【オウム裁判】菊地直子被告、明日判決
オウム真理教元信者の菊地直子被告の裁判員裁判は、6月30日に判決が言い渡される。6月9日の第13回公判で、検察側の論告、弁護側の最終弁論が行われて結審してから、21日。裁判員の評議の時間を十分にとったのは、それだけ難しい判断になる、と裁判所が考えていたためだろう。
争点は19年前の被告人の内心
難しいのは、19年も前の被告人の認識、つまり内心が争点になっているからだ。
警察の強制捜査が始まった後、彼女が中川智正元幹部(死刑囚)の指示で、山梨県上九一色村(当時)の教団施設から東京都八王子市内のマンションのアジトまで薬品類を運び、中川幹部らがそれを材料にして小包爆弾を作り、東京都知事に送りつけて、知事秘書の男性に重傷を負わせた。この事実には争いはない。
問題は、彼女はこのような事件に使うという目的を知りながら、薬品を運んだのかどうか、である。
気づかないはずがない、と検察側
菊池被告は、教団内で化学部門を統括していた土谷正実元幹部(死刑囚)の部下で、全身麻酔薬の製造に携わった。ほかに、化学兵器VXガスの試作では第一工程に関わった(ただし、本人は何を作っているか分からなかったと述べている)。教団施設から持ち出した薬品は、土谷死刑囚が管理する施設に保管されていたもの。中川元幹部のリクエストに応じ、5回にわたって運び出し、警察の検問で引っかからないようティッシュの箱やヨーグルトのパックなどに隠して持ち出したものだった。届けたのは、井上嘉浩元幹部(死刑囚)や中川元幹部らが潜む八王子市内のマンションにあるアジト。井上らは、捜査の攪乱や教祖の逮捕阻止のために、事件を起こそうとしていた。このアジトを拠点に、この都庁爆弾事件のほか、3度にわたって新宿駅地下街で青酸ガスを発生する無差別殺人を試みた(いずれも失敗)。この青酸ガス事件にも、菊池被告が運んだ薬物が使われている。
これだけの事実を並べれば、菊地被告が何も気づかないはずがない、と普通の人が普通に考えれば、思うだろう。検察側の論告も、まさにその点を強調していた。一般人には分かりやすく、腑に落ちる内容ではあった。
しかし、オウムはそういう「普通」が通じない組織であったことも、考慮しなければならない。
世間の常識はオウムの非常識
「普通」の世界では、社員に新しい仕事を与える時、やる気を高めたり、作業効率をよくするためにも、その目的をしっかり伝え、目標を共有化する。
ところが、世間の常識はオウムの非常識。教団内では、秘密性の高い仕事ほど、情報の共有がなされなかった。仕事の責任者でさえ、作業の目的や目標をはっきり認識していないこともあった。
たとえば、教団が武装化の一貫として行っていた自動小銃の密造。作業を行う信者たちは、外形から銃であることは理解できても、それを作成する目的が分からず、できあがった製品を使用する状況も具体的に実感できずにいた。上司からは何も告げられないだけでなく、知ろうともしない。そういう中で漫然と作られた部品は、ほとんどが使いものにならないものばかりだった。
ただ、裁判では、こうした教団の特異性について、具体的に、あるいは客観的な立場から語る証人がいなかった。そんな中、オウムの非常識な仕事の進め方や発想を前提にした弁論を、裁判員がどう聞いたか気になる。
考え得る判決は…
検察は、爆弾製造も殺人未遂も、共に認識があった、として厳罰を主張。弁護側はどちらも認識なく無罪、としている。だが、考え得る結論はこの両極だけではない。運んだ薬品で爆弾を作るとは分からなかったが、テロを起こす認識はあったと見なせば、爆取については無罪、殺人未遂のみ有罪ということもありうる。
明確に指示をした者はいない
ただ、ここで忘れてはならないのは、「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の原則である。検察側が合理的疑いを差し挟まない程度まで立証し尽くさなければ、「無罪」としなければならない。
今回の裁判では、菊地被告に対して、事前に明確に「爆弾事件を起こす」とか「テロ事件を引き起こす」と告げた者が出ていない。
都庁爆弾事件に関わった者としては、事件全体を指揮した井上元幹部と爆薬の製造などを担当した中川元幹部の2人が証言したが、いずれも彼女に事件を起こすことは伝えていない。
井上証言によれば、アジト内で出来上がった爆薬を入れたタッパーウェアを指して、「菊地さんが運んできてくれたおかげで準備ができつつある」と告げて礼を述べたことがあった。また、爆薬を作るために中川が木炭などをすりつぶしている途中に疲れて寝てしまったところ、菊地がその続きを黙々とやっていた、という。林泰男元幹部(死刑囚)が井上、中川両元幹部に対し、「これからの活動を手伝わせるサマナ(出家信者)は、逮捕の覚悟がないといけない。使う時には、(本人の)了解を取れ」と言い、井上が部下の2人の女性信者に、中川が菊地被告の意思を確認することになった。「中川さんが約束を破って、菊地さんの了解を取らずに使ったことは考えられない」と井上は推測する。
ところが、その中川元幹部は、菊地被告に薬品の用途について説明していないと証言。林幹部の「本人の了解をとる」という話は、「当時も聞いていないし、裁判の段階でそんなことは誰も言っていない」と否定した。警察の検問で薬品が見つかれば捕まってしまうかもしれないということすら、「そんなことを言えば緊張して態度がおかしくなるかもしれないので、言わなかった」と述べている。そのうえで、「被告人は、まさか私が人殺しの道具を作っているとは思わなかっただろう」として、菊地被告は井上や中川ら爆弾事件の正犯たちがやろうとしていることは分からなかったはず、とした。
井上によれば、中川元被告は菊地被告の恋愛感情を利用して、運び役をやらせていた、という。菊地被告も、中川に対して尊敬と恋愛の感情があったことを認めた。検察側は、それゆえに中川が菊地を庇っていると見る。それについて、中川は「(証人は)嘘は言えないので、必ずしも被告人にいい話とは思えないことも証言したつもりです」と反論している。実際、菊地が5回に渡って薬品を運んだことや、運んだ薬品の種類は、中川証言で明らかになった。中川被告が菊地被告を庇う動機はあるだろうが、だからといって、そのために偽証をした具体的な根拠は、検察側も指摘できていない。
連想ゲームのような迂遠な立証
そのため、検察側は「爆弾を作るのだろう」「テロを起こすのではないか」と、彼女が気がつかないはずはない、という形の主張をせざるをえなかった。
それを立証するとして、事件とは直接関係のない、化学実験や薬品製造に当たっていた同僚の元信者を4人呼んだ。その証言を通して、彼女が一定の化学的知識があり、運んだ薬品を爆薬製造やテロに使用する認識はあったはずであり、だからこそ、運んだ薬品から事件を認識することはできははず、という非常に迂遠な立証活動を行ったのだ。単なる印象操作のような気もするし、証人たちも昔のことはほとんど忘れていた。殺人事件の実行犯らのように、結果が重大で、しかも自身の公判や共犯者の裁判でくり返し供述や証言をしているケースと違い、4人の元同僚たちが聞かれたのは、彼らにとって日常の出来事がほとんど。忘れているのは無理もない。
これをもって、「合理的な疑いを差し挟まない程度までに」菊地被告の認識が立証し尽くされたと言えるのか、私は疑問に感じた。裁判員や裁判官らは、このような元同僚の断片的な証言や過去の供述調書をどう評価するのだろう…。それにしても、こんな連想ゲームのような形で、有罪無罪の判断をしていいのだろうか。ましてや、これで有罪判断をすることが許されるのだろうか、と思えてならない。
事実認定は感情的要素に左右されずに
菊地被告は教団内での宗教体験について裁判官に聞かれても語るのを拒み、「事件と自分で見てきたもののギャップが大きくて、そのギャップを埋めるのがなかなか難しかった。(教祖)本人から事件を起こしたのは自分と言ってもらえばすっきりした。ほんとに本人の口から聞きたかった。本当に残念です」と教祖自身の言葉、今もこだわりを見せる。そうした言動を見ていると、彼女はまだ、オウムの問題を自分の中で整理し尽くせていないように思えるところがある。
また、親子関係が修復せず、無罪放免となった場合の居場所についても、裁判ではなんら明らかにならなかった。そのため、検察官は論告の中で、「不安定な気持ちの被告人に対し、現教団が手を伸ばしてくるおそれもある」と述べた。
しかし、こうした事情は、有罪の時の量刑には影響するとしても、有罪か無罪かを認定する材料にはならない。そのように扱ってもならないことは言うまでもない。事実認定は、オウムに対する不安のような感情的要素に左右されてはならない。
判決は、30日午後2時に宣告される。