「1万人を火星に連れて行く」と宣言した少年が宇宙の第一歩を踏み出すまで。『星宙の飛行士』
2027年、日本から人を乗せて宇宙へ行こうとする計画がある。東京理科大学の米本浩一教授が率いるSpaceWalkerは、有人宇宙船「Nagatomo」による弾道宇宙飛行での観光旅行の構想を持っている。SpaceWalkerの顧問であり長く三菱重工業でH-IIAロケット開発を率いた淺田正一郎氏は、「2027年なら間に合いますよね?」とあるシンポジウムの席で宇宙飛行士に宇宙船への搭乗を要請したことがある。JAXAの油井亀美也宇宙飛行士だ。
油井亀美也さんは、航空自衛隊のF-15戦闘機パイロット、テストパイロットとして活躍後、2009年にJAXAの宇宙飛行士候補として選抜され、2015年7月から国際宇宙ステーション(ISS)第44次/第45次長期滞在クルーとして約6カ月のISS滞在を行った。
自衛隊テストパイロットとしての経歴を持つ宇宙飛行士といえば、NASA初の有人宇宙計画で活躍したテストパロットを描く映画『ライトスタッフ』さながらだ。日本が有人宇宙船を開発するとなれば、パイロットとして開発参加への期待も集まる。
2018年に開催されたイベント「ロケット交流会2018」の席で、テストパイロットとしての経歴から有人宇宙船への搭乗を求められた油井宇宙飛行士は、意欲的に応じながらも「テストパイロットは簡単には飛びません。何ヶ月も前からエンジニア、科学者の意見を聞き、さらに何ヶ月も前から練習して飛行に臨みます。もうこれ以上できることは神頼み、というくらいまで失敗の可能性を極限まで減らします。最初は臆病でよいのです。臆病なほうが危険に気がつきます。これ以上できることはない、となった時点で勇気を振り絞って飛ぶ。それが有人宇宙開発を引っ張る原動力になると思います」と述べた。
宇宙へ行きたいと強く想い、実際に宇宙へ行く希望を果たした人物だからこその慎重な言葉は、自身のISS滞在経験とこれまでを綴った『星宙の飛行士』(油井亀美也、林公代著、実務教育出版)にも現れている。
第4章「『空』から『宙』へ」には、「自衛隊時代も毎回フライト前には、帰ってこられないことを意識して準備を怠らず」「宇宙から地上に帰る際の大気圏再突入では、少しでも進入角度を間違えば、大事故につながります」との言葉がある。
実感のこもる言葉だが、それでも長野県のレタス農家で育った少年時代に「地球の1万人を火星に連れて行く」と宣言し、宇宙飛行士や天文学者になりたいという目標に向かって歩み続けたのはなぜか。20年以上、日米露、多数の宇宙飛行士を取材し続けた林公代氏の文から見えてくる。
第2章「撮影の舞台ウラ」、第3章「儚い水の惑星・地球」には、ISS滞在中に宇宙飛行士として多忙な実験ミッションや補給機「こうのとり(HTV)」5号機キャプチャの合間を縫って、宇宙から地上を、また宇宙から宇宙を撮影し続けた様子が写真そのものから撮影手法まで紹介されている。
天文学者を、また一時は気象予報官を目指したエピソードがそこからも見えてくる。科学が好きで物理学を真剣に学び、地上から空を、またその上の宇宙を知りたいと思うからこそ、テストパイロットとしての手法でそれを実現する手段を一歩一歩実現したいと油井亀美也宇宙飛行士は思っているのではないだろうか。
もうひとつ印象深いのは、ソユーズ宇宙船に搭乗する宇宙飛行士としてロシア語を学び、ロシアで訓練を受けたエピソードだ。元自衛官としてロシアという国には心理的隔たりがあった油井宇宙飛行士が訓練やISS滞在を通してロシア人クルーや宇宙開発に携わる人々と親しくなっていく。油井宇宙飛行士に限らず、2009年選抜の金井宇宙飛行士、大西宇宙飛行士からもロシア人クルーが宇宙を楽しむ懐の深い人物であるエピソードを聞くことが多いように思う。宇宙飛行士は、意外に「ロシアへの窓」でもある。