京アニ犠牲者の実名公表「犠牲者を大量殺人の匿名性から解放し、存在と個人の運命を取り戻す」ために
[ベルリン発]京都市伏見区のアニメ制作会社「京都アニメーション」第1スタジオが放火され、35人が亡くなった事件で、京都府警が見合わせていた25人の実名を公表したことで、改めて事件・事故報道のあり方が問われています。
論点は次の通りです。
(1)実名報道の是非
(2)死者に人格権が認められるのか
(3)遺族のプライバシー保護
(4)報道による二次被害
(5)メディアスクラム(集団的過熱取材)
(6)犠牲者の実名公表の判断を事実上、警察に委ねている現状に問題はないのか
報道のあり方は国によって異なります。
日本は戦後、連合国軍に占領され、米国式の「報道の自由」が導入されました。軍国主義、超国家主義体制の下、戦前・戦中の日本では「報道の自由」や、国民の「知る権利」は保障されていませんでした。テロで「言論の自由」も完全に封殺されてしまいました。
民主化された警察には記者が自由に出入りできるようになり、事件・事故が起きると、被害者の氏名、職業、住所、生年月日などの個人情報を含めた事件概要が速やかに発表されていました。住所も○丁目○番地○号まで新聞で報道され、容疑者は呼び捨てでした。
人権意識の高まりとともに住所の表記は簡略化され、「推定無罪」の原則から容疑者呼称が取り入れられました。
日本の新聞社や新聞協会が戦後、自ら報道規範を定めていたとは筆者にはとても思えません。警察も新聞社も連合国軍総司令部(GHQ)に言われた通りやっていただけではないのでしょうか。新聞社の花形だった「社会部」もGHQの指導で義務教育に導入された「ソーシャルスタディーズ(社会科)」を連想させます。
新聞社にある「編集委員」と「論説委員」という肩書も日本人が考えたようには思えません。「論説委員」とは社説や意見を書く人で、事実を扱う報道に携わってはいけません。「編集委員」は報道の解説や深堀りした連載を担当する専門的な記者で、あまり意見は書かないはずです。
しかし日本には、米国のメディアでは徹底されているこの原則を理解している人がどれぐらいいるのでしょうか。
日本では2005年の犯罪被害者等基本計画で犯罪被害者のプライバシー保護を図るため、被害者が亡くなっているケースでも実名・匿名どちらで発表するかの判断を事実上、警察に委ねてしまいました。日本は、米国式の「報道の自由」から離れて独自の道を歩むようになりました。
報道による二次被害やメディアスクラムを防ぐために実名ではなく匿名で発表する権限を警察に与えるという判断がどうしてまかり通ってしまったのでしょう。報道被害を防止するなら、メディアの報道倫理や自主規制を強化するのが筋だと思います。
8月29日のエントリーでは実名報道の英国の例を報告しました。今回は、フランスはどうなっているのか、仏ジャーナリスト協会兼組合ODI(情報倫理の監視)のピエール・ガンツ副会長(国営ラジオ・フランス元ジャーナリスト、元ドイチェ・ヴェレコンサルタント、パリ第8大学元講師)に質問しました。
――お亡くなりになられた被害者の氏名を含めた詳細をフランスの警察はどう発表しているのでしょう
「公式には警察発表はありません。犯罪捜査の対象である死に関する情報を提供する権限を与えられているのはフランスでは検察官です。しかし、多くの場合、警察官は数人のジャーナリストとの特別な関係を持っており、オフレコで情報を提供しています」
――フランスの報道規範は被害者のプライバシー保護について何と言っていますか
「フランスのすべてのジャーナリストに適用される公式な規範はありません。フランスには基本的に倫理規範として用いられている二つの文書があります。ジャーナリスト職業倫理憲章がその一つで、1918年に全仏ジャーナリスト連合が設立された時から適用されています。1938年と2011年に2度、書き直されました」
「もう一つが1971年に当時の欧州連合(EU)加盟国のジャーナリスト連合によってミュンヘンで採択された『ジャーナリストの権利と義務の宣言』です。この二つの文書では『被害者(犠牲者)』という言葉は使っていません」
「フランスの倫理憲章では『人間の尊厳に敬意を払う』義務が、ミュンヘン宣言では『個人のプライバシーを尊重する』義務が定められました。このアプローチでは報道することに公共の利益が認められない限り、被害者のアイデンティティー、または事件の詳細の報道は差し控えられる可能性があります」
――通常、フランスのメディアでは亡くなられた被害者の名前はどう扱われますか。ニュースの中で亡くなられた被害者は実名ですか、匿名ですか。遺族はどちらを望まれますか
「ルールはありません。多くの場合、事件・事故の犠牲者は特定されません。性犯罪ではイニシャルによってのみ報道が可能ですが、絶対的なルールではありません」
「いくつかの犯罪は『事件』として何カ月もメディアに追いかけられ、被害者は実名で報道されます。たとえば30年以上前に4歳の坊や、グレゴリー・ヴィルマンちゃんが殺害され、未解決になっている事件がそうです」
「家族の対応は一概には言えません。場合によって異なります。事件が解決されていない場合、一部の家族は事件への関心を高めるため、報道機関に頼るでしょう」
――フランスではジャーナリストが犯罪報道する際、報道の倫理規範に関して何か問題は生じますか
「繰り返しになりますが、すべてのジャーナリストに適用される公式の規範はありません。前述した優れたプロフェッショナルな行動のルールではジャーナリストに編集者は評価の大幅な自由度を認めています。これは全体として報道にとって適切であると思われます」
――フランスでは規範はどのように運用されていますか
「何度も繰り返しますが、唯一の規範はありません。すでに言及した二つの文書は最も頻繁に引用されています。裁判官は期待を込めて、優れた倫理的慣行の参照として引用しています。3年間、法律はメディアに対して倫理文書を独自に採用するよう求めてきました」
「倫理憲章とミュンヘン宣言の精神と抜粋を反映していくつかのメディアは独自に『社内』の文書を作成しました。通常、これらの文書は編集管理者とジャーナリストの間で交渉されるべきです。しかし交渉はほとんど行われませんでした」
「むしろ、これらの文書は編集者によって書かれ、ジャーナリストに『提案』されました。『社内』文書が提案されていないメディアでは、フランスの倫理憲章とミュンヘン宣言を参照として使っています」
――フランスのプライバシー保護法は亡くなられた被害者の名前を報道する際、ジャーナリストの行動に影響を与えていますか
「いいえ。被害者の名前を明らかにしたことに対するジャーナリストの訴追はほとんどありません。そして、私が知っている事件ではジャーナリストは無罪でした」
――もし遺族が犠牲者の名前を新聞などで報じられることを望んでいない時、それは「忘れられる権利」と関係していますか
「この考えをサポートする具体的な証拠はありませんが、これは理由の1つかもしれません。ただし『忘れられる権利』は、被害者ではなく、被告人および有罪判決を受けた人によってより頻繁に取り上げられます」
――メディアはテロリズムのような大量殺人事件の場合、犠牲者の氏名や年齢などの情報をどのように手に入れていますか
「これらの犠牲者リストを作成するのは検察官の仕事です。法的措置が取られた瞬間から、被害者またはその家族は『民間関係人』として裁判に参加することができます。これらの名前は公開されます」
「ル・モンドやニース・マタンなどの新聞は事件の犠牲者のポートレートを描くため遺族ら関係者にインタビューしました。それは犠牲者を大量殺人の匿名性から解放し、彼らの存在と個人の運命を取り戻す方法でした」
――ジャーナリストが犠牲者のストーリーを報道する際、遺族の同意が必要ですか
「いいえ。しかし、犯罪に関係する未成年者の名前の公表は法律で禁止されています」
――英国や米国の実名報道と比較した場合、フランス式の長所と短所は何でしょうか。英国や米国では犠牲者の名前は可能な限り速やかに警察からメディアに提供されます
「これまでに説明したように、これは多かれ少なかれフランスでも行われていますが、プレスリリースは警察からではなく検察官の声明から来るという違いがあります」
「結論として、こうした問題についてフランスの法律に書かれた絶対的な規則は存在しないと言えます。そのシステムはジャーナリストの自由であり、責任はジャーナリストの手に委ねられています。地方紙ウエスト・フランスの編集スタッフが採用した規範は犯罪報道の際、参考になります」
「傷つけることなく話し、ショックを与えることなく見せ、侵害することなく証言し、とがめることなく非難する」
人間は死ねば灰になります。その瞬間から残酷な忘却が始まります。遺族の皆さんの心の中には愛する人の記憶は残っていても社会は冷たいものです。災害や事件・事故に突然、巻き込まれて無念の死を遂げた人たちへの記憶も急速に風化していきます。
犠牲者のポートレートを再構築する作業はジャーナリストと遺族の信頼に基づいた共同作業です。記者の独りよがりではとてもできません。灰になった一つひとつの粒子を丹念な取材でかき集めて記憶という形で社会の墓碑銘として残す地道な作業はジャーナリストにしかできないでしょう。
報道による二次被害やメディアスクラムが多くの読者から厳しく指摘されている現状で、ジャーナリストに課せられた重い倫理と使命がしっかり果たせるのでしょうか。
(おわり)
取材協力:西川彩奈(にしかわ・あやな)日仏プレス協会副会長。1988年大阪生まれ。2014年よりパリを拠点に、欧州社会やインタビュー記事の執筆活動に携わる。ドバイ、ローマに在住したことがあり、中東、欧州の各都市を旅して現地社会への知見を深めている。現在は、パリ政治学院の生徒が運営する難民支援グループに所属し、欧州の難民問題に関する取材プロジェクトも行っている。