骨折の判明したオジュウチョウサンと新王者の当事者達、それぞれの想いとは?
1年ぶりの直接対決
残念ながらオジュウチョウサンの骨折が判明した。飯田祐史はこの報を耳にして胸を痛めた事だろう。
「会えばいつも『大丈夫ですか?』と聞いています」
飯田はそう語る。昨年のJRA賞最優秀障害馬に選出されたメイショウダッサイを管理する調教師である彼がそう問う相手は和田正一郎。飯田と同じ1974年生まれで現在46歳の調教師。誕生日も1ケ月ほどしか違わない和田が尋ねられたのは障害界の絶対王者オジュウチョウサンについて。和田は言う。
「飯田先生はいつも気にかけてくださります。勿論、私の方からも『メイショウダッサイも順調ですか?』と聞いています」
4月17日、今にも雨が降り出しそうな空の下で行われた中山グランドジャンプ(J・GⅠ)。2頭の王者が1年ぶりに直接対決をした。
森が尋ねた事と、石神の答えとは?
パドックに現れたオジュウチョウサンについて和田は言う。
「若い時と違い、いつも通り落ち着いていて、周囲を見渡す感じでした」
そして、本人も周囲に視線を向けると「メイショウダッサイも良い仕上がりだ」と感じた。
「ダッサイは栗東だと立ち上がるなどヤンチャな面を出すけど、競馬の日は大人しいです。毛艶は前哨戦の時より良くて、好天だったらピカピカに見えたと思います」
そう言うのは飯田。オジュウチョウサンについては「自然と目が行きました。無事に出て来て良かった」と感じたそうだ。
オジュウチョウサンは今年初出走。和田は語る。
「前走(20年11月の京都ジャンプS)でぶつけた球節を治すのと、間隔が開いても大丈夫な馬なので早々にここを目標にしました。お陰でしっかり負荷をかけられて、順調に来ました」
初めてこのレースを勝った2016年は5歳。以来、勝ち続け、6連覇を懸けた今年は10歳。年齢的な衰えを感じる事はなかったのだろうか?
「5~6歳時は調教を積むとピリッとした感じを出したけど、それ以降は年齢を重ねたせいか大きな変化は見せません。それでも気が入ったら怖い雰囲気を出すので、衰えは感じません」
誰にも等しく訪れる“老い”に関し、名パートナーの石神深一は次のように語る。
「跨っている限り、馬の力強さや走り方から衰えは感じませんでした」
そして、当日の状態について続ける。
「前走は前日のスクーリングが1頭だったせいか妙に大人しかったのですが今回は数頭いたので気合いが入り、当日も良い感じでした」
そのスクーリング時にメイショウダッサイとの間にこんな事があったと続ける。
「最終障害を飛ばそうと考えていたら丁度、森君がいました」
森君とはメイショウダッサイに騎乗する森一馬の事。つまり、森とメイショウダッサイも最終障害の近くにいたのだ。1頭で飛ぶより実戦に近い形にした方が良いと思った石神は森に声をかけた。
「その結果、併せて飛ばしました」
石神の相談に乗った森に、その理由を問うと、彼は答えた。
「たまたま2人共、最終障害を飛ばそうとしていました。それなら、前後で飛ぶより良いと思い、併せました」
その森は、実は鞍下の雰囲気に少し戸惑っていた。
「スクーリングで今までにないくらい気合いを表に出してテンションが上がっていました」
オーバーワークになってはいないか?と考えた森は次のような行動を取った。
「石神さんに相談しました」
すると……。
「『ポジティブに考えたら良いと思う』と言われ、気が楽になりました」
パドックと返し馬でのエピソード
オーバーワークを心配していたのは飯田も同じだった。司令官として、スタッフと思いを一つにした。
「一馬と調教助手と厩務員が揃った時に『仕上げ過ぎないように』と話し合いました」
常に休み明けはコロンとした体つきだが、使えば馬が自分で仕上げて行くタイプだと考えていた。それだけに「本番だからと意識せず、いつも通りにやれば良い」という方針を皆と共有したのだ。
そんな飯田だが、レース当日はとくに指示を出さなかった。森は言う。
「『レースに関しては任せる。一馬もリーディングとっているし自信を持って乗って来い』と言っていただきました」
パドックで跨ると、スクーリングした時は跳ねていた相棒が「冷静に歩いていた」。自然、余裕の生まれた森が視線を上げると、2頭前を歩くオジュウチョウサンが見えた。
「これまでも何度も一緒のレースに乗っていたし、前日も見ていたけど、改めて『これがオジュウチョウサンかぁ……』と感じました」
各騎手は馬場入り後、戦友に障害を一つずつ見せて確認させる。石神はある思いを持ってそれをした。
「返し馬で元気よく走らせたくないと考えていました。だから皆を先に行かせてゆっくりと確認しました」
すると、すぐ近くで同じようにしている騎手がいた。メイショウダッサイの森だった。
「森君も同じ気持ちだったのか、たまたま一緒になりました。だから『ペースが遅くなりそうだね』等、会話をしました。でも互いに『どう乗る?』という話はしませんでした」
その上でメイショウダッサイに目をやると「迫力が出て、良い気配に感じた」と言う。
運命のゲートが開く
それぞれの想いを乗せてゲートが開いた。石神が危惧していた通り、遅い流れになると、オジュウチョウサンが行きたがった。調教師席でその様を見た和田は「もう少し速い流れになってほしい」と感じた。同じ時、鞍上は次のように考えていた。
「スタミナ勝負が向く馬なので正直、嫌でした。だから、逃げる形も想定していました」
実際、ハナに立つ場面もあった。しかし、そこで思わぬ誤算があった。
「タガノエスプレッソは平沢(健治)が乗ると思い、シミュレーションしていました。ところが当日に落馬をして急きょ植野(貴也)さんに乗り替わりました」
これで競馬の流れが思い描いたモノと違う形になった。ハナに立つとタガノエスプレッソがかわして前へ出て、またスローに落とされた。
「植野さんも勝ちたくてそうしているだから仕方ないのですが、オジュウにとっては苦しい流れになってしまいました」
一方、序盤は後ろに控えていたのがメイショウダッサイだ。森は言う。
「中山大障害を勝った時も最初は後方からでした。位置よりも馬のリズムを考えたら自然と後ろになりました。馬自身も『このへんでいいや』と言っている感じでした」
飯田が「飛ぶ度に前との差がなくなる上手さがある」と語る飛越に関し、森は「おっ!!」と感じていた。
「練習だと大きな障害は飛ばさないので気付かなかったのですが、今まで以上に上手に飛ぶようになっていました。大いけ垣も安定していたし、完歩の合わない障害は普通の馬ならガクンとスピードが落ちるのに、ダッサイは減速をしませんでした」
一方、オジュウチョウサンは大いけ垣でバランスを崩した。石神が述懐する。
「そこから先は『並みの馬ならひっくり返ったのでは?』と思うくらいの悪い飛越が続きました」
ただ、それが「遅い流れでリズムが狂ったせいか年齢的なものかは分からない」と続けた。その様を見た和田は唇を噛んでいた。
「元から飛越は決して上手ではないけど、前半は安定して飛んでいました。ただ、大いけ垣と外回りに入ってからのハードル障害の飛越は良くありませんでした。落馬しなくてもロスにはなると感じました」
その不安が的中する。引き続き和田の弁。
「いつも持ったまま来る外回りに入ったあたりで、すでに手応えが怪しくなっていました」
明暗の分かれた結果
後半、オジュウチョウサンが舌を越すのは最近見られる光景なので気にはならなかったそうだが、最後のコーナーを前に石神の手が激しく動きつつも後退する様を見た時、和田の気持ちに変化が起きた。
「正直、勝ち負けは厳しいと思いました。だから後は最終障害を無事に飛んで戻って来てくれれば……と願いました」
その時、石神は次のように感じていた。
「集中力が切れたのか、バテたのか、手応えがなくなり、叩いても反応しなかったので1着は難しいと思いました」
歩様を確認しながらアクシデントにならないようにレースを続けた鞍上の心中が察せられる。
同じ時、森は次のように考えながら乗っていた。
「勝負どころでオジュウチョウサンの手応えが悪いのは分かりました。ただ、あの馬の強さも知っているので、外から被せました。でも、ダッサイ自身も決して反応は良くありませんでした」
それでも、バテているわけではない事を直後に知った。
「最終障害あたりからまた伸びました。反応が悪かったのではなく、賢い馬なので『まだ行かなくても良いと分かっていた』のだと思います」
そして、直線での胸の内を、次のように明かした。
「前にいる馬はかわせると思ったけど、オジュウチョウサンがいつまた差し返して来るかと考えていました」
絶対王者の影に脅える鞍上と違い、俯瞰して見ていた飯田は思った。
「元から心肺機能は優れているので、普段の調教で長い距離を乗るようにしていました。お陰で体力がついて最後までしっかり走れていました」
最終障害での手応えを見て、一足先に「勝てる!!」と思った。そして、後続に目をやると、もがくディフェンディングチャンピオンの姿が目に映った。
「オジュウチョウサンがあれほど伸びないのを見た事がなかったので『故障じゃなければ良いな……』と思いました」
結果的にその思いはかなえられなかった。
森が勝利を確信したのはラスト100を切ってからだ。
「後続の足音が聞こえなくなったので『勝てるかな?!』と思ったけど、オジュウチョウサンは一度下がってもへこたれない馬なので最後まで『また来るんじゃないか?!』と考えていました」
しかし、この時すでに骨折していたのかは分からないが、さすがの障害最強馬も巻き返せなかった。和田は言う。
「最後の障害も飛び、ゴールまで一所懸命に走ってくれました」
その時の心境を石神は語る。
「ダッサイが勝ったのは分かりました。ルール上、最後まで追ったけど、かなり差が開いてしまったので正直、空しい気分でした」
後に骨折が判明した時には、次のように考えた。
「賢い馬なので痛みを感じた時点で無理をしなかったのだと思います」
互いをリスペクトし合いつつ……
5年連続で勝っていたレースで、勝ち馬から2秒5もの差をつけられ青息吐息でのゴール。悔しい気持ち、残念な気持ち、申し訳ない気持ち、可哀想な気持ち。様々な複雑な想いで上がって来た石神を出迎えたのは思わぬ男からの言葉だった。
「鞍を外していたら飯田先生から『大丈夫?』と言ってもらえました。森君を祝福したら彼からも『オジュウは大丈夫ですか?』と気遣われました」
飯田は「何かあったのなら嫌だから声をかけました」、森は「本来のオジュウだったらあんな着順じゃないと思うので気になりました」と、言葉をかけた理由を語った。そして、言われた側の石神は次のように感じたと続けた。
「オジュウが皆に愛されているのは嬉しかったけど、逆に心配させて申し訳ないと思いました」
和田の気持ちも同じだった。
「飯田先生に心配していただきました。今後に関してはあくまでも馬と相談して決めます」
改めて石神の言葉。
「メイショウダッサイは強かったし、障害界全体を考えれば、若い力が台頭してきたのは嬉しいです。オジュウに関しては、出来れば復活させたい気持ちと、不幸中の幸いで最悪の事態は免れたので、無事なうちに、という思いが半々ですが、僕が決める事ではないのでオーナーや先生の判断に任せます」
ここで再び勝った側である飯田の弁を記そう。
「新旧交代とか、新王者とか言っていただけるけど、競走馬は常に皆がベストの状態で戦えているわけではありません。今回はうちが勝てたけど、これによってオジュウチョウサンの5連覇に傷がつくわけではありません。彼が歴代最高の障害馬である事は間違いないし、陣営も表に出せない苦労が沢山あったであろう中、これだけの実績を残したのは尊敬しかありません」
オジュウチョウサンは丁度4年前の4月20日にも骨折の手術をしており、そこから復活して前人未踏の金字塔を築き上げた。現役続行を視野に明日22日に手術するという今回も同様に復活し、ハードル界の好敵手との新章のページを開くのだろうか? それとも一転してここで本を閉じるのか? はたまた弟のコウキチョウサンら第三の勢力を交えた新たな物語が幕を開けるのか、現時点ではまだ分からない。ただ一つ、分かっているのはライバル同士が互いに尊敬し合っていたからこそ、この名勝負が生まれたという事。オジュウチョウサンの無事と彼等の新たな展開を見守りたい。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)