穴なし美女…3000人の男性をフった小野小町が唯一恋した男性の行動とは
小野小町は、クレオパトラや楊貴妃に並ぶ世界三大美女のひとりです。
女性で唯一の六歌仙に選ばれた優秀な和歌の歌い手でもありました。
当時は歌の上手さが異性の魅力に直結していた時代であり、容姿にも歌の才能にも恵まれた小野小町は男性から超モテモテ。
3000人以上もの男性に告白された彼女は、平安一モテた「逆ハーレム」の申し子でした。
今回は、そんな彼女もトキメいた男性を紹介します。
※本記事の内容は様々な方に歴史の魅力を感じていただけるよう、史実を大筋にした「諸説あり・省略あり」でお届けしています。
・美女は恋に興味なし?
小野小町は、平安時代前期の女流歌人として一時代を築いた女性です。
3000人以上の男性から告白された伝説をもつ彼女は、源氏物語の主人公・光源氏のモデルといわるプレイボーイ在原業平の女性バージョンだともいわれます。
しかし、彼女は、来るものを拒まない在原業平とは異なり、告白してくる男性はフルシカト。誰とも交際をせず、生涯独身を貫きました。
一方で、「花の色は移りにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに(意:自分の恋の行方を気にしいる間に桜のシーズンを逃してしまったわ)」 と歌っており、恋愛に一切の興味がなかったわけではないようです。
・穴なし小町(穴なし女)
小野小町は踊り・裁縫・生花・当時の礼儀作法など、全てにおいて穴(失敗)のない女性であったことや生涯独身を貫いた処女であることに由来して「穴なし小町」ともいわれます。
すべての男性を無視し、お高くとまっていた彼女。その行動は多くの男性のプライドを傷つけてしまいました。
さらに誰とも結婚・交際をしなかったことなどから、男性貴族の間で陰口のように広まったと考えられています。
・小町を沼らせた男
穴なしともいわれた小野小町は、男性を信用していなかったのかもしれません。
しかし、彼女が宮中を去り、帰郷すると「深草」という若者の男性が会いたいという恋文を送ってきたのです。
当時の小野小町は天然痘を患っており、症状の発疹が顔中に現れていました。
このときの彼女は30代半〜30代後半といわれており、恋をする最後のチャンスだと思ったのかもしれません。
100日経てば症状も治るだろうと考えた彼女は、深草に「私が好きなら、100日間花を届けにきて」と返信の手紙を送ったのです。
そして、それを実践したのが深草でした。
彼は毎日毎日、雨の日も風の強い日も花を届けにきたのです。
そんな彼の健気な想いに、小野小町も心を開きはじめます。
しかし、記念すべき100日目の当日に事件は起きてしまいました。
この日も花を届けに出かけた深草ですが、当日の大雨が原因で事故死してしまったのです。
悲しみに暮れた小野小町は、彼の墓を地元の寺に建立しました。
・各地に残る伝説
深草の一件以降、行方をくらませた小野小町。
彼女の晩年は諸説あり、各地方で形を変えて伝承が語り継がれています。
今回筆者が訪れた奈良県も小野小町伝説が残る地です。
威徳井の井戸を見て、彼女が歌を詠みあげたという伝説が語り継がれています。
気になった方は足を運んでみてください。