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中国人にとっての李香蘭

遠藤誉中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士

中国人にとっての李香蘭

9月7日、李香蘭(山口淑子さん)が亡くなられた。習近平は80年代、テレサテンの歌を「こっそり」聞くのが大好きだったが、「夜来香」を通して李香蘭を聞いていたことになる。反日政策を展開する中国だが、今般は中国人にとっての李香蘭と筆者自身にとっての李香蘭に関して述べたい。

李香蘭は1920年生まれで、94歳という長寿を全うされた。気高いほど美しかった彼女は、日中戦争時代、中国人として映画界で活躍。映画の内容に対しては日本帝国主義のプロパガンダとして批判的なものがあったが、それでも彼女の美貌と澄んだ歌声に、多くの中国人が魅了された。日本敗戦後は「中国人を侮辱し、日本人におもねた中国人」として漢奸(ハンジェン)(かんかん)扱いされ、売国奴と罵られた。最終的には日本人であることが証明され46年に日本帰国を果たしている。

その李香蘭の歌に「夜来香」(イェライシャン)や「何日君再来」(いつの日か君また帰る)などがあるが、80年代以来日本に留学してきた中国人留学生の世話を大学でしてきた筆者は、いくつも驚くべき現象に出くわしたことがある。

80年代の留学生は文化大革命(1966年~76年)のせいで10年間大学が閉鎖されていたため、30代半ばか後半という者が多かった。ときどき留学生を集めてパーティなどを開催してあげると、喉に自信のある者が歌を歌い出す。京劇を歌うのが得意な女子留学生が、あるとき「夜来香」を歌ったのである。その後、「何日君再来」を歌う者も現れた。

筆者が中国で日本の敗戦を迎えたあと、特に中国共産党による中華人民共和国(現在の中国)が誕生したあとは、李香蘭の名前だけでなく、その歌も厳しく禁止された。筆者の家族と親しかった初老の台湾系中国人の場合は、李香蘭のレコードを持っていたというだけで逮捕され、そのまま消息不明となっているほどだ。

◆習近平も聞いた「夜来香」

その歌を中国人留学生が歌うことに非常な違和感を覚えたのだが、聞けば、「あら、これ、テレサテンの歌よ」と、あっけらかんとしていた。

たしかにテレサテンが歌い、中国大陸でも「秘かに」ヒットしていた。

80年代の初め、習近平は車の中で聞けるテープレコーダーで、テレサテンの歌を「こっそり」聞くのが大好きだったから、彼もまた「夜来香」や「何日君再来」を聞いていただろう。反日の国策に燃える習近平だが、テレサテンの声を通して、「こっそり」聞いていたのが、「漢奸」と呼ばれた李香蘭の歌であることを認識していただろうか。

今般の李香蘭の訃報に接し、中国のネットを見ると、ほとんどが肯定的だ。日中戦争時代の若かりし李香蘭の美しく高貴な写真が貼り付けられているせいもあるかもしれないが、若者たちの「こんな美しい人がいたのか」「なんてきれいなんだ」といった賞賛や、「えっ、彼女、日本人だったの? 知らなかった」「彼女は侵略戦争時代の悔いを改めて、小泉の靖国神社参拝を批判したから立派だ」とか「彼女は中国人が最も好きな日本人ではないか」といったものが目立つ。中には「彼女の言った言葉で最も素晴らしいのは“日本は私に生命を与えたけど、中国は私に中華の心を与えてくれた”と言ったことだ」というのもある。

◆筆者にとっての李香蘭

日中戦争時代、李香蘭が所属した長春の旧「満映」(満州映画協会)は、筆者が生まれた家のすぐ近くにあった。筆者自身、李香蘭の「満州姑娘」(満州娘)や「蘇州夜曲」「夜来香」などを聞いて育ったものだ。

日本が敗戦になると中国国内では46年から国民党と共産党との間の国共内戦(革命戦争)が激化したが、国民党が占拠していた長春市は共産党軍(八路軍、のちの中国人民解放軍)によって食糧封鎖された。市全体が鉄条網によって囲まれてしまったのである。この封鎖網を「●子(チャーズ)」(●は上下を上下にくっつけた文字。峠のつくり)という。市内では餓死者が続出し、48年9月、筆者らの家族はその鉄条網を潜って長春を脱出しようとしたが、鉄条網は二重になっており、八路軍側の門は閉ざされたままで、中間地帯は餓死体で埋め尽くされていた。筆者は餓死体の上で野宿し、恐怖のあまり記憶を失った経験がある。

この「チャーズ」の門は旧「満映」のそばにあった。筆者は「満映」の建物を左に見ながら「チャーズ」の奥へと進んでいった。

その建物の中には、少し前まで李香蘭や森重久弥がいたのだ。

84年に『●子(チャーズ) 出口なき大地』(絶版。2012年に『●子(チャーズ) 中国建国の残火』)を上梓したとき、時事通信社におられた藤原作弥さん(のちに日銀副総裁)が『満州少国民の戦記』をお出しになって、二人の記事が横に並べて新聞に大きく載ったことがある。以来、藤原さんとは家族同様の交流が続いているが、彼はその間、『李香蘭 私の半生』を山口淑子さんと共著で出版なさった。

ここのところ、山口さんのお体が芳しくないというお話を伺っていたが、実に立派な生涯であったと思う。藤原さんを通して、一層近い存在となった李香蘭のご冥福をお祈りする。

中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士

1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。中国問題グローバル研究所所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。日本文藝家協会会員。著書に『中国「反日の闇」 浮かび上がる日本の闇』(11月1日出版、ビジネス社)、『嗤(わら)う習近平の白い牙』、『習近平が狙う「米一極から多極化へ」 台湾有事を創り出すのはCIAだ!』、『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』、『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』、『 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』など多数。

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