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栄光の影でアルコール&薬物依存と闘った54年の生涯。『フレンズ』人気俳優マシュー・ペリー逝く

安部かすみニューヨーク在住ジャーナリスト、編集者
(2017年撮影)(写真:ロイター/アフロ)

ニューヨークを舞台に繰り広げられた人気ドラマ『フレンズ』。その出演者としても知られる俳優のマシュー・ペリーさんが28日に亡くなったことが報じられた。54歳だった。

1994年から2004年にかけてのドラマだが、アメリカでの人気はいまだに高い。流石に影響力大の俳優だけあり、筆者の周りもペリーさんの突然の死について話題にする人が多かった。特に女性ファンから「信じられない」とその早すぎる死を悼む声が聞こえてきた。

ドラマの舞台になったマンハッタンにはこのドラマがテーマの博物館、ザ・フレンズ・エクスペリエンスがある。SNSにはファンから「まるで家族を失ったように悲しい」「同じように悲しみの中にいるファンが今もこんなにいるなんて」「私たちが悲しい時(チャンドラー役で)いつも笑わせてくれた最高のキャラクターだった」「笑いをありがとう」など、追悼のメッセージが多数上がっている。

死因は?

ペリーさんは同日午後4時ごろ、ロサンゼルスの自宅のホットタブで意識がない状態でアシスタントによって発見されたと、いくつかの報道で伝えられている。事件性はなく溺死だと見られるという情報もある。 

一方、直前まで体を動かせるほど元気だったようで、「依存症」からの回復の過程で週に4、5回プレーするほどハマっていたピックルボールを数時間前までプレーしていた姿がコートで確認されているなど不可解な点がある。

筆者の周りのファンの反応も、ホットタブ(一般のプールの大きさ)で溺死というのは「違和感がある」という意見があった。筆者もそう思った一人で、芸能人がタブ(浴槽)で溺死というニュースで思い出したのは、2012年に急死した歌手、ホイットニー・ヒューストンさんだ。彼女は生前、薬物とアルコール依存症を打ち明け、亡くなった滞在先のホテルの浴室からコカインが検出されている。ペリーさんも長らく、薬物およびアルコール中毒と闘っていたため、急死の報に「もしかして?」という思いが心によぎった。

しかし死因を語るのは時期尚早のようだ。30日付のCNNによると、ペリーさんの死因はロサンゼルス郡検視局による解剖で特定できておらず、現段階で死因の特定は「見送り」とされている。酒や薬物によるものなのかを特定するにはさらなる検死が必要とのことで、今はまだ不明点が多いようだ。

栄光の一方で溺れた酒と薬物...「依存症」と闘った人生

ペリーさんが『フレンズ』で演じていたチャンドラーという人物は、皮肉たっぷりのウィットに富んだジョークが炸裂し、ユーモアのセンスが溢れるキャラクターだった。当然演じたペリーさんの好感度も高かった。しかしその役柄、そしてキャリアの成功とは裏腹に、ペリーさんの人生は複雑だった。

ペリーさん(左)らフレンズ出演者(2001年撮影)。
ペリーさん(左)らフレンズ出演者(2001年撮影)。写真:ロイター/アフロ

まずプライベートでは、チャーミングで甘いマスクなのでモテたであろう。人気絶頂期にジュリア・ロバーツなど数名の女性と浮き名を流した。近年は落ち着き、家族や子どもを持ちたいと考えているとテレビのインタビューで話し、20年、彼が51歳の時に22歳年下でマネージャーのような存在だったモリー・ハーウィッツさんとの婚約を発表した。しかし結局結婚には至らず、生涯独身を貫いた。

またアルコールそして薬物の中毒症状があり、更生に向け闘った孤独な人生でもあった。14歳で酒を飲み始め、18歳になるころには毎日飲む習慣がついた。24歳で『フレンズ』への出演が始まり大スターに。人気絶頂にあった時期、撮影現場では飲酒をしないようにしていたが、二日酔いで演じることもざらで、時に汗をかいたり震えたりしていたという。匂いでも共演者には彼の度が過ぎる飲酒習慣が伝わっていたようだ。

また97年、28歳の時にジェットスキーの事故に遭い、医師から処方された鎮痛剤がきっかけで、オピオイド中毒にもなった。1日あたり55錠ものバイコディン(Vicodin)の錠剤を乱用する時代があったと、後に告白している。

それらの影響は深刻で、30歳の時点でアルコール性膵炎に罹ったが、やがて断酒・断薬へ向け長いリハビリテーション・プロセスの一歩を踏み出すことになった。その道は容易なものではなく、彼は治療と依存を繰り返した。ドラマの収録を2ヵ月中断し、酒と薬物の中毒者のためのリハビリ施設に入院し治療に専念した時期もあった。オピオイドの過剰摂取で大腸が破裂するなど、体は悲鳴を上げていた。入退院と手術を繰り返す中で2週間昏睡状態に陥り、医師から生存率2%と告げられたこともあった。

ペリーさんは自身の中毒と闘った人物としてだけでなく、同じように苦しんでいる人々のために献身的に働きかけたことでも知られる。

2013年、カリフォルニア州のかつての邸宅にリハビリ施設「ペリーハウス」を開設し、ホワイトハウス国家薬物管理政策局からチャンピオン・オブ・リカバリー賞を受賞している。また彼は、重度の依存症からの回復を試みる自身の経験を通して、リハビリテーションの提唱者となり、全米ドラッグ・コート専門家会議(NADCP)のスポークスマンとして、同じ悩みを抱える人々を支援した。21年にアルコールと薬物を絶ったことを宣言し、翌22年11月には、依存症から回復するための体験を赤裸々に告白した回想録『Friends, Lovers, and the Big Terrible Thing: A Memoir(友人、恋人、そしてひどい災難)』を出版し、同じ境遇にいる人々を励ました。

「私が死んだら...」。生前のインタビューで語った内容

生前のインタビューで、ペリーさんはこんなことを語っていた。

依存症体質について「富裕層か低所得層かなんて選ばない。特定の遺伝子を持っている人にランダムに忍び寄って来るもの」「僕は意志がない弱い人間だと思われている。皆が依存症患者に対して抱いている誤解だ」「自分が死んだら、最初に『フレンズ』の登場人物として語られるより、依存症の人々の回復を助けた人物として記憶される人でありたい」。

依存症からの回復のために決して容易ではない努力をこれからも続けていく意思を最後まで見せ、さらに人々にも力になりたいというメッセージを発信していた。人々に笑いと勇気を与え続けてくれたペリーさん。ご冥福を祈ります。

(Text by Kasumi Abe)無断転載禁止

ニューヨーク在住ジャーナリスト、編集者

雑誌、ラジオ、テレビ、オンラインメディアを通し、米最新事情やトレンドを「現地発」で届けている。日本の出版社で雑誌編集者、著名ミュージシャンのインタビュアー、ガイドブック編集長を経て、2002年活動拠点をニューヨークに移す。出版社のシニアエディターとして街ネタ、トレンド、環境・社会問題を取材し、日米で計13年半の正社員編集者・記者経験を経て、2014年アメリカで独立。著書「NYのクリエイティブ地区ブルックリンへ」イカロス出版。

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