日本政府の推進するデータの可視化と、一個人がつくる新しい単位
昨日9月1日、「RESAS(リーサス)の教科書」という書籍が日経BPから発売されました。
RESASというのは日本政府がはじめたデータ・ビジュアライゼーション(データの可視化)のウェブサイトで、統計データはこれまでも公開されていましたが、それは数字の羅列が書かれたエクセルだったり、たくさんのデータのリストの中から適切なものを探し出すことが困難だったりしたため、一般の人たちがここから何かを読み取るのは困難でした。これらのデータを日本地図上に示すことで、誰でも直感的に内容を理解できることをめざしたウェブサイトなんですね。とはいえここから社会課題を探し出すにはそれなりの勘所が必要で、それをまとめた書籍という訳です。ディスクロージャーとしては私も一章、仲間と執筆しています。ここでは本の宣伝ではなく、本の出版をきっかけに、RESASの紹介から、新しい単位という考え方の紹介までをできればと思います。
使用しているデータは、官公庁が出しているものに加えて、帝国データバンク、NTTドコモ、ナビタイムジャパンをはじめとした民間のデータもあるんです。データの中には通常は有償でかなり高額のものもあるようですが、このサイト上では無償で利用可能です。
一般の人たちも利用可能ですが、元々これをつくった意図としては特に、各都道府県・市区町村といった地方自治体が
している、ということのようです。
実際のところ、地方自治体が策定を求められた去年度の「地方人口ビジョン」「地方版総合戦略」について、日経グローカルによると7割の地方自治体がその際このRESASを活用したとのことです。
全市区町村が一覧から選べる状態になっています。自分の住んでいる市区町村が何を発信しているか、興味わきませんか?あと、市区町村、別々じゃなくて横串でみてみたいですね。自治体職員限定機能としては以下のものがあります。
一般の個人や団体による活用例も増えています。
RESASで可能な可視化
RESASではこんなマップが用意されています。
1.産業マップ
2.地域経済循環マップ
3.農林水産業マップ
4.観光マップ
5.人口マップ
6.消費マップ
7.自治体比較マップ
そして、このような可視化が可能です(一部)。
「ヒト・モノ・カネ」は可視化と解決法が表裏一体
現時点で掲載されているデータが表しているものは、自治体が自分たちの潜在的な「ヒト・モノ・カネ」の特徴に気づいていこう、ということだと思います。ヒト(住民の人口や外部から仕事や観光で訪れる人の数)、モノ(生産物)、カネ(何で誰が稼いでいるのか)の潜在力をデータから気づき、経済的な自立を、ということを言っているわけです。経済はメタ的に色んな課題を解決しうるので合理的であるんですが、ここで指摘しておきたいことは、「ヒト・モノ・カネ」については課題の可視化と解決が表裏一体に結びついているものが多い、ということなんです。消費人口が少ない→多くする、減らさない。生産量が少ない→増やす。そしてそれぞれのためには何をするのかが解決法だということですね。昨年のコンテストの入賞作もほぼすべてそういった論理展開になっています。
今後このサイトに色んなデータが追加されていったときに、また他のデータとマッシュアップする際にこの、課題の可視化と解決の表裏一体の関係が必ずしも成立しなくなっていくので、それにあわせた思考法が必要になってきます。
社会課題の可視化と解決法は別のもの
これはRESASの話ではなく一般的な話としてなんですが、社会課題の可視化と解決は一緒くたに語られることも多いのですが、分けて考えた方がいいのでは、と思います。社会課題を可視化することによって初めて解決に至りうる、その全体のプロセスを指して「課題解決する」という一つの旗印を立てるということはいいと思うのですが、実務的に語るのであれば、可視化と解決は別のフェーズ、別のベクトルであると思います。
たとえば「収集ゴミの増加」という社会課題を思い浮かべてください。データによってどんなゴミがどの地域で多いかわかったとします。その解決方法を考えたときに、
- インフラで(ゴミ箱の設置を増やす)
- 市政広報で(ゴミ収集日や分類方法の住民への案内をより徹底)
- 技術革新で(燃やしても有害物質のでない素材の開発)
- 関係者への働きかけで(コンビニ運営会社を巻き込んで不燃ゴミになりにくい包装の開発、利害関係の調整)
- 運用で(ゴミの分類方法を改めて合理的に検討する)
など、色んな切り口が考えられます。こうしたことが統計データを可視化して眺めている中から思いつく、もしくは見いだせるとは思えません(そういうものも一部はありますが)し、頭の使い方が違うのではないでしょうか。解決には多様な人たちの知恵の集合が必要なんです。可視化する人たちと解決法を考える人たちは同一でなくてもいい。ここを強調しておきたいと思います。なぜこのようなことを改めて指摘するかというと、可視化と解決法を一緒くたにふわっと語られてしまうケースを散見するからです。「ヒト・モノ・カネ」についてはそれが言えるかもしれませんが、すべてについてそれを言えない以上、最初から分けて考えた方がいいように思えます。
珈琲好きな青年が、美味しい珈琲の作り方を求めて外国まで行って現場を見、地元に戻ってカフェを開店したら、美味しい珈琲を求めて世代を超えた賑わいが戻ってきた、その結果課題が解決に向かう、ということもありえる訳です。そんなイノベーションだって起こり得る。現代にお伽話の元ネタが生まれ得ないって、誰が決めました?
全体最適から個別最適へ視点を転換させる
また、統計データは俯瞰する視点(全体最適)、行政の視点といえます。例えばどこそこのエリアの人口が少ないことがわかったときに、何のインセンティブもなしにその課題を知った人がそこに住みます!ということがないのは、それはそれが個人の視点(個別最適)だからです。
統計データから得られた全体最適の視点を、市民ひとりひとりに自分事にしてもらうためには、個人の目線からみた景色(個別最適)に視点を転換させた状態へ落とし込み直さねばなりません。そのための手法はいくつかあると思いますが、たとえばこのようなことが考えられます。
- 俯瞰視点のままだけれども、粒度をできるだけ細かくする。
- 俯瞰する視点(マクロ=森)と個人の視点(ミクロ=木)を同時にみることで、自分の立ち位置を客観視する。木を見て、森も見ちゃう。
- 個人の属性(住所、年齢、性別、職業)の視点でデータを集計する。
新しい単位をつくる
グーグルの「もうひとつのメダル順位」というコンテンツがあります。これは先日まで開かれていたオリンピックの合計獲得メダル数を国別に並べたものを元に、国ごとに人口やGDPは異なるので、仮にそれらが揃っていたとしたら、合計獲得メダル数の順位はどう変わるだろうか、ということをみることが可能です。このように、いくつかある前提条件を揃えるための計算、このコンテンツの例でいえば、
「GDPが同じだとしたときの獲得メダル数」「人口が同じだとしたときの獲得メダル数」
としていくつかの切り口で、当たり前だったものの見方を改めて見直してみる。この行為を「新しい単位をつくる」と表現してみます。過去の私たちのワークショップでは
「美術館・博物館での一分間あたりの値段(平均滞在時間÷料金)」「朝の一分間の値段(家賃÷通勤時間)」
などといったものが出てきました。たまたま費用のケースが多くなってしまいましたが、これに限定するものではありません。
あなたが思いついた「単位」、気づいてしまった「単位」はそのまま待ってても、きっと他の誰かは気づきません。自分の手で試してみましょう。そこに、自分の手でものを作り出す喜びがありますし、できたらぜひ周りの人たちに見せてみてください。ぼくにも見せて!
それこそが多様なものの見方を引き出すことが出来ますし、より説得力が増す可視化が実現できるのではないでしょうか。