ジャルジャル、バカリズム、蛙亭……あの芸人はネタをどうつくるのか? それぞれの「0→1」のスタイル
テレビや舞台で目にする芸人たちのネタ。漫才やコントなどのかたちで披露されるそれは、笑いはもちろんのこと、私たちに驚きをとどけることもある。どうやってこんな設定を思いついたのか? なぜこんな発想ができたのか? そんな疑問を抱いた経験がある人は多いのではないか。
この記事では、そんな芸人たちのネタづくりについてまとめてみたい。主な情報源は、テレビで当人たちが語った内容だ。
ただ、以下をご覧いただくにあたり、いくつか注意を。
発言内容は当時のものあって、現在では別のつくりかたをしている芸人もいるかもしれない。ネタによってつくりかたがちがう場合もあるかもしれない。芸人ゆえの証言の誇張などもあるかもしれない。そういった可能性がある点については、差し引いて読んでいただきたい。そしてなにより、ネタの第一のおもしろさは創作のプロセスではなく、ネタそれ自体にあるということ。その点も心に留め置いていただければ。
あの芸人はどうやってネタをつくっているのか。いわば「0→1(ゼロイチ)」を生み出す芸人たちのスタイル。それぞれの芸人がたどりついた方法論は多様だが、共通点をあえて抽象的にまとめるとしたら、開くことと閉じることのバランスにあるように思う。
相方との会話でつくる
2005年の『M-1グランプリ』ではじめて決勝に進出し、その勢いのまま優勝をはたしたブラックマヨネーズ。彼らはそれまで、すべて吉田敬が1人でネタを考えていたらしい。しかし、M-1で準決勝敗退がつづき、行き詰まりを感じるなか、吉田はあることに気づいたという。
吉田が1人でつくっていた漫才と、相方の小杉竜一と一緒にやっていたラジオ。両者はなにがちがったのか。それは、ラジオでは吉田は吉田の言葉でしゃべり、小杉は小杉の言葉でしゃべっていたことだ。
他の誰でもない吉田と、やはり他の誰でもない小杉の会話。それを元にしたネタでブレイクスルーをはたした結果、彼らはM-1で栄冠をつかんだ。
1人でネタを書くタイプの芸人も、他でもない相方の存在が創作の起点になる場合があるようだ。たとえば、FUJIWARA。ネタづくり担当は主にフジモンこと藤本敏史だが、そのネタの創作は「原西にこんな動きさせたらおもろいな、こんなこと言わせたらおもろいな、っていうのを脳内で動かして。それを口頭で伝える」というかたちをとるという(『お笑い実力刃』テレビ朝日系、2021年5月26日)。
また、博多華丸・大吉でネタを書くのは博多大吉だが、ネタづくりの際は博多華丸が言いそうなセリフをイメージするらしい。
即興でつくる
自分たちのYouTubeチャンネルに、毎日、新作のコント動画をあげているジャルジャル。彼らは、だいたい1か月で150本のネタをつくるという。そんな驚異的な量はどのように生み出されているのか。
彼らのネタづくりは、沈黙からはじまる。2人きりの部屋で、どちらかが何かを思いつくまでじっと黙り続ける。後藤淳平はいう。
一方が仕掛け、他方が応える。彼らはそんなアドリブを延々と続け、結果をメモしていく。そのあいだ、話し合いはまったくしない。なぜなら、話し合いを始めると煮詰まるからだ。ある程度メモがつくられると、2人はやはり世間話もなくそのまま帰っていくという。
もちろん、このようにしてつくられたコントは、まだ”種”のようなものだろう。単独ライブの際には、メモのなかから使えそうなものを選び、本ネタに仕上げていくらしい。本ネタになるのは100本のうち1本あればいいほうで、残りはYouTubeに投下されるそうだ(『ワイドナショー』フジテレビ系、2020年10月4日)。
こんな作業を、彼らはずっと続けてきた。ジャルジャルを近くで見てきた同期の橋本直(銀シャリ)は語る。
舞台上でつくる――漫才の場合
即興でネタをつくる。しかもそれを本番でやる。そんなスタイルの芸人も少なくない。アンタッチャブルは、いくつかのキーワードだけを決めておき、そのあいだを本番のアドリブで埋めるなかでネタが徐々にできあがっていくという(『内村&さまぁ~ずの初出しトークバラエティ 笑いダネ』日本テレビ系、2020年1月1日)。兄弟漫才師のミキも、新ネタは3~4割だけ覚え、あとは本番で出てきたアドリブを本ネタに取り込んでいくらしい(『笑いの創造神たち』NHK総合、2021年3月20日)。
ダウンタウンもまた、そういったかたちでネタをつくってきたようだ。
このようなネタづくりはある意味で、舞台上でアドリブも含めたなんらかの”アクシデント”を発生させ、おもしろいものをネタに組み入れていく作業といえるかもしれない。それを意識的に行っているのがモグライダーだ。
2021年のM-1で決勝に初進出し、美川憲一のネタで会場を沸かせたモグライダーは、ボケ役のともしげの”不器用さ”が魅力のコンビだ。彼は必ずといっていいほどネタ中に噛んだりトチったりしてしまう。だったら、ちゃんと台本を作って、しっかり練習もして――とふつうは考えるが、しかし、ともしげがほぼ必ずトチってしまうからこそ、彼らははっきりとした台本をつくらない。本番前の練習もしない。ツッコミ役の芝大輔は語る。
舞台にあがるまえに台本をつくっているコンビでも、舞台はネタをブラッシュアップする場として機能する。ダイアンの場合、ネタはボケ役のユースケが1人で台本として書く。ツッコミ役の津田篤宏は、台本を受けとるだけだ。そんな津田も、ユースケが書いた台本のなかに「これはちょっと厳しい(=ウケない)やろうな」と感じる箇所があったりするという。しかし、自分からは修正を提案しないらしい。津田は語る。
舞台上でつくる――コントの場合
以上のような舞台上でのネタづくりは、比較的自由がききやすい漫才だからできるやりかたといえるかもしれない。しかし、それをコントでやってしまう芸人もいる。蛙亭だ。
蛙亭が新ネタをつくる際、コントの設定を考えるのはイワクラだ。しかし、その設定が相方の中野周平に伝えられるのは、だいたい本番直前である。『セブンルール』(フジテレビ系、2021年12月7日)でイワクラが密着された際、カメラに収められた本番直前の”ネタ合わせ”は次のようなものだった。
2人のあいだで交わされるのは、ネタの設定や簡単な流れについての短いやりとりだけ。にもかかわらず、本番ではちゃんとオチがあるネタが披露されたりする。
もちろん、そんな蛙亭も同じコントを何度か舞台にかけるなかで、少しずつネタを磨き上げ、確定させていくのだろう。それにしてもイワクラの直前の指示に対応できる中野のアドリブ力には驚くが、本人はほとんど内容がない指示の場合でも「僕からしたら十分だった」「めっちゃやりやすかった」と語っていたりする(『凪咲と芸人~マッチング~』テレビ朝日系、2022年2月8日)。特にやりやすいのは、自分から遠いキャラクターのようだ。
モノを先につくる
少し特殊かもしれないが、モノを先につくるタイプの芸人もいる。たとえば、天竺鼠の川原克己は語る。
あるいは、もう中学生はダンボールを見つめるうちにネタの着想が浮かび上がってくるという。そして、実際にダンボールでいろいろつくったうえで、ネタのセリフを考えていくらしい。
川原にしても、もう中にしても、その話をどこまでまともに受けとっていいのかは難しい(もう中の場合は2022年2月現在、ちょっと別の問題もある)。が、とりあえず何か形のあるモノをつくってみるという方法は、創作のとっかかりとしてありえる気もする。
友近の場合も、ネタをつくるまえにライブのタイトルやフライヤーを先につくってしまうことがあるという。これは自分で自分にプレッシャーをかけるという意味もあるようだが、先にタイトルをつけてしまうことで、そこからコントのキャラクターが立ち上がってくるらしい。
ぼーっとしてつくる
最後に、バカリズムのネタづくりについて紹介したい。どうやってこんな設定を思いついたのか? なぜこんな発想ができたのか? そんなネタを量産する代表格といえるかもしれない彼は、特にネタづくりのためにメモを書きためておくといったことはしないという。
また、ネタのアイデアは「ぼーっとしてるときに思いつく」という。たとえば、「都道府県の持ち方」というネタは、家にたまたま貼ってあった日本地図を、ぼーっと見ているときに思いついたという。
彼はときに「ぼーっとする」ことで、ネタの芽のようなものを思いつく。そのあとは、設定をギャップのあるものに置き換えるなど、ロジカルに詰めていく作業になるようだ。
そんなバカリズムが語るウケるネタのつくりかたは、ある意味で身も蓋もない。
それぞれの「0→1」のスタイル
あの芸人はどうやってネタをつくっているのか。「0→1(ゼロイチ)」を生み出す芸人たちのスタイルは他にも、作家を含めたチームで考えたり、ビジネス系のフレームワークをつかったり、ふざけ合いから始まったり、音楽を起点に考えたりなどさまざまある。
そんなさまざまなスタイルをあえて抽象的にまとめるとしたら、ひとつには、自分や自分たちの外側に向けて開く、という点にあるのかもしれない。自分の外側にいる相方や、ぼーっとすることで起動する無意識。あるいは、自分たちの外側にいる客や、物質的なモノ、アドリブもふくめた偶然――。そんな外部に開くなかで、自分や自分たちのそれまでの限界以上の新たな発想がうまれるのではないか。
他方で、矛盾するようではあるが、それは自分や自分たちの外側に向けて閉じる、ということでもあるかもしれない。相方に当て書きする、話し合いをしない、後にひけない舞台のうえに立つ、本番直前にネタの設定を聞く、とりあえずモノをつくる、メモをつけず自分の記憶に残っているものだけを頼りにする――。それらは、無限にありうるネタの着想に制限をかけるしかけ、さまざまに広がりうる可能性を有限化するためのしかけのようにも見える。
相方をイメージすることでネタの方向性が定まり、それ以外の可能性が取り除かれる。取り消せない舞台上のアドリブが、その後のネタの展開を枠づけていく。それは、ネタづくりにあてられる時間的な制約をクリアするためかもしれないし、制約をもうけた状況がむしろおもしろい発想のための苗床になっているのかもしれない。
開きつつ閉じる。閉じつつ開く。そんな閉じることと開くことのバランスがたどりついた先。それぞれの芸人たちのネタづくりのスタイルは、そういうもののように思える。
――とかなんとかいいつつも、たとえばコウメ太夫のネタなどをみると、どうやってつくってるんだ……と改めて頭をかかえる。そしてやっぱり笑ってしまうのだ。