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いじめ、孤立、非正規……生きづらさを抱えた若者たちが教皇フランシスコに出会った

飯島裕子ノンフィクションライター
教皇と握手を交わすカチュエラ・レオナルドさん(20歳) (c) CBCJ

「遠い国から来られたはずなのに僕たちのリアルを何でこんなにもわかっているんだろう」

教皇フランシスコと間近で接した若者の言葉だ。

被爆地を訪問し、核廃絶と平和を訴える姿勢に注目が集まっているが、教皇は分刻みのスケジュールの中、一人でも多くの若者に出会い、励ますことに力を注いでいた。

25日昼には東京カテドラル聖マリア大聖堂で900人規模の「青年との集い」に参加。

26日の離日直前にも上智大学の学生たちを前に話す時間を設けた。25日朝に行われた「被災者との集い」で自身の体験について証言したのも高校生だった。

日本の若者たちが抱える現実に衝撃を受けたのか、教皇は25日午後、東京ドームでのミサの中で

「日本は経済的に発展した社会だが、青年との出会いにより、社会的に孤立している人が少なくないこと、いのちの意味がわからず、自分の存在の意味を見いだせず、社会の隅にいる人が少なくないことに気づかされた」と述べている。

いじめから自殺を考えたことも

教皇が出会った若者の一人が「青年との集い」で自身の経験を発表したカチュエラ・レオナルドさん(20歳)だ。

フィリピン出身で現在は老人ホームで調理師として働くレオナルドさんは、小学4年生の時に来日したが、言葉が不自由なことから、小・中学校でいじめに遭い、何度も自殺を考えたという。

「その場にいるだけで生きていることを否定され続けている気がしました。言葉や視線、表情、見えない圧迫感からどんどん追い詰められていったんです」とつらかった体験について噛みしめるように発言。学校のみならず、ネットを含めた日本社会に蔓延するいじめや差別の問題にも触れ、どう立ち向かえばいいのかと教皇に問うた。

教皇は彼の手を握り、勇気ある発言を讃えた上で世界に蔓延する”いじめの文化”に対して、皆で力を合わせて「NO」と言い続けなければならないと繰り返した。

時に冗談を交えながら、若者たちに語りかけた(c) CBCJ
時に冗談を交えながら、若者たちに語りかけた(c) CBCJ

学校、家庭、職場には居場所がなかった

「教皇様は見えづらい問題を抱える僕たちに寄り添ってくれていると感じた」と話すのは、ホームセンターで働く水沢智之さん(32歳/仮名)。レオナルドさんの姿に自分を重ねたのだという。

「理想を述べるのではなく、つらい現実を理解し、共に立ち向かおうとしてくださる姿に包み込まれるような安心感を覚えました」

これまでの人生は決して平坦ではなかったと水沢さんは話す。

最初に歯車が狂い始めたのは高校中退だった。その後、郵便局での仕分け、倉庫での棚卸しなどさまざまなアルバイトを転々とした。家族との関係は良好とは言えなかったため、家に寄り付かず、友達の家などで過ごしていたという。

18歳の時、進学を思い立ち、一浪して大学へ。家族に迷惑はかけられなかったのでホームセンターでバイトをしながら大学に通ったのだという。

「いよいよ就活となった時、リーマンショックが起こりました。希望の就職先は見つからず、経済的に余裕がなかったので、バイト先のホームセンターにそのまま就職することに決めました」

それから約8年間、辞めたいと思いながらも何とか日々を積み重ねてきた。販売現場から店舗の備品管理の仕事、お客様サポートセンターとようやく仕事を覚えたと思うと異動が言い渡される。

「正直今も辞めたいという思いはあります。特に自分の場合、高校中退をした頃から”負け犬と思われたくない”と心にバリアをつくってしまうところがあったように思う。でも今日感じたのは『ありのままの自分でいい』ということ。『たとえ傷ついても僕には心のよりどころ、戻るべき場所があるから大丈夫』と思えるようになったんです」

青年との集い会場となった東京カテドラル聖マリア大聖堂には教皇に一目会おうとやってきた若者たちでいっぱいになった (c) CBCJ
青年との集い会場となった東京カテドラル聖マリア大聖堂には教皇に一目会おうとやってきた若者たちでいっぱいになった (c) CBCJ

30代女性の生きづらさ

同じく若者の集いで教皇に出会ったのは、高木咲さん(34歳/仮名)。

精神的に落ち込むことがあり、ここしばらくの間、働くことができなかったという高木さんも「青年との集い」に参加した一人だ。

「働いた経験もあるのですが、人間不信になるような出来事に遭遇し、どうして自分だけうまくいかないんだろうってどんどん気持ちが落ちていき、負の感情に支配されるようになっていったんです。そんな私を心配してのことなんでしょうけれど、『仕事どうするの?』『結婚は?』とか聞いてくる人もいて、30代半ば近くの女性が無職でいることの生きづらさを感じることが多かったんです」

悶々と過ごす日々の中、高木さんは教会へ行ってみることを思い立ったという。

「ミッションスクール出身で洗礼を受けていたのですが、ずっと離れていたんです」

教会に行き、励まされることはあったものの、つらい気持ちが変わることはなかった。今回、フランシスコ教皇が若者との集いを行うと知った高木さん。

「1000人近く集まる大イベントに聴衆の一人として参加できたらいいなという気持ちでした。若者に言葉を届けようとする姿に心打たれ、夢見心地のまま終わりの時間になっていました。私は通路側の席に座っていたのですが、教皇様が退場際そこを通って来られたのです。大勢の若者が駆け寄って来ました。私はもう頭が真っ白で泣いていたら、教皇様がそばに来られ、ポンポンと頭をなでてくださったのです」

その瞬間のことを思うと今も涙が溢れてくると話す高木さん。

教皇から頭をなでられたくらいで、人生の苦悩から解放されることなどないのだが、しかし「私は生まれ変わった」と高木さんは力を込める。

「あの瞬間、すべての毒が抜けたようになったんです。これまでの苦しみや悩みはこのためにあったんだって思えるほど、心がスーッと軽くなっていった。こんな私でもまた夢を持っていいんだと思えたんです。どういう形になるかわからないけれど、教皇さまから与えられた愛を別の誰かに伝えられるようになりたいと思っています」

青年との集いの終わりに、フランシスコ教皇の顔がデザインされた法被が送られた (c) CBCJ
青年との集いの終わりに、フランシスコ教皇の顔がデザインされた法被が送られた (c) CBCJ

痛みを知るあなただからできることがある

新谷葵(28歳)さんはカトリック青年労働者連盟(JOC)から「青年との集い」に参加した。登壇こそしなかったが、教皇を待つ間、会場で放映されたビデオメッセージでその活動が紹介された。

JOCは1919年にベルギーで始まった青年労働者たちのグループで世界各地に広がっている。日本でも1949年から活動がスタートし、現在も若者たちが定期的に集まり、悩みを分かち合っているという。

新谷さん自身も働きづらさや生きづらさを感じてきた一人だ。

「事務派遣、カフェ店員などさまざまな仕事を経験しましたが、うまくいかないことが多く、そんな自分が嫌でうつっぽくなっていた時期もありました」と振り返る。

そんな新谷さんの転機となったのがJOCとの出合いだった。

「仕事が長続きしない自分を責めてきたけれど、社会問題を学ぶにつれ、その仕組みを変えることも重要なのではないかと思うようになったんです」

新谷さんが何より嬉しかったのが、ビデオメッセージを観た若者から「自分も同じような生きづらさを感じていた。活動に参加したい」と連絡をもらったことだという。

「若者との集い」が開かれたのは平日の昼間。仕事が休めず、参加することができなかった若者も大勢いる。生きづらさや精神的に困難を抱える若者たちは会場に行くことすら難しかったに違いない。

教皇フランシスコと直接出会えた人、出会えなかった人もいる。

日本社会に蔓延する生きづらさの問題に対して、明確な答えが出されたわけではない。しかしそのヒントを教皇は残していったように思う。

冒頭でのいじめられた体験を話したレオナルドさんに対し、

「ないものにばかり目を向けるのではなく、人のために自分の持っているものを与え、差し出していく人生もあります。今日起き上がるのに手を貸して欲しいと求めている多くの人に、勇気を与えるため、あなたは必要とされているのです」と語りかけている。

上智大学の学生に向けたスピーチの中でも「現代社会において隅に追いやられた人とともに歩むことを忘れないように」と繰り返した。

日本では若者に限らず、多くの人々が生きづらさを抱え、孤立し、片隅に追いやられている。

しかしその状況を嘆くばかりではいけない。

痛みを知っているあなただからこそ、生きづらさに留まるのではなく、勇気をもってさらに助けを必要としている人のもとに出かけていって欲しいーーそんなふうに言われているように感じた。

ノンフィクションライター

東京都生まれ。大学卒業後、専門紙記者として5年間勤務。雑誌編集を経てフリーランスに。人物インタビュー、ルポルタージュを中心に『ビッグイシュー』等で取材、執筆を行っているほか、大学講師を務めている。著書に『ルポ貧困女子』(岩波新書)、『ルポ若者ホームレス』(ちくま新書)、インタビュー集に『99人の小さな転機のつくり方』(大和書房)がある。一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了。

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