あれから1年。東レアローズが天皇杯で「何が何でも勝ちたかった」理由
「覚悟」の大会で溢れた悔し涙
ふがいなさと悔しさ。
髙橋健太郎はコートで涙した。
2022年最後の公式戦となった天皇杯・皇后杯全日本バレーボール選手権大会は、60.9%というスパイク決定率を叩き出したジェイテクトSTINGSに3対0のストレート。東レアローズは、為すすべなく敗れた。
2大会ぶりの頂点に立ち、ビクトリーTシャツを決め笑みを浮かべるジェイテクトの選手を前に、ユニフォームで顔を覆い、涙と汗を拭う。
人目をはばからず溢れた悔し涙には、理由があった。
「覚悟を持って、ここに来たんで」
前日、準決勝で東京グレートベアーズに勝利した後、髙橋はそう言った。
決して大げさではない。試合後に「情けない、の一言」と述べるしかなかった試合に敗れた悔しさよりも、どうしても勝ちたい理由があった。
色褪せぬ1年前の反省会「藤井さんにトロフィーを」
1年前の天皇杯。東レは準決勝でウルフドッグス名古屋に敗れ決勝進出を逃した。高崎から三島へ戻った、その夜だった。
「このチームだったら勝てる力があったのになぁ。悔しいわ。あそこで俺のセレクトが悪かった」
髙橋と同期の峯村雄大、主将の藤井直伸と3人の反省会。口を開くたび、藤井は課題ばかりを口にしながらも、明るい口調で「勝てたよなぁ」と何度も繰り返す。負けた悔しさもバレーボールへの情熱と、時折笑い話も交えながら消化するうち、気づけば明け方近くになっていた。
「年明けからまた頑張ろう」
この経験を糧にしよう。その時は誰もが、描く当たり前が続いていくことを信じて疑わなかった。だが、実は藤井は天皇杯の最中に目の不調を感じていた。ボールが二重に、ブレて見えたりすることがあったが、その時はさほど深刻にはとらえてはいなかった。
事態が変わったのは年が明けてから。1月7日のJT広島戦ではより症状が進み、翌日8日の出場を最後に、22日の試合から藤井はチームを離れる。眼科だけでなくさまざまな検査を重ねた結果、想像もしなかった病と状況を突きつけられるも、1つ1つを受け入れ、受け止め、戦う覚悟を示すべく、2月27日に自身のインスタグラムで病を公表した。
あまりに衝撃の現実に、バレーボール関係者だけでなく多くの人たちが言葉を失い、だがむしろそんな周囲に「大丈夫」と笑顔で接してきたのが他でもない。藤井自身だった。
治療の副作用や、先の見えない不安。天候や治療のサイクルによっては体調がすぐれないこともあったが、体調が芳しい時は散歩も兼ねて体育館へ足を運び、可能な限り身体を動かし、これまでと同じように仲間たちとその時々の課題や気になること。何げないコミュニケーションを重ね、いいことはいい、悪いことは悪い、と指摘する。特に今季、主将に就任した峯村は体育館だけでなく藤井の元をたずね直接話をする機会も多く、その言葉がチームにとってだけでなく、主将である自分にも支えであり羅針盤でもあった、と峯村は言う。
「たとえば何でもないミスとか、笛が鳴る前にボールを見送って落としてしまうとか、そういうプレーは絶対ダメだろ、と。直接点数につながるプレーではないかもしれないけれど、それを指摘せず流していたら絶対に勝てない。もっと徹底するところは徹底しなきゃいけない、と自分も常に思うことを藤井さんから言われて、やっぱりそうだよな、と思える。一緒に戦っているという思いが常にありました」
だからこそ、1年前明け方まで悔しさを語り明かした大会で勝ちたい。ただその一心だった。
「勝って、トロフィーを藤井さんに持って帰るんだ、ということしか考えていませんでした」
藤井が酒井に見せた手本と強さ
峯村や髙橋だけではない。準決勝進出を決めた準々決勝での勝利後、篠田歩監督も、勝って自信をつけさせたい、と述べる一方で藤井への思いを吐露した。
「ちょうど1年前なんですよ。ボールがブレると聞いた時も、(天皇杯で)ボールがモルテンに変わったからかな、とか、そんな話をしていたんです。でもそこから病気がわかって。去年は越えられなかった壁を越えたい、という思いはたぶんみんなが、言葉で言わなくても強くある。だから余計に、勝ちたいんですよね」
藤井が離脱した直後、代わってセッターとしてコートに立ったのは酒井啓輔と真子康佑。昨シーズンは真子が多くの試合でコートに立ち、「心臓が出そう」とプレッシャーを抱えながらもファイナルラウンド進出まであと一歩、というところまで踏ん張った。今季も真子、酒井が共に持ち味を発揮しながらプレーを重ねているが、天皇杯でレギュラーセッターとしてコートに立ったのは高さを武器とする酒井。これまでも機会を与えられながら、劣勢になった時や自らの想定通りに進まない状況に陥るとトスが乱れ、不安に陥り、悪循環を招いた。だがその反省を糧にし、今季は「多くの選手とコミュニケーションを取ることを意識した」と言う。なぜそれが必要と思ったか。目の前にあり続けたこれ以上ない手本があったからだ。
「トスワークとか、周りとのコミュニケーションの取り方1つ1つももちろんですけど、藤井さんは本当に強い。今もよく連絡をくれて、僕が出た試合を見て『すごくよかったよ』って褒めてくれるんですけど、僕はリザーブでベンチにいる時でも同じセッターに対して全力で『よかったよ』と言ってあげられる強さがあったか、と考えると、絶対なかった。今こうして試合に出ていても心が折れそうなこともあるし、しんどいな、と思うこともいっぱいあります。でもここで踏ん張らないと強くなれないし、この天皇杯のコートで勝った姿を見せることで、藤井さんに恩返ししたかった。それができなかったのが一番悔しいです」
“いつか”のために「心はひとつ」
コートに立てば目の前の試合に勝つため、自らの役割を果たすことに必死で、負ければ悔しいし、うまくできなければ課題ばかりに目が向くのも当たり前。特に天皇杯決勝は、ジェイテクトの圧倒的なサーブ力、攻撃力の前に小澤宙輝は「何もできなかった」と言い、そんな選手たちに主将の峯村は「試合中も試合を終えてからも、何と声をかけていいかわからなかった自分が情けない」と述べた。
そしてブロックの柱でもある髙橋は、ジェイテクトの攻撃陣に対して「個で挑んでいては勝てないと痛感した」と受け止めながらも、言葉の端々に悔しさと「覚悟」を持って臨みながらも果たすことのできなかった悔しさを滲ませる。
「昨年果たすことができなかった“優勝”、僕の中ではすごくかけていたところがあったので、そこにチャレンジできる権利を得たのに、今日の試合、自分のパフォーマンスに対しては思うところがいろいろあります。プレーしたくてもできない選手がいる中で、僕たちは代表してコートで戦っている。その自覚と責任が足りないということはないかもしれないですけど、日々の積み重ねでしか結果は出せない。自分の弱さが出ました」
負けた悔しさ、何もできなかったという情けなさを晴らす舞台は、まだ先にある。その時に向け、また明日から新たな戦いに向けた準備を重ねるように、藤井もまた、さまざまな葛藤や病という難敵と向き合いながらも前を向き、再びコートへ立つ日のために。今日も明日も、戦っていく。
たとえユニフォームを着て同じ場所にいることができなくとも、共に戦い続けていることに変わりはない。
心はひとつ――。
すべてが、明日の糧になると、そしていつかまた共に同じコートに立つ、その日の力になると信じて。