日本は新しい1頁――米国のたそがれと中国主導のAIIB
2015年4月29日1:00。日本は新しい歴史の1ページを開いた。たそがれゆくアメリカと強国化する中国の狭間で、日本は1952年の安保条約以来の大きな変化を遂げようとしている。その是非は別として。
◆ガイドラインの見直しに潜む矛盾
日本時間4月29日の1時頃から、日中首脳会談を終えた安倍首相とオバマ大統領の共同記者会見が開催された。ガイドラインの見直しは、「国際情勢の変化」に基づくとされているが、それは主として東シナ海と南シナ海における中国の海洋進出によるところが大きい。
東シナ海における中国の脅威は、尖閣諸島(釣魚島)に対して中国が領有権を主張しているからで、アメリカ自身は71年前後の沖縄返還交渉において「尖閣諸島の領有権に関しては、アメリカはどちらの側にも立たない」と宣言して、その立場を今日も変えていない。アメリカはニクソン政権以来の立場を変えないと、何度も宣言している。
南シナ海における脅威は、中国が92年に領海法を制定し、尖閣諸島を含めた東シナ海および南シナ海の多くの島嶼を中国の領土と決定したことに起因する。
日本はアメリカに「尖閣諸島の領有権は、国際法的にも歴史的にも日本にある」と強く主張し、アメリカの視点を変えさせる勇気は持っていないし、アメリカもまた「領有権に関しては中立」という視点を変えるという勇気を、「中国に対して」持っていない。
それでいながら、尖閣諸島を中心として日本に与えている中国の脅威に対して、日本の軍事力強化を歓迎するという、非常に矛盾した観点に立っている。
南シナ海に関しても、中国が領海法を制定しようとしていた時に、アメリカはフィリピンから駐留米軍を引き上げることに力を注いでいて、日本もアメリカも、いかなる覚悟を以ても中国の領海法を撤廃させるという努力をしていない。
日本が国際法的に尖閣諸島の領有権を主張できるのは、1895年に尖閣は沖縄県のものとして閣議決定したからだ。
したがって、中国の「力による変更」を阻止し、「法に従うこと」を要求するならば、92年の領海法を論議しなければならないことになる。
しかし日米ともに、そこには目をつぶって、離島奪還も含めて、日米の新ガイドラインの制定を実施しようとしている。
なぜならば、アメリカの軍事費の削減とプレゼンスの弱体化があるからだ。アメリカがこれまで果たしてきた安全保障を、日本に「共に(対等な形で)担ってほしい」とアメリカは日本に望んでいる。だから日米同盟による抑止力を強化しようとしているのである。
日本がカバーする範囲を「周辺国家・地域」から「範囲に関する制限を撤廃する」方向に変えるのも、日本にアメリカの肩代わりに一部を務めてほしいからである。
◆TPP交渉を急ぐアメリカ――中国主導のAIIBによる世界秩序を形成させないために
TPPに関してオバマ大統領が焦るのは、中国が主導するAIIB(アジアインフラ投資銀行)の加盟国が57ヶ国にもおよび、中国を中心とした世界の秩序が形成されてしまうのを恐れるからだ。強い同盟によって結ばれていると思っていたイギリスがドミノ倒しの先頭に立ってAIIB加盟劇を演じて見せた。アジア回帰したいオバマ大統領にとって、今は日本ほど頼りになる国はないだろう。彼は本気で「日本こそは最大のパートナー」と言っていると思われる。
◆52年の安保条約以来の新しい歴史段階
1952年、筆者は中国の天津にいて、日本がアメリカと日米安保条約を結んだのを、日本人として激しい罵倒と虐めに遭いながら、受け止めた経験を持つ。敗戦国日本を占領したアメリカ(正確には連合国)が、どのようなことがあっても日本に強要したのは「武装放棄」だった。
だから二度と戦争はしないと誓わせた日本国憲法を制定させた。
ところが1950年に朝鮮戦争が始まると方針を180度転換し、自衛隊の前身である警察予備軍を作らせ、日米安保条約を締結させて、日本の軍備を誘った。
以来、日本は自衛隊を持ちながら、不戦の誓いを立てて、こんにちまで至っている。
しかし、中国の強国化に伴い、アメリカはついに「日本がアメリカとともに戦う国(抑止力を持つ国)」になってほしいという考えを持つに至ったのである。
52年に日本人として激しい虐めの中で日米安保条約を受け止めた筆者の目には、あのときの変化に匹敵する大きな変化が今、日本で起きつつあるのが。身震いするほどの痛切さとして映る。
矛盾を孕んでいようが、どうだろうが、ともかくアメリカは弱体化し、自分が中国に対して相対的に不利にならないように日本を頼り始めたのである。
日本はついにアメリカと対等になり、「世界の平和と安定のために!」、新しい日米関係における世界の秩序の中に組み込まれていく。
いや、受動系ではない。
日本が新しい「世界秩序(?)」を形成する主体となり始めているのである。
その意味での、歴史の新しいページが開かれようとしている。
(真夜中なので、29日の夜が明けてから書こうと思ったが、半世紀前の筆者が、それをとめてはくれなかった。ミス入力が多いと思うが、お許し頂きたい。)