ウクライナに対レーダーミサイルを供与したことが確定、ゲームチェンジャーとなる可能性
8月8日、アメリカのコリン・カール国防次官は対レーダーミサイルをウクライナに供与したことを認めました。種類について言及はありませんでしたが、前日の8月7日にウクライナの戦場でアメリカ製の対レーダーミサイル「AGM-88」の破片が発見されたことが報告されており、おそらくこれのことだと思われます。
対レーダーミサイルは敵のレーダー波を探知して突っ込んでいく敵防空網制圧用の高速ミサイルです。敵防空システムの地対空ミサイルのレーダーを撃破することが可能で、これまでウクライナ軍は保有していませんでした。これが新たに供与されたとなると戦局を変える存在になるかもしれません。
「BSU-60 A/B」はAGM-88対レーダーミサイルの安定翼の部品の型番です。
既に7月25日にウクライナのレズニコウ国防相が「対レーダーミサイルを受け取った」と発言してはいましたが、当時はあまり信じられていませんでした。ウクライナ空軍の戦闘機は全て東側製で、西側の対レーダーミサイルはそのままでは運用できなかったからです。
しかし実際にAGM-88対レーダーミサイルの破片がウクライナの戦場で発見されました。そしてアメリカが対レーダーミサイルのウクライナ供与を認めました。驚くべきことに既に実戦投入されて戦果を挙げているようです。
謎が深まる正体不明な発射プラットフォーム
AGM-88対レーダーミサイルは西側の空対地ミサイルであり、東側の戦闘機ではそのままでは運用できません。すると発射プラットフォームの可能性としては以下が考えられます。
- NATOの戦闘機がこっそり介入していた
- 西側戦闘機をこっそり供与していた
- 東側戦闘機を急いで改造した
- 実はAGM-88ではない
- 地対地型を急いで開発した
「NATO戦闘機が介入」は有り得ない想定です。NATO戦闘機がウクライナの戦場に飛んで来たらロシア軍に直ぐバレます。発見されたAGM-88の破片の部品はステルス機対応型ではありませんでしたので、こっそり侵入は無理です。
「西側戦闘機を供与」は期間を考えると可能性としては著しく低いでしょう。訓練を受けていないウクライナ空軍パイロットがいきなり西側戦闘機を操縦できるわけがありません。実行は可能ですが相当な訓練期間を費やさねばなりません。
「東側戦闘機を改造」は可能ですが短期間で実行するのは難しいことです。西側のミサイルを東側の戦闘機で撃てるように改造するには、火器管制システムの変更を行わねばならない上に、ミサイル搭載時の空力テストも行わなければなりません。どちらも時間が掛かる筈です。いい加減な改修では発射時にミサイルが母機に接触してしまう事故が起きかねません。
TOO(Target Of Opportunity)という、AGM-88対レーダーミサイル自身のパッシブ・レーダー・シーカーで目標からの電波を探知させてから発射する攻撃方法ならば戦闘機側の火器管制プログラムの大幅な変更は必要ありませんが(ただし発射には最低限の改修は必要)、上述の戦闘機へのミサイル搭載時の空力テストを済ませていないとやはり運用は危険なことになるでしょう。
しかしコリン・カール国防次官は「ウクライナの航空機から発射できる」「既存の能力をより効果的にする」と言っています。これはウクライナ空軍の東側戦闘機をAGM-88対応に改修したことになりますが、既に説明したように東側戦闘機を改造するには時間が掛かるはずで、俄かには信じ難い発言です。それとも空力テストの大部分を端折って最小限のテストのみ行い、いきなり戦闘投入したのでしょうか?
「実はAGM-88ではない」という可能性ですが、コリン・カール国防次官はAGM-88とは明言しておらず、仮にウクライナに供与された対レーダーミサイルがソ連製(ロシア製)のKh-31Pならばウクライナ空軍の戦闘機がそのまま運用可能である場合があります。ロシア製のKh-31Pは複数の国が購入して保有していますが、ただし通常は兵器の売買では無許可の転売は契約違反となるので、ウクライナに譲ったと発覚した場合はロシア側が激怒するでしょうし、今後の兵器売買でその他の何処の国からも信用されなくなるので、非現実的です。
しかもこの想定だと前日の8月7日にウクライナの戦場で発見されたアメリカ製AGM-88の破片は一体何なのだという謎が深まります。
「地対地型を開発」がAGM-88を想定した場合に技術的には現状で考えられる一番高そうな可能性です。ただし上述のように国防次官は「ウクライナの航空機から発射できる」という空対地型であることを示唆しています。
2018年にアメリカのノースロップ・グラマン社が対レーダーミサイル「AARGM-ER」をコンテナに搭載した地上発射型を提案しており、もしも自主開発を進めていればウクライナ向けに同様のシステムを早期に用意することも可能かもしれません。また、過去にイスラエル軍が空中発射型の対レーダーミサイルを地上発射型に改造して運用した実績もあります。
【外部参考記事】
- Northrop Grumman Shows Off Shipping Container-Launched Anti-Radiation Missile Concept | The War Zone - The Drive
- Does Ukraine Now Have AGM-88 High-Speed Anti-Radiation Missiles? | The War Zone - The Drive
ただし地上発射型に改造する場合、ミサイルを空中発射型そのままで使用すると射程は大きく落ちてしまいます。空中発射する場合は母機が速度と高度を稼いでいますが、それが地上発射型には無いからです。
もしAGM-88を地上発射型に改造する際に追加で大きなブースターを装着しているなら長い射程を期待できます。戦場の奥深くに居る長距離地対空ミサイルも狙いに行けるかもしれません。しかし開発には時間が掛かります。ブースター無しでそのまま発射する場合は改造の手間が省けますが、射程の短さから前線付近に居る短距離地対空ミサイルや中距離地対空ミサイルを狙うことが限界になってしまうでしょう。
実際にウクライナの戦場に投入された対レーダーミサイルがどのような発射プラットフォームから運用されたのかは現時点では詳細は不明です。
AGM-88対レーダーミサイルはA型からD型までHARMの名称で知られていますが、E型はAARGMと呼ばれています。F型は採用されず、G型はAARGM-ERという呼称となって射程が延伸されて、ステルス戦闘機であるF-35のウェポンベイ内に収めるために翼がコンパクトな形状に変更されました。
- AGM-88A〜D HARM レイセオン(テキサス・インスツルメンツ)
- AGM-88E AARGM オービタルATK
- AGM-88F HCSM レイセオン
- AGM-88G AARGM-ER ノースロップ・グラマン(オービタルATK)
AGM-88はテキサス・インスツルメンツが開発(後にレイセオンが買収)、E型の製造はオービタルATKが担当(後にノースロップ・グラマンが買収)、F型は不採用、最新鋭のG型は2021年8月23日に生産開始を承認。
ゲームチェンジャーと成り得る対レーダーミサイル
対レーダーミサイルは敵の電波をパッシブ・レーダー・シーカーで探知して発振源に向かって突っ込んでいく兵器です。敵の防空システムのレーダーを破壊するために、敵に気付かれて電波の発振を停止されても間に合うように超音速で飛行するミサイルです。最新型では複合シーカーを搭載して、敵が電波の発振を止めてもある程度まで接近していたら別の探知手段(アクティブ・レーダー・シーカーないし赤外線画像シーカーなど)で目標を捉えてそのまま突っ込んでいきます。
敵の防空システムのレーダーを破壊すれば防空網の制圧となり、地対空ミサイルの脅威を排除できます。味方航空機が自由に行動できる道が開けて、戦局を打開できる可能性が見えてきます。敵防空システムを制圧し、敵航空機を味方の防空システムで牽制すれば、味方航空機による空爆を敢行しやすくなるでしょう。
とはいっても敵防空システムを制圧できるかどうかは投入できる数量で決まってきます。ロシア軍には空中発射型の対レーダーミサイル「Kh-31P」や地上発射型の弾道ミサイルの対レーダー型(イスカンデルおよびトーチカUに設定がある)があったにもかかわらず、ウクライナ防空網の制圧に失敗しています。これは投入した対レーダーミサイルの数量が少なかったことが原因である可能性が高いのではないかと推測します。あるいはKh-31Pが対レーダーミサイルとしての性能が低かった可能性や、ロシア空軍の敵防空網制圧戦術が下手だった可能性もあります。
ウクライナが新たに手に入れた対レーダーミサイル「AGM-88」は、もしも大量供給されて上手く使いこなせたならば戦局を打開できるゲームチェンジャーと成り得る兵器です。それはもしかすると既に活躍しているHIMARS多連装ロケットのGPS誘導ロケット弾よりも大きなインパクトを戦場にもたらすかもしれません。