「ハンナ」を救うために:日本発の「アンネの日記」である「ハンナのかばん」を観て
■ハンナのかばん
新潟の「おやこ劇場」(親子で舞台芸術を鑑賞する会)を通して、劇団銅鑼の「ハンナのかばん」を観た。
ハンナは、チェコ生まれのユダヤ人。アウシュビッツで命を落とした少女である。2000年に日本のNPO法人「ホロコースト教育資料センター」が借り受けた遺品である「かばん」に書かれたハンナの文字をもとに、ハンナの物語が公になっていき、いくつもの本やドラマが作られている。
ハンナ・ブレイディ。享年13歳。家族でただ1人生き残った兄が、彼女の物語を伝えてくれている。
■差別・虐殺・戦争
戦争は悲惨だ。戦場の戦闘員同士の殺害も悲惨だ。市街地での無差別空襲も悲惨だ。市街戦、市街地での地上戦も悲惨だ。沖縄でも、広島でも、長崎でも、東京でも、中国でも、悲惨な出来事が起こり、様々な国の人々が亡くなっている。
国同士が戦い、民族同士が憎しみあう。人種差別が「作られる」こともある。
ハンナの家族も、ナチスドイツがチェコに侵攻するまでは、人々と普通に暮らしている。近年のルワンダでのツチ族とフツ族の激しい対立も、作られたものと言えるだろう。
誰かが差別を作り出す。誰かが差別を増強する。誰かが争いを作り出す。
心理学的に言えば、人間は、たしかに自分とは違うものに警戒心をいだく。見慣れぬものに嫌悪感を感じ、良く知らない相手には好意を持ちにくい。しかし、特定の民族や文化への嫌悪と差別感のほとんどは、歴史の中で作られたものだろう。不幸な歴史や、すれ違いの中で、嫌悪や憎悪が生まれることもある。為政者が、あえて作り出すこともある。
■150万人の「ハンナ」が虐殺された
虐殺されたユダヤ人の数は、諸説あるが、600万人が犠牲になったとも言われている。その中で、150万人が子どもだ。
150万人の子どもが殺されたと聞いて、私たちはどれほどの衝撃を受けるか。どれほどの涙が流れるだろうか。心理学の研究によれば、被害者の数が多くなるほど、人は共感しずらくなる。
統計の数字は人の心を動かさない。私たちの心が動かされるのは、たとえば一人の少女が書いた1冊の日記だ。名前を知る。顔を知る。家族を知る。思いを知り、人生を知る。そこで初めて、私たちは心動かされる。
奇跡的な経緯を経て、「アンネの日記」は私たちに届けられた。不思議な偶然と関係者の努力によって、「ハンナのかばん」は私たちにたくされた。私たちは、アンネに共感し、ハンナに涙する。これらの記録と物語は貴重だ。
ただし本当は。150万人のアンネがいる。150万人のハンナがいる。
■「ハンナ」を救うために
私たちは、70年前のハンナを救えなかった。アンネを救えなかった。広島、長崎、沖縄、東京をはじめ、日本各地の人々を、子どもたちを、救えなかった。
どうすれば良かったのかは、難しい。私は戦争は反対だ。しかし、ナチスドイツの侵攻を、もっと早く武力を使ってでも食い止めるべきだったかもしれない。あるユダヤ人は言っている。当初、連合国側もユダヤ人問題にあまり関心はなかった。ユダヤ人収容所を空襲して欲しかったと。そうすれば、被害者の数は少なかっただろうと。
あるいは、第一次大戦後にドイツを追いつめすぎたのかもしれない。あるいは、もっと早く、もっと強く、世界は平和のために手を固くつなぐべきだったのかもしれない。
劇団銅鑼の舞台を観て、その幕切れの演出から私が感じたことは、「ハンナ」の問題は今も続いているということだ。世界で紛争は続いている。民族間の争いは続いている。子どもたちの犠牲は続いている。イスラエルの攻撃で亡くなっている子どもたちがいる。「イスラム国」などイスラム過激派に、殺されている子どもたち、兵士にされている子どもたち、そして誘拐され奴隷として売られている少女達がいる。
私たちは、ハンナは救えなかった。アンネは救えなかった。今、名前も知られていない大勢の「ハンナ」や「アンネ」が、苦しんでいる。
どうすれば良いのだろう。対話か、経済制裁か、武力か。
アンネが残した日記を、ハンナが託したかばんを、私たちはしっかりと受け止めたい。