「日本の植民地時代の鉄道をそのまま使用」北朝鮮が認める
朝鮮半島初の鉄道は1899年、当時はソウル郊外だった漢江の南岸の鷺梁津(ノリャンジン)から仁川(インチョン)を結ぶ京仁線だ。その次はソウルと釜山を結ぶ京釜線で1905年に開通し、現在の北朝鮮を南北に貫く京義線が開通したのは1908年だ。
日本の支配下に入ってから各幹線は朝鮮総督府が運営し、鉱山鉄道などは民間会社が運営するようになった。中でも鉱工業の中心地だった咸鏡道(ハムギョンド)には多くの私鉄が敷設された。昨年、大規模な鉄道事故が起きたクムゴル線を建設したのは、龍陽(リョンヤン)鉱山を運営していた朝鮮マグネサイト開発だ。
事故の原因は、急勾配を登る電気機関車が、電圧の低下により逆走したためだが、設備の老朽化も少なからず影響を及ぼしたであろう。
(参考記事:通勤列車が吹き飛び3000人死亡…北朝鮮「大規模爆発」事故の地獄絵図)
施設の老朽化が著しい鉄道だが、当局は、旧正月(2月10日)を前に、線路の管理をさらに慎重に行うように指示を下した。
現地のデイリーNK内部情報筋によると、当局は貿易の発展のためには鉄道は重要だとし、平安北道(ピョンアンブクト)内の鉄道線路の管理をシステマチックに行うように指示した。
指示文には、現在全国的に使われているレールは、1930年代から40年代の初めに敷設されたものをそのまま使っているため、「さらに慎重な管理が必要だ」とあるという。そして、負荷がかかりやすいレールに限って新しいものに交換するように指示した。内部向けの指示とは言え、日本が建設したものを未だに使っていることを認めた形だ。
植民地時代や、朝鮮戦争後に旧共産圏からの援助で作られたインフラが補修しつつ使われている例は、鉄道、水道、機械設備など枚挙にいとまがない。適切な補修が行われていないため、大事故や感染症の拡大に繋がるのは珍しいことでない。
北朝鮮は、最重要幹線である首都・平壌から新義州(シニジュ)を経て、中国の丹東を結ぶ路線の複線化について、中国との協議を行っている。実はこのプロジェクトだが、かなり前から作業が始まっていた。
2014年に、平壌から丹東までの鉄道を複線化するとして、線路から半径100メートル以内の民家、機関、商店などに対して立ち退きを命じ、多くの人員と資材を投入して工事を始めた。
しかし、立ち退き作業だけ終えて工事がストップしてしまい、せっかくの複線用の敷地には民家など様々な建物が建てられてしまった。
当局はこれらの建物について、一日も早く立ち退かせ、上部の指示が下されればすぐにでも工事が始められるように準備せよと命じた。私有財産の保障されていない北朝鮮で、立ち退きは有無を言わさず進められるが、折からの財政難もあり複線化工事が進むかはわからない。
ちなみに複線化工事は1940年代に始まっていたが、1950年に勃発した朝鮮戦争によりストップしてしまい、今に至るまで単線での運行を続けている。
コロナ前の2019年には、外国人観光客の観光客の数が交通インフラやホテルのキャパシティを超えてしまい、受け入れを制限する事態へと発展している。