駅名の由来は江戸の下谷長者町? 青地ホーロー看板が映える木造駅舎 外房線 長者町駅(千葉県いすみ市)
千葉駅を起点に、大網、茂原、一宮、大原、御宿、勝浦、鴨川といった房総半島東岸の街を結んで走る外房線。平成に入ってから駅舎の簡素化が進んだものの、関東地方の中では比較的に昔ながらの駅舎が残っている路線だ。その一つがいすみ市にある長者町(ちょうじゃまち)駅。年季の入った駅舎には、国鉄時代からの青地ホーロー看板が掲げられている。駅舎の築年は不詳だが、回廊付きの形状から見て開業時のものかもしれない。新しくとも前のものであるのは確かで、幅はあるが築80~125年といったところだろう。
長者町駅は明治32(1899)年12月13日、房総鉄道の一ノ宮(現:上総一ノ宮)~大原間延伸時に開業。駅名の由来は明治の町村制まで当地に存在していた夷隅郡長者町だ。長者町は町村制で周辺の村と合併した際、「旭が昇るように栄えるように」との思いを込めて夷隅郡旭町と命名されたが、同じ県内の海上郡旭町(現:旭市)との混同を避けるべく、駅開業翌年の明治33(1900)年7月25日に改称して、長者町の名が復活した。もし、駅名が開業時の町名から取られていれば「上総旭」あるいは「夷隅旭」となっていたかもしれない。
さて、ここで気になるのが当地の「長者町」という縁起のよさそうな駅名だ。「長者」といえば、昔話などでよく耳にする「お金持ち」などを意味する単語だが、地名の由来になるようなお金持ちがいたのだろうか。
だが、実はこの地名、元々当地についていた地名ではなく他所からもらってきた地名なのだ。江戸時代の万治年間に、当時の上総国大多喜藩主・阿部播磨守正能の邸があった江戸の下谷長者町の地名にちなんで名付けたとされている。下谷長者町は現在の台東区上野三丁目・五丁目にあたり、安土桃山時代の天正年間に朝日長者永昌という長者の邸があったことがその由来とされている。
下谷長者町は、昭和39(1964)年の町名改称で消滅してしまったが、そこから名前をもらった夷隅の長者町の方は駅名となったがために今もその名を伝えている。800年以上前の朝日長者もまさか自分に由来する駅名が夷隅の地に残るなんて思いもしなかっただろう。
そのような経緯で下谷長者町から地名をもらった夷隅の長者町は、かつては柴胡(さいこ)という草に覆われた無人の野で、柴胡原と呼ばれていたが、のちに江戸から安房へと向かう宿場町ができて栄えた。
長者町は昭和36(1961)年8月1日に太東町と合併、夷隅郡岬町となっている。太平洋に突き出した太東岬に由来する町名だが、役場は太東ではなく長者に置かれている。岬町は平成17(2005)年12月5日に大原町・夷隅町と合併していすみ市の一部となった。行政としての長者町も消えてから60年以上が経つが、駅の所在地は「いすみ市岬町長者」で、駅名とともにこれからも長者町の歴史を伝えていくことだろう。
かつての岬町の玄関口だけあってか、駅舎内には簡易委託の窓口も設置されている。営業時間は9時20分から16時30分で、筆者が訪問した朝の時間帯にはまだ開いていなかった。
構内は相対式2面2線。駅舎側の1番線が大原・安房鴨川方面で、反対側の2番線が上総一ノ宮・千葉方面だ。東浪見駅から複線となっていた線路は当駅から再び単線となる。ホームは11両まで対応している長いものだが、ワンマン化により日中は2両編成の列車しか来なくなってしまった。
かつては2番ホームのベンチがある辺りに木造待合室があったのだが、老朽化により令和5(2023)年10月4日15時で使用停止となり、その後解体されている。建物財産標によれば昭和21(1946)年4月に建てられたものだった。
朝日長者に由来する地名が巡り巡って駅名となり、合併で消えた町の名前を今でも守り続ける長者町駅。近年、千葉県内でも駅舎の建て替えが進められていることを考えれば今訪れておいた方がいい駅の一つだろう。駅舎は東向きなので、訪問は順光となる朝がおススメだ。
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