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「アップルがルネサス子会社買収」報道の裏を読む

津田建二国際技術ジャーナリスト・News & Chips編集長
iPhoneの例

4月2日の日本経済新聞一面トップに「アップルが買収交渉、ルネサス半導体子会社」という見出しの記事が出た。その日は、この真意を問う質問をよく受けた。半導体子会社とは、ルネサスが55%、シャープ25%、台湾Powerchip Groupが20%を出資して設立された液晶ディスプレイ用のドライバICを設計・製造しているルネサスエスピードライバ社のこと。

ルネサス本社は、即日「(省略)、報道されている内容は、当社が発表したものではありません。当社およびルネサスエスピードライバは更なる成長の為、譲渡を含む様々な検討を行っておりますが、現時点で決定した事実はありません」というプレスリリースを流している。

面白いことに市場は素早く反応し、2日は前日比150円高の934円まで高騰した。アップルという最高のお客に買ってもらえることが決まり、まるで株価を釣り上げるためにこの情報が伝わったかのようだ。

株式市場はさておき、この話がなぜどこから出てきたのか、想像力を働かせて考えてみよう。これからの話はあくまでも想像力を働かせたものだ。まず、この話が事実とすれば、アップルによる買収は成立しないことは火を見るよりも明らかである。理由はいくつかある。まず、アップル側から見ると、ルネサスSPを買うメリットが何もない。液晶ドライバICはそれほどのハイテク製品ではなく、液晶の1画素を動作させるだけの駆動回路にすぎないからだ。このようなドライバICは、市販で購入できるコモディティである。画素数が求めるものと違うのなら、欲しい画素数のドライバをICメーカーに発注すれば済むだけだ。

次に、アップルは、このニュースが日本で流れた途端、「ルネサスは信用できない」と思ってしまうからだ。買収交渉は、絶対に外部に漏らさない秘密裡に行われるものであり、成立する前に漏れると、秘密を簡単に漏らすような相手だとして、信用されなくなる。特に、外国企業とのやり取りは、絶対に秘密厳守だ。

ところが、日本企業の経営層や霞ヶ関上層部は、ドメスティックなやり方しか知らない。外国企業との交渉にも、日本的な事前リークによって既成事実化してしまおう、という古いやり方だ。いまだにこの手法を使っていることに呆れてしまった。日本企業同士の合併ではよくある手だ。とにかく先に既成事実化してしまうことが勝ちだとばかりに新聞記者にリークする。企業内の権力争いの場合でもこの手をよく使い、次期社長などをリークして新聞に流すのである。社長のイス争いをしている場合にはよく使われた。もちろん、当人は知らぬ存ぜぬで通す。

こういったやり方は日本国内では通用したが、海外企業との交渉中では100%失敗する。富士通は三重工場を台湾の半導体大手TSMCに買ってもらおうと、新聞に発表したものの、TSMC側は全く反応を示さなかった。この場合は正々堂々とプレスリリースでもTSMCとの話し合いをしていると述べている。ルネサスが山形工場をTSMCに買ってもらいたいときでもTSMCに先駆けて新聞に情報を流し、失敗した。TSMCからすると、本気で買収交渉をしているのなら、秘密を漏らす相手とは組みたくない。信用できない。東京エレクトロンとアプライドマテリアルズの合併のニュースは、秘密裏に行われ、成功した。

話を元に戻そう。第三に、アップルは総じて外部に情報を漏らさないように情報を管理する企業である。スティーブ・ジョブズ氏が死去した後のお別れパーティのアナウンスはメディアにさえ流さなかった。偶然、前日スタンフォード大学構内を歩いていた時にそのアナウンスを見つけたが、内輪で行うことが書かれていた。もちろん、招待状を持たない人間は会場へは入れてもらえない。

アップルの内情を暴露した人間が訴えられたことも多い。だからこそ、ちょっとした噂話を流す、AppleInsiderというウェブがよく見られている。新製品発表の日を報道関係者に知らせただけでもニュースになる。iPhone 5Sの発表の時がそうだった。アップルはApple Developers Conferenceのような正式発表の場やニュースリリース以外では決して発表しない。Googleもそれに近い。この意味で、今回の事件は、事実であればルネサスがアップルに訴えられるリスクもありうる。賠償されるリスクも覚悟しておく必要もあろう。

では誰が漏らしたのか。日経のニュースには、ご丁寧にシリコンバレー発のニュースのように扱っているが、無意味だ。ルネサスSPの関係者ではなかろう。そうならばルネサスから叱られるからだ。ではルネサス本社か、その事実を把握できる立場にある霞ヶ関か、ということになる。さもなければ、ルネサスの親会社(日立、NEC、三菱、産業革新機構など)も考えられる。ルネサスがすぐに上記のプレスリリースを流したということは、広報部が知らなかったということを意味する。漏らしたのは広報以外のいずれかであろう。そんな犯人捜しはどうでもよいかもしれない。

ルネサスはこれまでもリストラを繰り返してきた。工場閉鎖、売却、早期退職、あらゆる後ろ向きの手段を講じてきた。ルネサスSPが作る液晶ドライバというコモディティ製品の工場もさっさと売ってしまいたい。もちろん設計アーキテクチャやサービス、ビジネスモデルに力を入れるアップルにとって、工場を買う必要もメリットもない。ましてやコモディティ製品はどのメーカーに頼んでも作ってもらえる。

日本の企業経営者や官僚はもっと国際的な感覚とビジネスルールを知ってほしい。そして売却やM&Aを視野に入れた戦略を進めるのであれば、外国企業の社長同士の会やパーティ、ディナーにぜひ顔を出し、1対1でとことん話し合ってほしい。米国は、腹を割って話ができる日本の経営者を求めている。新聞記者への安易なリークはもってのほかである。

(2014/04/03)

国際技術ジャーナリスト・News & Chips編集長

国内半導体メーカーを経て、日経マグロウヒル(現日経BP)、リードビジネスインフォメーションと技術ジャーナリストを30数年経験。その間、Nikkei Electronics Asia、Microprocessor Reportなど英文誌にも執筆。リードでSemiconductor International日本版、Design News Japanなどを創刊。海外の視点で日本を見る仕事を主体に活動。

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