【名古屋市千種区】城山八幡宮の夏祭は7/15-17 信長兄弟の戦の城跡に昭和の洋館も建つ歴史スポット
千種区の「城山八幡宮」の2024年の夏祭り「茅輪(ちのわ)神事」は、7月15日(月・祝)から17日(水)に開催されるそうです!
「茅輪神事」とは無病息災・健康長寿・諸難消除・厄徐開運を願って茅輪(わらなどで作った大きな輪)をくぐる「大茅輪くぐり」が行われる神事です。スサノオノミコトの神話にちなむ神事だそうです。
子供の虫封じの「赤丸神事」も同時開催されるそうです。これらの行事限定の御朱印もあるそうですよ。
「茅輪神事」の臨時奉仕の巫女さんと男女一般奉仕者の募集の張り紙が境内にありました。
今年は民謡踊り(盆踊り)は開催されないそうです。また露店は午後5時から開始されるそうです。
「城山八幡宮」は「本山」駅から徒歩8分ほど、「覚王山」駅から徒歩8分ほどのところにあります。市バスは「末盛通2丁目」バス停から徒歩3分です。
駐車場もありますが、夏祭り当日は混雑しますのでできるだけ公共交通機関でお越しください。非常に広い敷地です。
高台にあるので見晴らし最高! 「東山動植物園」の東山スカイタワーや観覧車も見えます。
「城山八幡宮」は恋愛に強い神様という事で、千種区の「高牟神社」と北区の「山田天満宮」と共に「恋の三社めぐり」という企画を行っています。三つの神社をめぐると恋愛運がアップするというものだそうです。
「城山八幡宮」は室町時代末期の城跡に建っています。織田信長の父、織田信秀が1548年に築城した「末森城」の本丸跡地です。三河国の松平氏や駿河国の今川氏の侵攻に備えて築城したそうです。
1552年に信秀が死去すると、末森城の当主となったのは信長の実弟の織田信勝(信行とも)でした。素行が悪かった信長に対し、信勝は礼儀正しく評判が良かったようです。1556年、信勝は林秀貞、柴田勝家らと共に信長に反旗を翻しますが、「稲生の戦い」で敗れます。この時信勝は末森城に籠城し、信長は末森城下町に火を放ちます。末森城内にいた二人の母、土田御前の介入で信勝は赦免され、末森城は陥落を免れました。
しかし1558年に信勝が再び謀反を企てた事を、信勝を見限っていた柴田勝家が信長に密告し、病気を装った信長を見舞いに清州城に来た信勝は謀殺されます。これにより末森城は廃城になりました。
末森城の空堀が残っています。名古屋に引っ越してきて、近所に日本史上最も人気のある人物の一人である信長が火を放った城下町(本山エリアでしょうか?)があったなんて、さすが戦国武将がゴロゴロいた愛知県だと思いました。特に観光地化もしていないのは、そういう場所が普通にたくさんあるからなのでしょうか。私が普段通っている道を信長も馬に乗って通ったのかも知れないと思うとちょっと興奮します(「末盛通」という名前が残っています)。末森城跡は戦国時代の城の特徴をよく残しているそうです。
時は流れて、信勝が末森城内に白山社を祀っていたものがその後も近隣住民に信仰され、明治になって周辺の神社と合祀されたものが城山八幡宮になりました。
末森城の二の丸跡には、城山八幡宮から土地を借り受けた愛知県によって、1928年(昭和3年)に教育施設「昭和塾堂」が建てられました。
「昭和塾堂」は愛知県が青年社会教育の場として建設したもので、ここで研修を受けた青年達は戦前の愛知県下の指導的立場で活躍したそうです。エリート教育機関のようなものだったのでしょう。戦争が激化した1943年(昭和18年)には日本軍に接収され、陸軍の東海軍司令部として使用されました。千種区のホームページにも「昭和塾堂」のページがあります。
戦後は名古屋大学医学部の教室、愛知県教育文化研究所、千種区役所仮庁舎などを経て、愛知学院大学大学院歯学部研究棟として使用されました。2017年に城山八幡宮と愛知学院大学との賃貸借契約が終了し、現在は立入禁止になっています。
「昭和塾堂」の建築は和風と西洋風の建築様式を組み合わせたものとなっていますが、後に作られた愛知県庁や名古屋市役所のような「帝冠様式」に比べると洋風の趣が強いように思います。独特の雰囲気のある建築です。
愛知県庁本庁舎は1938年(昭和13年)に完成しています。昭和塾堂の10年後に完成しているので、より和風建築の要素が強い「帝冠様式」の建築になっていますね。
昭和塾堂はこの塔があるので洋風の印象が強いのだと思います。
かなり大きな建物で、内部が見られないのが非常に残念です。所々傷みも見受けられ、修繕にも相当の費用が掛かりそうですが、一般公開してもらえないものかとこの地元に住んで以来ずっと思ってきました。見たいですねぇ・・・。
この金網があるので近付いて撮れないのがもどかしいです。二階のアーチ型の窓の形はロマネスク様式の雰囲気があって洋風のイメージを強めています。
窓の中に誰かいそうでちょっとヒヤッとします。夜にここに来たら相当怖いと思います・・・。
「昭和塾堂」の近くには付属の体育殿として愛知県によって建設された「城山八幡宮養心殿」があります。こちらは現在も道場として使用されているようです。
かなり年季が入っていますが、こちらも非常にいい味を出している建築です。戦前の田舎の学校のような雰囲気がありますね。
養心殿の床は武道に最適なものだそうですよ。こんな所で武道を学べるのはいいですね! 侍になれそうです。なお城山八幡宮の駐車場はここにあるので、車で来る方は姫ヶ池通の方から入ってください。
「姫ヶ池」というのは、ここの近くにあった池の名前ですが、現在は埋め立てられています。最近できたレクサス覚王山の辺りでしょうか。末森城が攻められた時、城のお姫様たちがこの池に身投げした、という伝説があるそうです。
姫ヶ池通から坂を上っていくと、昭和塾堂のこの面が見えてきます。初めて城山八幡宮に行ったとき、突然現れた謎の洋館にかなりびっくりしました。あの当時は愛知学院大の研究棟として使われていたので金網はありませんでした。
城山八幡宮は戦国時代の織田家の兄弟同士の容赦ない戦いの舞台であり、また昭和初期の歴史的建築物も残す、歴史の十字路のような所です。歴史好きの方にとっては絶好のスポットですね。
非常に賑わう夏祭りもありますし、「城山八幡宮」に行ってみませんか?
城山八幡宮
住所:〒464-0045 愛知県名古屋市千種区城山町2丁目88
電話番号:052-751-0788
アクセス:名古屋市営地下鉄東山線・名城線「本山」駅1番出口より徒歩8分、または東山線「覚王山」駅より徒歩8分、バス停「末盛通2丁目」より徒歩3分
公式サイト