【御殿場市】承久の乱の首謀者として捕らえられ処刑された五人の公卿を祀る『藍澤五卿神社』
とらや御殿場店さんに立ち寄ったところ、近くに小さな神社が見えたので立ち寄ってみました。
場所は御殿場市新橋。三角地になった場所で、道路に面して、由緒書きの看板といくつかの碑が並んでいました。
黒い石碑は記念碑となっており、
と、記されていました。
蘭陵王(らんりょうおう)は、雅楽の曲目の一つで、勇将が終戦の際に平和を祈ったとされる舞で、日本では800年以上の歴史があると言われる雅楽です。
春日大社は、奈良県奈良市春日野町にある由緒ある神社。
小さな神社ですが、なんだかとても歴史があるようでワクワクします。
由緒書きによると、『承久の乱』の首謀者として捕らえられた公卿の1人、藤原宗行卿が処刑されたのが、この場所(駿河国藍沢原)。
藤原宗行卿の墓があったこの場所に、1877年(明治10年)に地元の有志が藍澤神社を創建。
昭和になって、藤原宗行卿とともに「合戦の張本」とされて処刑された他の4人の公卿を合祀。
- 遠山景朝に護送され、1221年(承久3年)7月5日、美濃国遠山荘(岐阜県恵那市岩村町)にて斬首された一条信能
- 武田信光に護送され、7月12日、甲斐国の加古坂(山梨県山中湖村)で斬首された葉室光親
- 名越朝時に護送され、7月18日、相模国早河(神奈川県小田原市)の川底に沈められて処刑された藤原範茂
- 小笠原長清に護送され、7月29日、甲斐国小瀬村(山梨県甲府市)で斬首された 源有雅
藍澤五卿神社となったそうです。
風化してしまい、しっかりと読み取ることができませんでしたが、こちらの石碑は、藍澤五卿神社になった際に建てられた由緒書きと思われます。
また記念碑と白い由緒書き看板の間にある石碑には、1810年(文化7年)建立の碑があります。
こちらも風化して読めませんが、由緒書きによれば、
おもへばなうかりし世にもあい沢の水のあわとや人のきゆらん
と記されているのだそうです。
藤原宗行は上皇からの信頼も厚く学識深く、文学にも秀でていて多くの詩歌を残しています。
思えば、世の中は儚く、あい沢の水の泡のように人の命も消えてしまうのだろう
処刑される身で世の中、人の命の儚さを詠んだのでしょうか。
それらの碑の真ん中に、まるで5人の朝廷に尽くした公卿を鎮魂するかのように立つ浩宮徳仁親王殿下お立ち寄り記念樹と、その碑がありました。
境内前には細い小川が流れています。
境内の門には
と記されていました。
『承久の乱』とは、鎌倉時代の1221年(承久3年)に後鳥羽上皇を中心とした朝廷と北条義時を中心とした幕府軍が戦った乱のことです。
鎌倉時代が始まる前は、天皇や天皇の位を譲った上皇が中心となり朝廷が日本を治めていました。
しかし徐々に武士が力をつけ始め、平清盛が率いる平氏が朝廷以上の権力を持つことになります。その後、源頼朝が平清盛を倒し、1185年に鎌倉幕府を作りました。
鎌倉幕府は関東に作られましたが、朝廷は京都にあったため幕府の力は東日本、朝廷の力は西日本に広がり、幕府と朝廷という2つの勢力が日本を支配するようになりました。
源頼朝が、1199年に相模川の橋の落成記念式典に出席した帰りに落馬し、その後体調を崩して亡くなると(他にも死因は落馬説や糖尿病説、暗殺説などがあります)、息子である源頼家が後を継いで将軍となりました。
しかし独裁的な政治を行う頼家は北条時政(実の祖父)によって将軍の地位を追われ、最後には暗殺に暗殺されます。
幼い弟の源実朝が3代目の将軍となると北条時政は執権という立場につき、政治の実権を握りますが、実朝も頼家の遺児公暁に暗殺され、頼朝以来の源氏将軍家の流れは絶えてしまいます。
北条家が幕府を支配するようになり、制御が効かなくなった鎌倉幕府を倒そうと考え、後鳥羽上皇は承久の乱を起こしました。
1221年(承久3年)、後鳥羽上皇は北条義時追討の院宣を発し、義時討伐の兵を挙げます。上皇や朝廷の力は圧倒的であり、圧勝が予想されていました。
しかし後鳥羽上皇の挙兵を聞き、北条政子は演説を行います。「頼朝の恩は、山より高く、海より深い」という政子の言葉に、命がけで戦う覚悟を決めた御家人が集まり、朝廷軍2万人vs幕府軍19万人となり、逆転勝利を収めた幕府はさらに力を強めることになりました。
首謀者の後鳥羽上皇は隠岐島へ流罪となり、主だった公卿は、その責を負い、葉室光親・藤原宗行・源有雅・藤原範茂・一条信能卿は、それぞれ処刑されたのです。
1192年鎌倉幕府成立に始まり、1868年明治維新までおよそ7百年続いた武士政権。
幕府と朝廷の二元政治の終わりを意味し、明治維新に至る600年の間、武家政権が君臨する時代の転換期となった承久の乱。
普通に生活し、通り過ぎていた場所に『承久の乱』の合戦の張本と処刑された公卿の眠る地があることを今まで知りませんでした。
800年の時の流れに、ひとたび思いを馳せ、朝廷に命を懸けた5人の公卿に手を合わせていると、自転車で通り過ぎる子どもたちのはしゃぎ声が境内に軽やかに響きました。
藍澤五卿神社:御殿場市新橋725
*駐車場はありません