Yahoo!ニュース

日本人初のナックルボーラーが歩んできた道──大家友和インタビューその2──

菊地慶剛スポーツライター/近畿大学・大阪国際大学非常勤講師
日本人初のナックルボーラーとして未知の5年間を歩んできた大家友和投手

2012年にナックルボーラーに転身して以来、大家投手はコーチがいないまま独学でナックルボールと向き合い続けた。この5年間は浮き沈みの連続だった。

ナックルボールを投げ続けることで上達してきた

─改めて今回のキャンプでは開幕に残れるよう結果だけにこだわるのか?

「最終的には開幕をどのレベルで迎えることができるかになってきますけど、自分がこのナックルボールを投げ続けることで上達してきたように、毎日こなしていくことによってその果てで開幕に残ることだったらいいし、たぶんそういうものだと思います。積み上げていかないと(その先は)ないと思うので」

─現在は自分の中でナックルボールについて面白味が大きいのか、それとも不安の方が大きいのか?

「全然わからないですね。対戦するバッターにもよりますし、またキャンプに参加してバッターと対峙してみてどうなっていくかという部分もあるし、わからないです。ただ前よりは勝負になると思っていますし、勝負にならなきゃダメですしね」

─ただマイナー契約を勝ち取ったことからも、周りからも認めてもらえるナックルボールになってきたということではないか?

「そう思いますね。何もないところから契約の話が沸いてくることもないのでからね」

ナックルボールを投げ続けることに真剣に向き合った

─今振り返れば5年でここまで来られたというのは順調だったと思うか?

「どうなんですかね…。もしコーチとかがついていてくれれば、もっと短い期間でここまで来られていたかもしれない。1人でやったからこそかもしれないですし、どっちとも言えないですけど、ただここまでナックルボールを投げ続けることに真剣に向き合うことができなきゃいけないし、まず(ナックルボールを)投げる資格を得られる人間はまずそれが必要になってくる。そこから始まると思います。なかなか語れるところまでできるものじゃないなと、実際にやってみてわかりました」

─それでも5年間続けることは簡単ではないと思うが。

「ナックルボールを投げ始めてから自分のエージェントだとかいつも練習を手伝ってくれる相手から、これほど“続けなさい”と言われたことはないですからね。“どっちでもいいよ”と言いながらも“でもね、誰もやったことがないことをやっているんだし、いけるところまでいってみたら?”とこれほど言われたことは、ナックルボールに手をつけるまではなかったと思うんですよ。たぶん数年前に“もういいんじゃないか”と言われていたら簡単に辞めていたと思います。

これだけ尻を叩いてもらったこともなかったし、それがなければ続けていないですね。そもそも投げ始めた時に誰も受ける人がいてくれなければ終わっていましたからね。色々な人の協力がなければ無理ですからね。コーチがいないのは仕方がないことなので、その分たくさん投げて感覚を掴んできた。周りの励ましがなかったらとっくにギブアップしてましたね」

─この5年間、ほぼ毎日投げてきたのか?

「投げない日もありますけど、確かに隙あれば投げてきましたね。最初の1年が終わってからですね。(1年目のオフにアリゾナで指導を受けた際に)“とにかく投げ続けなきゃいけない”ということを教わったんですよ。あれを言われてからは本当に投げ続けてましたね。あの頃がピークだったんじゃないかな。外で投げた後も、車庫でネットに向かって投げましたし、あの時の球数は半端じゃなかったです。2年目にブルージェイズのキャンプに参加できた時も、毎日どえらい数を投げてました。

夜が明けるか明けないぐらいにクラブハウスに行って、バッティングケージの中で投げてました。そもそもバッティングケージはバッターのためのものだし、朝早くいかないと空いてなかったんです。バッターが来てケージが埋まるまでずっと投げ続けていました。キャンプ中は朝投げて、全体練習をやって、ランチを食べ終わったら、そこからまた1人でずっとネットに向かって投げていました。それは皆が見ていてくれてたし、最後に監督に会った時も認めてくれたというか評価してくれました。チームに残れたとか、自分のボールの善し悪しではなくて、その練習自体は評価してもらえたし、自分が真剣にやっていた部分を認めてもらえたのは良かったです」

─だがキャンプ中にブルージェイズを解雇された。

「キャンプでクビになった時は自分もどうしようか迷ってました。これで通用しないのだったら、これで終わりかなと思ってました。その時でも年齢はある程度いっていましたし、ちょっと難しいなというのを思いながら、少しの間は練習が手につかなかったです。そこから(独立リーグの)ブリッジポートに行こうかという話になってから、場所を探して練習していたんですけど、相手がいないので1人だけでやってました。その時もネットに向かって投げる感じでした。その後ブリッジポートと契約した後も、納得できない時はずっと投げ続けるのは一緒でした」

1人で判断しなければならないレベルはクリアできた

─今はそこまで投げ続けるような状態ではなくなった?

「ある一定のレベルまではいけているので、あとは自分1人では判断できない部分が出てきているというか、1人でやる練習で判断するのは限界が来ているように感じています。1人で練習して判断しなければできないレベルは突破できたというかクリアできたので、今はフィードバックをもらってどうかというか、バッターと勝負をしてどうかというところに来ているのかと思います」

─ナックルボーラーとしての成長面でもいいタイミングでのマイナー契約だったのか?

「それもそうですが、それほど多く残されていないチャンスなので、結果を出してもダメな場合もあるし、出せなきゃ当然ダメだと思うし…。ただ結果を出して“(チームに残れずに)なぜ?”ということも多分ないと思うんです。結果が残っても残らなくても、とにかくやることは変わらない。それを自分が信じてやり続けて結果がどうなるかというところなので。先のことはなかなか考えられないですけどね」

(続く)

スポーツライター/近畿大学・大阪国際大学非常勤講師

1993年から米国を拠点にライター活動を開始。95年の野茂投手のドジャース入りで本格的なスポーツ取材を始め、20年以上に渡り米国の4大プロスポーツをはじめ様々な競技のスポーツ取材を経験する。また取材を通じて多くの一流アスリートと交流しながらスポーツが持つ魅力、可能性を認識し、社会におけるスポーツが果たすべき役割を研究テーマにする。2017年から日本に拠点を移し取材活動を続ける傍ら、非常勤講師として近畿大学で教壇に立ち大学アスリートを対象にスポーツについて論じる。在米中は取材や個人旅行で全50州に足を運び、各地事情にも精通している。

菊地慶剛のスポーツメディア・リテラシー

税込550円/月初月無料投稿頻度:月3、4回程度(不定期)

22年間のMLB取材に携わってきたスポーツライターが、今年から本格的に取材開始した日本プロ野球の実情をMLBと比較検討しながらレポートします。

※すでに購入済みの方はログインしてください。

※ご購入や初月無料の適用には条件がございます。購入についての注意事項を必ずお読みいただき、同意の上ご購入ください。欧州経済領域(EEA)およびイギリスから購入や閲覧ができませんのでご注意ください。

菊地慶剛の最近の記事