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北アイルランド 英当局と「癒着」の殺害事件、公的調査を行わないと政府決定 遺族は「侮辱」と表明

小林恭子ジャーナリスト
過激派に殺害されたフィヌーケン氏の妻(アイリッシュ・タイムズのウェブサイトより)

 「侮辱以外の何物でもない」。

 31年前に目の前で父を殺害されたジョン・フィヌーケン英下院議員(シンフェイン党)は、ツイッターで思いを伝えた。

 11月30日、政府が弁護士パット・フィヌーケン氏の殺害事件について、少なくとも当面は国による公的調査を行わないと発表したからだ。

 数十年前の事件が、なぜ今、問題視されるのか。

 その理由は、同氏の殺害は3000人以上が命を落とした「北アイルランド紛争」(1998年に和平合意)の中でも最も論議を呼んだ事件の1つで、殺害の背後には殺害者側と国家の間に「驚くほどの癒着」(キャメロン元首相)があったとされるからだ。

 現在でもなお、その全貌は判明していない。

 フィヌーケン氏は当時の政府の暗黙の了解のもとに殺害されたのだろうか。

日曜日の夕食時、侵入者が襲ってきた

 1989年2月12日日曜日、英領北アイルランド・ベルファースト。

 パット・フィヌーケン氏(39歳)は妻ジェラルディンさん、3人の子供たち(ジョンさん、マイケルさん、キャサリンさん)と台所のテーブルで夕食を摂っていた。

 突然、銃を持つ男たちが金づちを使って家に侵入し、台所にいたフィヌーケン氏に向けて銃を2発撃った。フィヌーケン氏は床に倒れた。子供たちはテーブルの下に隠れた。男たちはフィヌーケン氏の顔と頭をめがけて、14発連続発砲。フィヌーケン氏は即死した。跳ね返った弾がジェラルディンさんのかかとに当たった。

 子供たちの1人、マイケルさんが成人後に語ったところによると、事件は「心に焼き付いている」。最も鮮明に思い出すのは「音」だった。「一発一発の銃声が鳴り響いた。そのたびにジョンやキャサリンに強くしがみついた」。

 プロテスタント系武装組織「UDF」が殺害実行を認めた。カトリック系武装組織「IRA」の「幹部」であるパット・フィヌーケン氏を殺害した、と。

背景にある北アイルランド紛争

 北アイルランドでは1960年代後半から、当時大多数だったプロテスタント系住民と少数派のカトリック系住民との対立が激化し、互いの民兵組織がテロ行為を頻繁に繰り返すようになった。

 治安維持のために派遣された軍隊も巻き込んで、プロテスタント系武装組織、カトリック系武装組織との三つ巴の戦いが30年以上続いた。

 フィヌーケン氏の遺族は、同氏が「IRAのメンバーだったことはない」と主張しており、これまでの調査で警察もこれを認めている。

 それでも、なぜフィヌーケン氏はプロテスタント系武装組織のターゲットになってしまったのか。

どんな弁護士だったのか

フィヌーケン氏の殺害には「癒着が核心にあった」と報じる、BBCニュースの報道(BBCのウェブサイトより)
フィヌーケン氏の殺害には「癒着が核心にあった」と報じる、BBCニュースの報道(BBCのウェブサイトより)

 フィヌーケン氏はカトリック系住民だったが、カトリック系のみならずプロテスタント系武装組織がかかわったとされる事件も弁護士として担当してきた。

 しかし、IRAの大物受刑者の弁護に当たっていたのは事実で、この中にはベルファストから14キロほど離れたメイズに設置されていた刑務所で政治犯としての取り扱いを求めてハンガーストライキを決行した受刑者もいた。

 殺害の前年となる1988年3月、ベルファストでカトリック系私兵組織「IRA暫定派」による「伍長殺人事件」が発生する。

 当時、暴力闘争の中で命を落としたIRAメンバーの葬式が反対勢力から攻撃を受けるようになり、治安維持のために姿を見せる地元警察や兵士らの存在が批判されるようになっていた。

 3月16日、プロテスタント系過激派のある人物がIRAメンバーの葬式を襲撃し、その場にいた3人が亡くなり、約60人が負傷した。

 その3日後、別のIRAメンバーの葬列の場所に男性2人が車で乗り付けた。私服を着用していたが、兵士であった。兵士や地元警察は葬式を邪魔しないという取り決めができていたが、車は葬列の先頭に向かって走ってきた。兵士らは取り決めを理解していなかったといわれている。

 先の事件を想起した葬列の参加者たちはこれをプロテスタント系過激派の攻撃と解釈し、車を包囲。2人は銃を取り出して参列者に向けたが、車から引きずり出されて、殴打を浴びた。その後、近くのゴミ捨て場に連れていかれ、IRAのメンバーによって銃殺された。

 葬式は上空にいた英軍のヘリコプターやテレビ局のカメラが撮影しており、残酷な事件の様子が放送されてしまった。当時、大きな注目を浴びた。

 伍長2人の殺害を計画した人物として起訴されたのが、IRAのメンバーで、1981年のハンガーストライキに参加した、パット・マクガワン氏だった。

 フィヌーケン氏はマクガワン氏の代理人を務め、「証拠不十分」と主張。88年11月、マクガワン氏への起訴は取り消された。

 この時、マクガワン氏とともに裁判所を出るフィヌーケン氏の姿が撮影され、二重スパイであるブライアン・ネルソン氏の手によって、フィヌーケン氏の殺害実行者らに渡された。

 ネルソン氏はプロテスタント系武装組織UDAにとっての敵を絞り込む役目を果たすと同時に、英軍の諜報機関にも情報を流していた。

殺害の実行犯は誰だったのか

 1999年6月、元UDAのメンバーで、北アイルランドの警察組織「王立アルスター警察隊」(RUC。2001年に北アイルランド警察に改組)の特別部隊のスパイだったウィリアム・ストービー氏がフィヌーケン氏殺害で起訴された。

 しかし、ストービー氏は武器を調達したことは認めたものの、殺害そのものは否定。2年後の裁判では検察側の重要証人が証言を拒否し、裁判が不成立となった。無罪となって裁判所を出たストービー氏。しかし、数週間後、自宅の外でプロテスタント系武装者によって銃殺された。

 2003年、プロテスタント系過激派の1人ケン・バレット氏が逮捕された。バレット氏は殺害を自白し、04年から殺人罪で受刑したが、北アイルランド紛争の和平合意による恩赦の一環として、06年、自由の身となった。

国とプロテスタント過激派との癒着への疑惑

 フィヌーケン氏の遺族が公的調査を求めているのは、これまでの捜査では殺害における国の関与の程度が明確には見えていないからだ。

 北アイルランド紛争は、プロテスタント系住民とカトリック系住民の対立に端を発するが、それぞれの武装組織や英本土から派遣された軍隊も相まっての武力闘争となったことは、先に記したとおりである。

 カトリック系住民らが疑惑の目を向けたのは、自分たちの対立相手がプロテスタント系武装組織のみならず、その背後には国家が関与しているのではないかという点であった。プロテスタント系過激勢力と国が癒着していたのではないか、と。

 そこで、1989年、当時ケンブリッジシャー州警察の上級警察官だったジョン・スティーブンス氏(後のロンドン警視庁の警視総監)が複数の殺害事件における治安当局とプロテスタント過激勢力との癒着疑惑を調べることになった。

 この調査は終了までに14年を費やした。

 スティーブンス氏による調査報告書はフィヌーケン氏の殺害について、様々な局面で国家との癒着があったことを指摘した。

 2001年には、カナダの元最高裁判事ピーター・コーリー氏による調査が行われ、2004年、「癒着があったことを示す強力な証拠がある」と結論付けた。国内の治安維持を担当するMI5はフィヌーケン氏に身の危険が迫っていたことを知っていた、と。公的調査の必要性も記されていた。

 しかし、公的調査会設置についての新たな法律が施行された後、設置実現には結び付かなかった。

 遺族らが公的調査会の設置を継続して求め続け、2011年、政府は元国連の戦争犯罪検察人としての経験を持つデズモンド・ド・シルバ氏に独立調査会の設置を依頼した。

 ド・シルバ氏による報告書は政府の工作員が殺害に関連していたことを裏付けた。北アイルランド警察(RUC、当時)はフィヌーケン氏殺害を提案し、この情報を殺害実行犯に伝え、襲撃を止めようとはせず、のちの殺人事件の捜査を邪魔しようとしたという。

 英軍諜報部隊の一部門で、北アイルランド内のテロ組織から秘密裏に情報を取得するためにスパイや密告者を集めた「FRU」(フォース・リサーチ・ユニット)も「責任の一端を追う」と書いた。FRUのスパイの1人が攻撃対象を誰にするかの情報を集めていたからだ。

 また、国内の治安情報を集めるMI5は殺害事件の2か月前にフィヌーケン氏に身の危険が迫っていることを知っていたが、同氏の身の安全を守るための行動を起こさなかった。また、死の数年前から、フィヌーケン氏を貶めるような噂を広めることに加担していた。

 さらに、UDAが持つ諜報情報の大部分が当局から出たものだった。

 当時の首相デービッド・キャメロン氏は「衝撃的なレベルの癒着」があったことを謝罪した。

 ド・シルバ氏の報告書は「フィヌーケン氏の人権侵害及び殺害実行に対し、当局がかかわっていたことは間違いがない」としながらも、同氏を殺害するための「包括的な陰謀があったわけではない」と結論付けた。

最高裁の判断は

 フィヌーケン氏の殺害には「当時の閣僚レベルの政治家の判断があった」と主張してきたのが、妻のジェラルディンさんだ。

 昨年、公的調査を開始するよう求めていたジェラルディンさんの訴えに対し、最高裁が判断を下した。

 最高裁は、これまでの調査が不十分だったと結論付けたものの、公的調査会の設置については「どのような形の調査にするかは、政府が決定する」とし、遺族にとっては落胆する結果となった。

 11月30日、北アイルランド担当大臣バーナード・ルイス氏は「今回は、公的調査会を設置しない」旨を遺族に伝えた後、これを国会で発表した。理由は、現在、中央政府とは独立した形で、北アイルランド警察及び北アイルランド警察オンブズマンが調査を行っているからという。

 遺族は、公的調査を開始しないという決断は「最高裁の判断を愚弄するものである」、「この深い、継続する損害に対する新たな侮辱である」とする声明文を発表した。

 国際的人権擁護団体「アムネスティー・インターナショナル」は、今回の決定はフィヌーケン氏殺害事件への公的関与の全貌を悪意を持って隠そうとしているという疑惑をさらに悪化させる」とする声明文を出した。

2つの調査の実効性は?

 公的調査会を設置しないとルイス大臣は述べたが、その理由として挙げた、北アイルランド警察及び北アイルランド警察オンブズマンによる調査はどれほど進んでいるのだろうか。

 まず、警察官の行いに対する苦情を独立的及び不偏不党の立場から処理するオンブズマンの場合だが、11月30日付のリリースによると、フィヌーケン氏殺害事件に特定した調査は「主軸にはなっていない」という。広い意味の関連事件の調査は行っており、その結果はまもなく発表予定だ。

 特定の調査をする場合は、そうするための資源上の余裕ができたとき、である。

 北アイルランド警察の方の調査は、来年開始予定であるとルイス大臣は述べたが、北アイルランド警察自身の声明文によると、「新たな調査の予定は今のところはない」。ただ、「調査が必要かどうかを見直す」ことはする。

 「見直し自体は調査ではない。見直し過程を経てのみ、新たな調査が開始される」(サイモン・バーン警察署長、声明文の中で)。

 ・・となると、実態がないも同然の2つの調査が終わってから、国は公的調査の可能性を考える、と表明したことになる。

 「政府には公的調査を開始しようという意思がないのだと思う」(前警察オンブズマンのヌアラ・オローラン氏、アイリッシュ・タイムズ紙、12月2日付)。

複数の北アイルランドの政党が公的調査を支持

 北アイルランド自治議会のカトリック系シンフェイン党、中道のSLDP、アライアンス党、緑の党幹部らはルイス大臣に書簡を送り、公的調査を行わないとする決定の変更を求めている。英労働党、アイルランド政府も公的調査の開始を支持している。

 一方、北アイルランドのプロテスタント系政党である民主統一党(DUP)やアルスター統一党(UUP)はルイス大臣の決定を支持し、「犠牲者に階層を作ってはいけない」、としている。IRAやほかのカトリック系組織の暴力によって犠牲となったプロテスタント系市民を軽視してほしくない、という意味である。

 アイリッシュ・タイムズ紙のフレイヤ・マクレメンツ氏はこう書く。「フィヌーケン氏殺害事件が重要なのは、決して一人の死、特定の家族の話でないからだ」(同紙、11月30日付)。

 「これまで論争を呼んできたのは、まだ答えが出されていない広い問題を象徴する事件だから」。「広い問題」とは、北アイルランドで「法の支配がどのように実施されてきたのか、癒着はどの政治的レベルまで行われていたのか、将来にも影を落とす、北アイルランドの過去の亡霊をどのように処理するか」といった問題である。

 筆者はルイス大臣による決定の翌日(12月1日)、英国の主要全国紙を買ってみた。保守系テレグラフ、タイムズ、リベラル系ガーディアン、i(アイ)。どの新聞もフィヌーケン氏殺害事件で公的調査を行われないことを伝える記事を掲載していたが、いずれも中面で、扱いは非常に小さかった。

 これまでに何度も調査が行われて来た事件、しかも30年以上前の事件であるということで、目新しさがない、あるいは昔の話という感覚があるのかもしれない。

 しかし、北アイルランドのほとんどの政党、そしてアイルランド政府までもが「公的調査を行うべき」と表明する事件がこれだけの扱いであることに残念な気がした。

 北アイルランドの市民の中に「きちんとした法の正義が実行されなかった」という思いが強くある。これが英国の他の地域には十分に伝わっていないように見える。

 12月1日、北アイルランド弁護士会は、英最高裁がこれまでの調査はフィヌーケン氏が必要とした人権基準に合致していなかったと結論付けたと指摘した上で、政府の決定を非難する声明文を出している。

 

 北アイルランドの市民の声を、中央政府はいつまでも無視し続けるのだろうか。

北アイルランド弁護士会の声明文(弁護士会のウェブサイトより)
北アイルランド弁護士会の声明文(弁護士会のウェブサイトより)
ジャーナリスト

英国を中心に欧州各国の社会・経済・政治事情を執筆。最新刊は中公新書ラクレ「英国公文書の世界史 -一次資料の宝石箱」。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 連載「英国メディアを読み解く」(「英国ニュースダイジェスト」)、「欧州事情」(「メディア展望」)、「最新メディア事情」(「GALAC])ほか多数。著書『フィナンシャル・タイムズの実力』(洋泉社)、『英国メディア史』(中央公論新社)、『日本人が知らないウィキリークス』(洋泉社)、共訳書『チャーチル・ファクター』(プレジデント社)。

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