡る挑戦と挫折の日々はそれだけル・マンで認められている証拠とも言える。非常に長い歴史を誇り、栄枯盛衰、混乱と成功を繰り返し進化してきた伝統のル・マンでは、勝った負けたで一喜一憂し、嵐のように去って行く人たちは認めてもらえないのだ。
新時代へと突き進む、ル・マン
ミュージアムの展示物はその時々で入れ替えが行われるが、ここに展示されているのはその長い歴史のごく一部だけ。名車と呼ばれるレーシングカーは数多くあるが、現存するレーシングカーはヨーロッパやアメリカのオーナー達の手に渡り、2年に1度開催される「ル・マン クラシック」というイベントで走らせる。
また、現存しないレーシングカーもミニカーとして復元され、来場するマニアのコレクション魂に火をつける。特に「BIZZARE(ビザール)」というミニカーブランドはル・マンの珍車を多数製造しており、多くのファンは存在すら知らない、あるいは写真でしか見た事がないマイナーなレーシングカーをミニカー化している(ちなみに、ビザールとは英語で「奇妙な」「おかしな」という意味)。マニアにはたまらないラインナップがあり、現地に出展されるショップではそういったレーシングカーのモデルと出会うチャンスがたくさんある。こういったマニアックなミニカーが作られるのも、スポーツカー、プロトタイプカーをキーワードに挑戦者たちを刺激してきたル・マンならではと言えるだろう。
昨年、2013年はル・マン24時間レースが第一回(1923年)の開催から90周年だったこともあり、年代別の代表マシンがサーキットのイベントエリアに展示され、スタート前にはデモンストレーション走行を行った。こういったイベントを通じ、ファンはその歴史を振り返り、新しいファンは学ぶキッカケにもなるはずだ。展示やイベントの進め方にも、ル・マンの長い歴史に対する幅広い知識と深い理解が感じられる。
そして、今年は100年目の開催に向けた新たなスタートの1年だ。最高峰クラス「LMP1-H」に耐久王ポルシェが復帰し、トヨタ、アウディとハイブリッドカーで戦う。さらに2015年からは日産が復帰。そして、フェラーリが週末中に最高峰クラスへの参戦を発表するとの噂もある。
90年代前半にグループCカー全盛の時代が終わり、ル・マンは独自にGTカーの時代、プロトタイプカーとGTカーを混走させる時代を作り上げてきたが、そこからの流れに新しいハイブリッドレーシングエンジンの自動車メーカー対決を歓迎し、新しい技術回開発の舞台へと進化を遂げて行こうとしている。
その新しい時代に必ず必要なのは、今に至る過程を知るチャンスを作ること。つまりは進化と変遷の歴史を語り継ぐことである。メーカーワークスチームが撤退し、前年までの盛況ぶりがどこへやらという年でも諦めずに続け、ファンに対して何が魅力的なのかを歴史を振り返りながら考え、ル・マンはその偉大な歴史を紡いできた。日本よりも40年以上長い歴史を持つフランスのモータースポーツから学ぶべき事は本当に多い。