「科学者である前に、まず人間であることを忘れるな」:ダッハウ強制収容所でのナチス時代の人体実験
ドイツのミュンヘンから電車で数十分、ダッハウ中央駅からバスに乗り継いで、静かな住宅街の中に広大なダッハウ強制収容所の跡地がある。現在でも地元のドイツの学生だけでなく、世界中から多くの人が見学に訪れている。
ダッハウ強制収容所は1933年に第一次世界大戦の際に火薬工場として使われていたダッハウの町の廃工場を利用して建設された。ナチスの強制収容所の中ではオラニエンブルク強制収容所と並んで最も古い強制収容所で、後に建設された多くの強制収容所のモデルとなった。
ダッハウは収容所としてだけでなく、ナチスによる人体実験の実験場としても悪名高い収容所である。ユダヤ人やロマなどの囚人らを用いて「超高度実験」、「冷却実験(極寒研究)」、「マラリア感染実験」、「海水を飲み水に変える研究」という平時では絶対に行えない非人道的な実験が多く行われた。
▼ダッハウ強制収容所での悲惨な光景が展示されている。
■ダッハウ:地獄の実験場
「超高度実験」は、ドイツ空軍のために高度の低気圧に人間がどこまで耐えられるかを調べるために行われた。パラシュートや酸素を用いずに超高度から降下した時の生理的効果を検証するというもので、実験に使われた囚人はほとんどが死亡し、生き残った者も重大な後遺症を残した。
「冷却実験(極寒研究)」は冷たい海面に落ちたパイロットを救出できるかどうかを調べるための実験で、冷たい水につける、寒い屋外に裸で立たせるなどして囚人を凍死させた後、蘇生が可能かどうか様々な実験が行われた。そしてこれらは欧州の学会などでも研究結果が報告されたそうだ。
「マラリア感染実験」は囚人をマラリアに感染させて強力な薬の実験を行った。囚人らは薬物の過剰摂取で直ぐに死んでいった。
「海水を飲み水に変える研究」では囚人らに水を飲ませないで、海水だけを飲ませるという実験を行っていた。
このような殺人的な実験も、ナチス全体の中では、一部であって、ナチスはユダヤ人や囚人を用いて、とんでもない非人道的な実験を欧州各地の収容所で行っていた。強制収容所を訪れて、その場に立ってみると、「人間が同じ人間に対して、ここまで壮絶なことを行うことができるのか」と目を覆いたくなるような展示物ばかりである。
実験を行っていたドイツの科学者、医者、看護婦、収容所職員らはどのような思いで囚人に接していたのだろうか。ナチスが政権を取る前までは隣人だったユダヤ人が囚人として目の前に立っているときに、彼らで人体実験を行うことに抵抗を感じなかったのだろうか。
■「科学者である前に、まず人間であることを忘れるな」
この悲惨な歴史が20世紀のヨーロッパで起こってからまだ70年しか経っていない。
戦争によって科学技術は発達する。また科学技術が発展し新たな武器が登場すると戦争も進化する。戦争と科学技術の発展は切っても切れない関係にある。科学技術、工業は本来、中立的なものであり、政治的なものではない。それが政治的な活用をされるときに、科学技術や工業は戦争に繋がり、地獄の入り口になりかねない。
戦争は科学技術力を向上させる。科学の発展と軍事技術への貢献は国家の存続に関わることであるから、戦争中であれば当然のこととみなされ、当時の科学者、技術者はこのような実験に参加することを拒否することは自分や家族の存在も危うくしたから、抵抗する勇気は持てなかった人も多いだろう。
科学技術が発展し、無人戦闘機やドローンが戦争で利用される時代になったが、それでも犠牲者は21世紀の今でも生身の人間である。
科学者ジョセフ・ロートブラットがノーベル平和賞を受賞した時に言った。「科学者である前に、まず人間であることを忘れるな」
科学技術を発展させることができるのは人間だけだ。歴史と人間から目を背けてはならない。
▼ダッハウ強制収容所のガス室内部。
強制収容所のシステムを理論的に分析する研究はあまり見かけない。強制収容所は殺害のために作られ、役目が終わったら解体される予定だったからだろう。ガス室は脱衣所、待つ場所、ガス室、処理室、焼却炉と非常にシステマティックに殺害していたことがわかる。
▼ダッハウ強制収容所のガス室。
シャワー室と騙されてガス室に送られたが、焼却炉の煙突から死者を焼いた煙が出ていたことから、多くの囚人はシャワー室でないことに気が付いていただろう。
▼ダッハウ強制収容所内の博物館
「12歳以下の子供は入らない方が良い」というアドバイスがある。大人でも耐えられないような写真や展示物が多い。