安倍首相中央アジア歴訪と中国の一帯一路
安倍首相が中央アジア諸国を歴訪している。ここはソ連崩壊後、中国がいち早く手を付け、今日の一帯一路構想を築くに至った、いわば「中国の縄張り」だ。中国の見解と日本の立ち位置、および中央アジア諸国の心理を考察して、今後の日本のあるべき姿を模索する。
◆中国の中央アジア政策と実績
1991年12月25日に旧ソ連(ソビエット連邦社会主義共和国)が崩壊すると、中国は直ちに旧ソ連から分離独立した中央アジア諸国を歴訪し、国交を結んだ。
なぜなら世界一長い国境線を有していた中国と旧ソ連は、1950年代後半から対立を始め、60年代には表面化していたからだ。1969年には軍事衝突を起こし、中ソ国境紛争にまで発展していたので、そのソ連の崩壊を中国は歓迎した。
そして分離独立した15の国のうち、ウズベキスタン、カザフスタン、タジキスタン、キルギス(キルギスタン)およびトルクメニスタンを「中央アジア」と位置付け、電撃的に訪問するのである。国境線を固めるためだ。
その電撃ぶりを、まず見てみよう。
年が明けるのを待ちかねていたかのように、1992年の1月2日にウズベキスタンを、3日にカザフスタン、4日にタジキスタン、5日にキルギスタン、そして6日の午後、最後のトルクメニスタンを訪問して国交を結び署名した。同時に少なからぬ貿易協定も結んでいる。一日一国の割合で、「総なめ」したのだ。
これらの国は、すべてその昔、シルクロードの沿線上にあった、中国にとっての「西域(さいいき)」である。まるで「ここは私の陣地」と言わんばかりの「唾付け」であった。
中央アジア5ヵ国は、経済発展する中国の東海岸とヨーロッパの谷間にあり、そうでなくとも経済破綻もしていた旧ソ連のあおりを受け、不安なスタート点に立っていた。また安全保障的にも心もとない。しかし、この地域には石油や天然ガスなど、中国にとって喉から手が出るほど欲しい宝が埋蔵されている。
それを心得ている中国は、90年代半ばになると膨大な投資を開始し、新疆ウイグル自治区の油田と結び付けて、中国全土にパイプラインを敷く巨大プロジェクトに着手し始めた。
中央アジア一帯はまた、民族が複雑に絡み、新疆ウイグル自治区にいるウイグル族とともに民族分離独立運動や宗教問題など、安全保障に関しても中国と利害を共有している。
そこで1996年に上海ファイブという協力機構を設立し、それがこんにちの上海協力機構の前身となっている。2001年に上海で第一回の会議を開催したので「上海」という名称がついているが、「上海=ビジネス」から連想する経済協力機構ではなく、安全保障機構として設立されたものだ。現在は経済貿易に関しても協力している。
参加国は中国、ロシア、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、ウズベキスタンの6カ国だが、オブザーバーとして、多くの周辺国が参加を希望したり、様子見をしたりしながら待機している。
中国は胡錦濤政権時代から重慶をスタートラインとし、ウイグルを経由して中央アジアを結ぶ経済圏を「新シルクロード経済ベルト」と称して、新たな構想を動かしていた。
筆者はかつて中国の西部開発における人材開発に関する業務に関わっていたので、早くから中国のこの動きに接していた。そのため何度か新シルクロード経済ベルトに関して発信してきたが、日本では誰も関心を払わず、「遠藤一人が新シルクロード経済ベルトなどということばかり言っているが、何のことだか…」といった反応しかなかった。2014年4月に日経ビジネスオンラインで、「いま、ドイツと北京を直通列車が走っている」という(編集者が付けた)タイトルで、習近平政権の新シルクロード経済ベルトに関して発信したが、それでも関心を示したのは某テレビ局BSの某番組だけだった。このコラムのタイトルを付けたときも、筆者がつけた「新シルクロード経済ベルト」という単語を含むタイトル名を編集者が変えたのは、そのような単語を知っている日本人はいないだろうという配慮からだった。
言いたいのは、日本はそれくらい、「中央アジアと中国」がどれだけ緊密に結びついて動いているかに関して、注目しようとはしてこなかったということである。
新シルクロード経済ベルトが日本で突然脚光を浴びたのは、2014年11月に北京で開催されたAPEC(アジア太平洋経済協力)首脳会議で、習近平国家主席がAIIB(アジアインフラ投資銀行)とともに「一帯一路」という言葉を用いて、「21世紀の陸と海の新シルクロード構想」を提唱してからのことだ。
その間、中国は着々と中央アジアに陣地を固め、2014年における貿易額は450億米ドル(約5兆5千億円)に達しており、2014年12月、李克強首相がカザフスタンを訪問し、一国だけでも300億米ドル(約3兆6千億円)の投資額に相当するプロジェクトに調印している。中国は、この一帯は「自分の縄張り」とみなしているのである。そして首脳級の会談を頻繁に行っている。
◆安倍首相のモンゴルおよび中央アジア歴訪の意義
これに対して、日本はようやく本格的に動き始めた。
安倍首相は10月22日からモンゴルをスタートとして、中央アジア各国を歴訪し始めた。50社ほどの日本企業を同行させ、インフラをはじめ、医療やレアメタルの経済交流で中国を牽制するだけでなく、安全保障問題での存在感も示す方針だと、日本のメディアは伝えている。
モンゴルとレアメタルに関して協議したことは評価される。また中央アジア5ヵ国には、天然ガスや石油だけでなく、レアメタルやレアアース(希土類)など、非常に豊富な地下資源が埋蔵されている。安倍首相がアベノミクスを進める上で、これらの国々と接触を持つことは有意義なことだろう。
ただ、そもそも日本の首相が中央アジアを訪れるのは9年ぶりで、特にトルクメニスタン、タジキスタン、キルギス訪問は初めてのことだ。
筆者が日本政府関係者に、それとなく中央アジアの重要性を伝えたのは、90年代末のことだ。ようやく日本政府が動き始めたのは2004年で、当時の川口外務大臣が「中央アジア+日本」という対話の枠組みを立ち上げた。2006年になると当時の小泉首相がカザフスタンとウズベキスタンを訪問したが、それきり中央アジアへの首相訪問はほぼ途絶えていた。一方、「中央アジア+日本」の外務大臣級の対話はその後毎年ではないものの、引き続き行われており、昨年7月にキルギスで開催された第5回の外相会合には、岸田外務大臣が参加している。
また今年の3月には「中央アジア+日本」対話の第9回高級実務者会合に参加するため、中央アジア5ヵ国の外務次官が訪日した。
か細い絆ではあるものの、中央アジアとまったく縁がないわけではない。
しかし「本格化」するのが、いかにも遅すぎる。
◆中国はどう見ているか?
10月23日の環球網(中国共産党機関紙「人民日報」の姉妹版)は、アメリカのブルームバーグ(Bloomberg News)の報道を借りて、「2014年の中国の対中央アジア投資は380億米ドルに達しているが、かたや日本は20億米ドルに過ぎない」と報道している。日本はインドネシアの高速鉄道で失敗したので、その損失を埋め合わせるためにも今回の中央アジア歴訪に力を入れていると分析している。
同日の人民日報は「中国経済網」に載った論評を転載する形で「中国は日本よりもっと強い 安倍が中央アジアに賭け事で金を賭けても対抗はできない」という論評を載せている。
◆今後、日本が進むべき道は?
今般、安倍首相はトルクメニスタンに2兆2千億円規模の経済協力を目指すことを決定し、タジキスタンではバッタのモニタリングや駆除などに約6億円のODA(=政府開発援助)の拠出をすると伝えている。
なにも中央アジアは中国の地盤と決まっているわけではないから、そこに向けて動き始めたのは悪いことではない。特に日本国民に利益をもたらすビジネスを展開するのは歓迎すべきだろう。
しかし、あの巨額の「ばらまきチャイナ・マネー」に対して、日本も「金」で、というのは控えた方がいい。
「大河の一滴」に相当する効果があるのなら、チャイナ・マネーの「大河」に「一滴」のジャパン・マネーを注ぐのも悪くなかろう。しかし現状では「金額」で勝負に出ても日本国民の利益につながるとは思いにくい。金で勝負するなら、中国はもっと巨額のものを注ぎ、中央アジア諸国は漁夫の利を狙うだろう。
そういうことではなく、遅すぎたとはいえ、技術提携とか安心といった、中央アジア諸国の心理を読むことが不可欠だ。
かつてはソ連に併合され、今は中国の属国になりそうなこれらの国々は、その意味での、ある種の「不安」も抱えており、新たな「光」を求めているはずである。
中央アジア5カ国は、旧ソ連という「共産主義政権」の下で苦しみ、そこから独立した国々である。
今はロシアとも、共産主義政権の中国とも仲良くやってはいるが、彼らのメンタルとして「共産主義」が好きだろうか?
そのことに注目するといい。
現に日本時間の25日、ウズベキスタンのカリモフ大統領は日本の関与を「最も透明で効率的な動きをしている」と高く評価している。
また多くの民族や宗教が入り混じっているため、安全保障を確保する目的で、前述したように中国と上海協力機構を構成している。中国にとってはウイグル人の反乱を抑えるためにも利用しているが、中央アジア諸国の多くは、乱れを生じさせないために、実はかなり大統領権限が強い共和制を布いている。
以上の要素を複合的に考慮し、これからは首脳同士の接触を緊密にして、「金」ではなく、日本の最先端技術とさまざまな「安心」における協力を進めていくといいのではないだろうか。