公認心理師・信田さよ子さんに聞くDV、ハラスメント。「殴る側は自分が被害者だと思っている」という事実
世界でもダントツに人権意識の低い日本
殴る。蹴る。怒鳴る。必要もないのに体に触る。卑猥なことを言う――公の場所で行われれば、傷害罪や暴行罪、脅迫罪、強制わいせつ罪に問われるような行為は、家庭内や高齢者介護等の施設内ではなかったかのように見過ごされてきた。その発生件数は、コロナ禍によるストレスで増加しているとも言われている。
こうした行為は「ドメスティックバイオレンス(DV)」「ハラスメント」と呼ばれ、今も犯罪とは別物であるかのような扱いである。
日本は世界でも特に人権意識が低いことが指摘されている。それが、こうした問題への対応の鈍さにも影響しているにちがいない。
遅く鈍い、DV、ハラスメントへの対応
それでも徐々にではあるが、犯罪に該当するようなこうした行為への対応を義務づける法整備は行われてきた。
セクシュアルハラスメント(セクハラ)への配慮義務が、男女雇用機会均等法の改正で規定されたのは1997年(「配慮義務」から「措置義務」化されたのは2006年)。
2001年には、DV防止法(配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律)が施行され、2020年には、職場でのパワーハラスメント(パワハラ)対策を義務化した改正労働施策総合推進法が施行された。
2018年に財務官僚の女性記者に対するセクハラ疑惑や、大学運動部でのパワハラ問題などが立て続けに起こったこともあり、人権を守る意識も少しずつ醸成されてきた。2022年には、自衛隊女性隊員の実名によるセクハラ告発が大きく報道され、加害隊員に対する処分が行われたことが記憶に新しい。
しかし、こうした行為への対応はまだまだ遅く、鈍く、DV被害やハラスメント被害がなくなることはない。
筆者が専門とする高齢者介護現場でも、ハラスメント被害は後を絶たない。
バイオレンス、ハラスメント加害はなぜ起きるのか。
この加害にどう対処すべきなのか。
日本公認心理師協会会長で、DV加害者の教育プログラムに取り組む、公認心理師の信田さよ子さんに話を聞いた。
信田さよ子さん
日本公認心理師協会会長。日本臨床心理士会理事・バイオレンス・ハラスメント専門委員会副委員長。1995年原宿カウンセリングセンターを設立。初代所長(現・顧問)。アルコール依存症、摂食障害、ドメスティックバイオレンス、子どもの虐待などの問題に取り組んでいる。
「病者」「高齢者」は権力者
信田さんがまず指摘したのは、病気を持つ人、高齢になった人が身につける「権力」だ。
「病気になった人、歳をとった人というのは、“弱者の権力”を身につけます。支援者に対して行使する、『あなたは私が生きていけるように世話をしなくてはいけない』『言うことを聞かなくてはいけない』という権力です。もう彼らはそうした権力しか拠り所がないのです」
世話をしてもらわなくては生きていけないのだとしたら、そんな権力を行使して見捨てられたらどうしよう、とは思わないのだろうか?
「見捨てられるはずがないと思っているんですよ。それは、“世間の常識”“世間体”というものがバックにあるからです。“常識”世間体“の圧力は強力です」
病気の人、要介護の人の世話をしないのは人としてどうなのか。そんな罪悪感を刺激することで、思うとおりに介護家族や介護職などの支援者をコントロールしようとする。力関係で言えば、本来、支援者の方が主導権を持っていいはずだ。しかし、“罪悪感”を使った被支援者によるコントロールで、倫理観を持つ支援者と被支援者の力関係は逆転する。
特に、介護職などの対人援助職は支援対象を「庇護する」教育を受けているため、暴言や暴力に対して無抵抗になりやすい。暴力や暴言にも“上手に”対応することが専門家だという誤った認識が、介護の現場に定着してしまっているという側面もある。
「でも、庇護の対象であるはずの高齢者は、実際にはしたたかです。高齢者が支援者をコントロールするために使う“常識”を捨てて、支援者と被支援者はある意味対等だと考える支援者教育が必要です」
家族介護者も同様に、罪悪感による高齢者のコントロールから逃れるには、“常識”“世間体”から自由になる必要がある。
「殴りたくなるようなことをするおまえが悪い」
信田さんはまた、DVやハラスメントの加害者は、「自分たちこそ被害者だ」と考えているものだと指摘する。
「DVもハラスメントも、もっと言えば殺人もみんなそうです。加害者からすると、『許せない扱いを受けたから、行為に及んだのだ』と。だから、バイオレンス・ハラスメントでは、行為に及んだ理由を問題にしてはいけないのです」
どんな理由があろうと、「その行為が問題なのだ」と言う必要がある。バイオレンスやハラスメントにおいては、“理由”と“行為”を切り離すことが必要だと、信田さんはいう。
「どれだけ『許せない』と感じたとしても、それは口で言えばいい。手紙に書いたっていい。なのになぜ殴るんですか? DVで妻を殴る夫は、『俺だって殴りたくて殴っているんじゃない』『殴りたくなるようなことをするおまえが悪い』と言います。ウクライナに侵攻したロシアも、ロシアなりの理由があるでしょう。でも問題はそこじゃない。“侵攻したこと”が問題なのです」
ただし、そこで伝えるべきは、「殴る方が悪い」ということではない。
「いい・悪いではないのです。伝えるべきは、『それは許されない』ということです。加害者に『あなたが悪い』と言えば、『俺は悪くない』という水掛け論になります。そうではなく、『あなたの行為は、妻を、家族介護者を、介護職を傷つけることであり、許されない行為です』と伝えるのです」
親密だからこそ暴力が生まれる
DV加害者の教育プログラムも手がけている信田さんは、しかし、そう伝えたからと言って、加害者は納得はしないと言う。
「『ああ、自分が悪かった』と納得するのは、文学の世界のこと。伝える目的は納得させることではありません。暴力は許されない行為であり、その責任を取るのは殴ったあなたなのだということ。それを伝えて、加害者に知識として知ってもらうことが目的なのです」
しかし、納得しない加害者は変わることができるのだろうか?
「DVの場合で言えば、殴る夫はやっぱり妻と子と別れたくないんですね。だから、『俺は悪くない』『俺は間違っていない』と言い続けることが、将来、妻や子との関係を築き直すためにプラスになると思いますか、と問いかけます」
同じように、介護家族や介護職に暴言を吐き、暴力をふるう高齢者にも、それが今後の自分と介護者との関係にプラスになるかどうかを考えるよう求めることが必要なのだ。
「DV加害者には、殴るのはいけないことだという自覚以前に、すべてを受け入れてくれるのが妻だから殴るのだ、という人もいます。彼らは、“親密さ”とは暴力も含めた自分のすべてが許容されることだと思っているから殴るのです。だから、親密な関係は本当に危ない。殴られている人にとって、それは甘えでも愛情でもなく、暴力であり、ハラスメントなのだと再定義しなければなりません」
加害者は殴ることで何を得ているのか。そして、殴る以外の方法は何がありうるのか。信田さんは、加害者教育プログラムでそれを加害者と一緒に考えていくのだという。
早く介入して支援する体制づくりを
高齢化が進む日本では、今後ますます高齢者が増えていく。ずっと棚上げされてきた様々な問題を抱えた人たちが高齢になり、問題があらわになっていくのが介護の現場ではないかと、信田さんは指摘する。
「自分は高齢者だとは思いたくない人、認知症であることを認めたくない人もいます。自分の現状を認めたくない。他者から見えている自分を受容できない。そんな難しい人がこれからますます増えていくでしょう。そうした人たちに早く介入して支援する体制を、本気で考えていく必要があると思います」
DV、ハラスメント問題は、これまで被害者へのカウンセリングやシェルターの整備といった形での被害者支援に力が注がれてきた。しかし、信田さんが取り組んでいるような、加害者側に行動を改めさせるための支援が整備されなくては、問題はいつまでも繰り返されるだろう。そして同時に、被害を受けている人たちも意識を変える必要がある。
殴る。蹴る。怒鳴る。必要もないのに体に触る。卑猥なことを言う――そんなバイオレンス・ハラスメントの被害を受けた人は、自分が悪いのでも我慢すべきことでもなく、決して「許されない行為」なのだと認識してほしい。そして、DV、ハラスメントを断固として拒否してほしい。
家族や組織のような閉ざされた関係において、DV、ハラスメントを完全になくすのは難しいのかもしれない。
それでも、被害を受けた人がDV、ハラスメントを容認せず、なかったかのようしないことには大きな意味があると、信田さんは言う。
「これまで刃向かってこなかった相手が、自分にNOを突き付けてくる。これで初めて、加害者は自分の行動を改めなくては受け入れてもらえないのだと、ほんのわずかですが気付き始めるのです」
繰り返されるこの問題の解決に向けた第一歩は、ようやくそこから始まるのだ。