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中国、「私の名前」は「党」――姓「社」、姓「資」から姓「党」へ

遠藤誉中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士
中国、「私の名前は?」(写真:アフロ)

習近平総書記が「媒体姓党(メディアの名前は党)」と言ってから、心ある抗議が相次いでいる。改革開放の初期、「中国の姓は社会主義か」「それとも資本主義か」という大論争があった。中国はいま曲がり角に来ている。

◆中国の分岐点となった「姓社姓資」大論争

1970年代末から改革開放が始まり、「金儲けをしてもいい」というトウ小平の号令がかかったが、中国人民はすぐには動かなかった。それまで金儲けをした者は「走資派(ゾウズーパイ)」(資本主義に走る者)として糾弾され投獄されてきたからだ。それに毛沢東は1956年に「百花斉放、百家争鳴」というスローガンの下、「何でも言っていいですよ」と人民に呼びかけ、知識人が喜んで言いたいことを言った結果、翌年には「右派」というレッテルを貼られて何百万におよぶ知識人が投獄されてしまった経験がある。

1966年から76年までは、あの悪名高き文化大革命があった。中国政府でさえ、2000万人以上の犠牲者を出したと認めたほどだ。

トウ小平がいくら「白猫も黒猫も、ネズミを捕る猫が良い猫だ」という言葉を用いて「金儲けに走れ」と呼びかけても、人民は「もう、騙されないぞ」と、二の足を踏んでいた。

このころに起きたのが「姓社姓資」大論争である。

「中国は社会主義の国家なのか?」

それとも

「金儲けをして、資本主義の国家になろうというのか?」

という議論だ。

前者を「姓社」すなわち「中国という国家の名前は社会主義」といい、後者を「姓資」すなわち「中国という国家の名前は資本主義」と称して、「姓社姓資」論争が全土で巻き起こり、改革開放は思うように進まなかった。

それでいながら、「ネズミを捕る良い猫たち」が、すでに特権を活かして金儲けをはじめ、「姓社」の中枢にいるはずの中共幹部たちが「ぼろ儲け」をしながら腐敗に手を染めはじめていた。

◆天安門事件で打ち切りに――「向銭看(シャンチェンカン)」(銭に向かって進め!)

こんな紆余曲折をしながら起きたのが天安門事件だった。1989年6月4日、民主を叫び、党幹部の腐敗に抗議した若者たちの声を、トウ小平は武力で鎮圧してしまう。

以来、中国は西側諸国から経済封鎖を受けるが、「姓社姓資」論争は、一層のこと激しくなり、成長しかけた中国の経済を冷え込ませた。

そこでトウ小平は1991年の春節前夜、「姓社姓資論議は打ち切りだ! 計画経済ならば社会主義で、市場経済ならば資本主義だというような誤解をするな! 市場経済も社会主義に服務することができる」として、中国を「特色ある社会主義国家」と位置づけ、1992年10月に開催された第14回党大会で、党規約に書き入れたのである。「市場経済を走らせても、資本主義国家ではなく、社会主義国家である」という、最初から矛盾を内包した決着点であった。

それからというもの、中国人民はみな「銭に向かって」進み始めた。中国建国初期は、毎日のように「向前看(シャンチェンカン)!」(前に向かって進め!)と教育されたものである。庶民はそれをもじって、同じ発音の「向銭看(シャンチェンカン)」(銭に向かって進め!)を、自嘲的に叫ぶようになった。

そして中国は経済成長し、以来、「姓社姓資」論議は、ピリオドを打ったかに見えた。

◆習近平総書記による「姓党(メディアの名前は党)」理論

ところが、2012年11月の第18回党大会で習近平が中共中央総書記になり、まだ国家主席にはなっていなかった2013年1月5日、習近平は総書記として中共中央委員会を開催し、そこで「否定してはならない二つのこと」という重要講話を行なった。

一つは「改革開放後の歴史を以て、改革開放前の歴史を否定してはならない」で、もう一つは「同時に、改革開放前の歴史を以て、改革開放後の歴史を否定することもできない」というものである。

これが「姓社姓資」論議を思い起こさせ、2013年の半ば以降から、たとえば「姓“社”姓“資”大論争(1991年)」などという論評が、盛んにネット上に現れ始めた。

2014年には「姓資姓社問題は根本的には解決していない」という問題提起があったり、2015年9月には「中国社会科学院:きちんと“姓資姓社”問題の大討論を」というものまで出てくるようになる。

こうして現れたのが、習近平総書記による「媒体姓党(メディアの名前は党)」理論だ。

◆「中国の名前」は「党」

現在の中国は、とても社会主義国家と言えるような状況ではない。

習近平政権が、どんなに反腐敗運動を展開しても、党幹部から腐敗を撲滅させることはできず、むしろ敵を増やしてばかりいる。また労働意欲を抑え込んで経済が冷え込み、貧富の格差や環境問題あるいは医療問題などの民生問題も目立った改善は見られていない。

「特色ある社会主義国家」は結局、「中国共産党の一党支配体制」を維持したまま国家資本主義あるいは官僚資本主義を歩んでいるようなものだ。

したがって「姓社」は消え、一党支配がある分だけ「姓資」でさえないのだ。

確実にあるのは「一党支配体制」だけだ。

つまり、「中国の名前」は「社会主義」でもなければ「資本主義」でさえもなく、「中国共産党」=「党」なのである。

「私の名前は党」。

中国はいま、そのように宣言しているようなものである。

たしかに習近平総書記は「党と政府のメディアの姓は党」と言っただけで「中国の名前は党」とまでは言っていない。しかし中国の言論を党と政府が支配している以上、「中国の姓は党」と言っているのと同じだ。

これは「姓社姓資」論議よりも、もっと悪い。明らかな精神文化の後退だ。こうでもしなければ、もう持たないところまで中国は来ている。「人民こそが主人公」「人民のために服務する」などと美辞麗句でごまかしてきたが、遂にその「本性」を露呈してしまったということではないだろうか。

この本筋を見ないと、言論弾圧の正体は見えてこない。

(なお、この問題に関しては書きたいことが多すぎて、一度に書いてしまうと、読んで下さる方もお疲れになることだろう。申し訳ないので、追ってまた稿を改める。)

中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士

1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。中国問題グローバル研究所所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。日本文藝家協会会員。著書に『中国「反日の闇」 浮かび上がる日本の闇』(11月1日出版、ビジネス社)、『嗤(わら)う習近平の白い牙』、『習近平が狙う「米一極から多極化へ」 台湾有事を創り出すのはCIAだ!』、『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』、『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』、『 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』など多数。

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