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「医者は自分には抗がん剤を使わない」は本当か?

中山祐次郎外科医師・医学博士・作家
(写真:アフロ)

「医者は、自分ががんになったら抗がん剤を使わない」

そんな見出しを、本や雑誌の記事で見かけることがあります。がんを専門とする医師としては「なぜ抗がん剤だけ? 手術や放射線はどうなの?」と思うのですが、それでもたしかにそういう視点はありうるな、とも思います。

ここで私の本音を申し上げます。私ががんになったら、どうするか? まず間違いなく抗がん剤を使います。その理由をお話ししたいと思います。私は大腸がんの治療を専門とする外科の医師です。

抗がん剤を嫌う理由

まず、がん治療の世界には「標準(ひょうじゅん)治療(ちりょう)」と呼ばれているものがあります。これは、医師が治療の指針として重視している「ガイドライン」と呼ばれるものに載っている治療のことです。「標準」という言葉にはなんだか「松竹梅」で言えば「竹」という「中くらい」の雰囲気が漂いますね。しかし、実は標準治療とは「松」つまり最上級の、という意味になるのです。この字面のせいで誤解している方がとても多いのですが。

では「標準治療」はどうやって作られるのでしょうか。まず専門家が20人ほど集まり、チームを作ります。そして世界中の研究結果を集めて、「どの治療が最善か」を客観的に検討し、日本の実情に合わせた上でまとめます。「大腸癌治療ガイドライン」では、1万2000本もの論文を吟味し、その中から、2320本の論文を選んでいます。そこには「メンバー間で合意に至った」や「意見がわかれた」という細かい議論の内容も書き込まれます。これなら一人の医師が自分の頭で考えた治療よりはるかに信頼できますよね。

私が「まず間違いなく抗がん剤を使う」と申し上げた意図は、正確に言えば「まず間違いなく、『現在の最善の治療である標準治療』を使う」です。がんの標準治療には、ほぼ必ず抗がん剤による治療が入っています。抗がん剤だけを嫌がって使わないということはありえません。そういった意味で、私は「なぜ抗がん剤だけ忌み嫌うのか?」と思ってしまうのです。

賄賂があるのではないか

ここに反論を加えようとすると、こんな意見がありえるでしょう。

「ガイドラインを作っている医者は、製薬会社から金をもらっているから信用ならないんじゃないか」

実はこれは、ある意味でもっともな指摘です。がんに関するガイドラインの作成委員と呼ばれる専門家たちの多くは、抗がん剤を作っている複数の製薬会社からお金を受け取っています。ただし、お金といっても賄賂ではありません。多くは、講演の謝礼金と研究助成費です。

このような形でお金をもらうと、「○○製薬を推薦しておこう」となるのではないか、という憶測がはたらきますよね。もちろん影響はゼロではないとは思いますが、それほど甘くはありません。ガイドラインは非常に大きな規模の研究結果をもとに作られていますから、一社だけが利益誘導に走るような作り方をしたらユーザーである医師たちにまず間違いなくバレるでしょう。そしてガイドラインの中身はメンバー個人の主張によって決まるのではなく、効果があるかどうかの論文で決められます。メンバーは通常10人以上ですから、少数の異なる意見は重視されにくいのです。

さらに、ガイドラインによっては、「この委員は○○製薬から年間50万円以上を講演の謝礼金として受け取っている」と公開しています。

たとえば、抗がん剤やホルモン療法など薬を使うことが多い乳がんのガイドラインを見てみましょう。ガイドライン作成委員のある医師は「講演料や会議出席の謝礼」の年間合計50万円以上の会社としてA社・B社・C社を、「パンフレットなどの執筆原稿料」年間50万円以上の会社としてC社を公開しています。

「え、そんなにもらっているの?」

と思う方がいるかもしれませんが、ここまで詳細に公開していることは、むしろ誠実ととらえられると私は思います(とはいえ、講演の実状は、一般の医師を対象とした、その会社の薬の販売促進のための講演会であることが多いので、真っ白とも思えませんが)。

ディオバン事件はなぜ起きた?

これらの理由から、ガイドラインを作る人たちがお金を製薬会社から受け取っていることは、ガイドラインの中身にそれほど大きな影響はないと言えるでしょう。

しかし一方で、製薬会社はこういう医師を「落とす」ということを戦略的にやっている点も書いておかねばなりません。影響力と発言力のある、大学教授やがんセンター部長のような医師は、KOL(Key Opinion Leader)と呼ばれます。このKOLをおさえて販売促進を図ることは、製薬会社の重要な販売戦略の一つです。

私がいち医師として講演会に参加すると、「あれ、あの先生、こないだはライバル薬を売っている製薬会社の講演会で話していたのに、ずいぶん変わり身が早いものだ」という現象を目にします。まあ、こういう会では効果のないものをあるとして話すのではなく、効果のある使い方のようなアピールの仕方になるのですが。

一方、研究に関連したお金は基本的にはグレーではなく、問題ないという印象を私は持っています。なぜなら、薬の開発は製薬会社なしに行うことは不可能に近いからです。ある薬の効果を確かめたいなら、何百人分もの薬と、さらに億単位の莫大な額のお金が必要です。企業なしでは研究そのものが行えないのです。

しかし、これを逆手に取った事件がありました。元製薬会社社員が研究データをいじってしまった「ディオバン事件」です。これは、ディオバンという血圧の薬を作る製薬会社ノバルティスファーマ社の社員が、医師が主導した研究で、自社の都合のいいようにデータを改ざんしたというもの。衝撃の事件でしたが、規制する法律がないとして一審、控訴審ともに会社も社員も無罪になりました(一審ではデータ改ざん行為は認定されています)。その後、新しく法律(臨床研究法)ができた結果、医師だけでは資金面で研究が難しくなってしまいました。

製薬会社は悪か

この事件の影響をどう考えるか。がんに携わる医師としては非常に難しいところです。なぜなら、抗がん剤なくしてがんの治療は成立しないからです。ですから、がんの医師にとって製薬会社はタッグを組むべき仲間だとも言えます。非常に苦しいところです。しかし、それでも本音を申せば、「製薬会社はあくまで営利企業」と見ざるをえないと私は今考えています。もちろんお金を稼がねば会社はつぶれ、薬が作れなくなって不幸になる人が発生します。ですからビジネスそのものを否定するわけではありません。

それでも、自社の利益を目指す企業は、時に患者さんの利益を最大化する方向から少しズレることがあります。そのことにお互い自覚的になり、最適の答えを探していくことがこれからの医療界─製薬業界には求められていくでしょう。

シロ、グレーいずれとも言い難い私の主張になりましたが、まさに現在、製薬会社と医者の関係はそのようなものであるということをお伝えできればと思います。

(本記事は「がん外科医の本音」(SBクリエイティブ 2019年6月 中山祐次郎著)より抜粋、一部改変して掲載しています)

外科医師・医学博士・作家

外科医・作家。湘南医療大学保健医療学部臨床教授。公衆衛生学修士、医学博士。1980年生。聖光学院中・高卒後2浪を経て、鹿児島大学医学部卒。都立駒込病院で研修後、大腸外科医師として計10年勤務。2017年2月から福島県高野病院院長、総合南東北病院外科医長、2021年10月から神奈川県茅ヶ崎市の湘南東部総合病院で手術の日々を送る。資格は消化器外科専門医、内視鏡外科技術認定医(大腸)、外科専門医など。モットーは「いつ死んでも後悔するように生きる」。著書は「医者の本音」、小説「泣くな研修医」シリーズなど。Yahoo!ニュース個人では計4回のMost Valuable Article賞を受賞。

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