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「白血病が与えてくれた素晴らしいこと」 ミハイロビッチが盲目のファンを支援、遠征手配を申し出

中村大晃カルチョ・ライター
8月28日、セリエAアタランタ戦でのミハイロビッチ(写真:ロイター/アフロ)

ボローニャのシニシャ・ミハイロビッチ監督は11月6日、試合前日会見で報道陣からある女性のことを聞いた。盲目の32歳女性が困っていると知った指揮官は、少しでも助けになりたいと支援を申し出ている。

◆ボローニャに「クレイジーな愛」を注ぐ女性

『il Resto del Carlino』紙や『Gazzetta dello Sport』紙によると、女性はジェノヴァ出身で現在はミラノ近郊に住むシャンタールさん。20年超のボローニャファンで、生まれつき盲目だが、2015年から新型コロナウイルスのパンデミックが起きるまで、ホームゲームを欠かさず観戦してきた。

ボローニャへの愛は、偶然から生まれたという。1999年、父に連れられてサン・シーロでインテルの試合を観戦した際の対戦相手がボローニャだった。そしてその週、不運にも父は亡くなったという。シャンタールさんは運命的なものを感じ、以降ボローニャを追うようになったそうだ。

「クレイジーな愛」と表現するほどボローニャに強い想いを抱くシャンタールさんは、クルヴァ(ゴール裏)で試合開始から終了までチャントを歌い、ブーイングを浴びせることもあるという。セリエBに降格した2014-15シーズンは、ホームゲームだけでなく、いくつかのアウェーゲームにも遠征した。

もちろん、目が不自由なため、遠征には付添人が欠かせない。そしてシャンタールさんにとって問題なのは、これまで付き添ってくれていた人物が引っ越してしまったことだ。

スケジュールが合うときは、母親の付き添いでスタジアムに向かう。今季もサン・シーロでのインテル戦やホームでのラツィオ戦を観戦し、7日のジェノヴァでのサンプドリア戦もチケットを用意しているそうだ。だが、以前のようには観戦できなくなってしまった。

そこで、シャンタールさんは公に助けを求めた。『il Resto del Carlino』紙で、シャンタールさんは「かなりのお願いだと承知のうえで、声を上げれば解決策が見つけるかもしれない」と話している。

◆闘病経験を経て社会への還元に努める指揮官

少なくとも、シャンタールさんの声はミハイロビッチの耳に届いた。そして、会見で彼女の存在や自分との対面を希望していると聞き、指揮官は「ならば移動からすべて私が手配する」と述べたのだ。

「ボローニャファンだからというだけでなく、どんなかたちでも手を貸すことができるならうれしいよ。退院したときから日々、人々にそうしているんだ。素晴らしいことだよ。かつての自分のような人たちに、自分が経験したことや勇気、安心を与えるように努めている」

動画メッセージを送ったり、電話で話すなどして、そういった人たちの喜びを感じるというミハイロビッチは、「大きな自信や勇気を与えることができる」と話した。

「私のような人たちをちょっとだけ助けることができる。これはこの病気が私に与えてくれた、この上なく素晴らしいことなんだ」

2019年夏、ミハイロビッチが白血病を患っていると公表し、ベンチで指揮を執りながら闘病したのは周知のとおりだ。先日、指揮官はボローニャの全員をディナーに招待し、骨髄移植手術から2年経過を祝っている。自伝で「私は2度生まれた。2度目は2019年だ」と記したミハイロビッチにとっては、“2回目の2歳の誕生日”だったのだ。

想像を絶する闘いを乗り越えてきたミハイロビッチは、病気を告白して以降、検査の重要性を訴え、自分の経験を伝え、社会や人々の役に立とうと尽力している。

指揮官は「次の試合かインターナショナルウィーク中に来てもらい、必ず会う」と話した。今後、シャンタールさんが以前のように欠かさずホームゲームを観戦できるようになるかは分からない。だが、愛するクラブの指揮官との出会いは、彼女にとって一生忘れない思い出となるはずだ。

カルチョ・ライター

東京都出身。2004年に渡伊、翌年からミランとインテルの本拠地サン・シーロで全試合取材。06年のカルチョーポリ・W杯優勝などを経て、08年に帰国。約10年にわたり、『GOAL』の日本での礎を築く。『ワールドサッカーダイジェスト』などに寄稿。現在は大阪在住。

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