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パリ五輪・金メダル直後の爆弾発言に韓国パニック!女子バドミントン王者が“協会批判”したワケ

慎武宏ライター/スポーツソウル日本版編集長
金メダルを手に笑顔を見せるアン・セヨン(写真:ロイター/アフロ)

韓国が歓喜に酔いしれる間もなく混乱に陥っている。パリ五輪・バドミントン女子シングルスで金メダルを獲得したアン・セヨン(22)の“爆弾発言”のためだ。

(参考記事:韓国バドミントンに28年ぶりの金メダルも不穏な空気…試合直後に協会批判「大変失望した。一緒に続けるのは難しい」

アン・セヨンは8月5日(日本時間)、フランス・パリでポルト・ド・ラ・シャペル・アリーナで行われたパリ五輪・バドミントン女子シングルス決勝で中国の何冰嬌を2-0で下し、金メダルを獲得した。

アン・セヨンはどんな選手なのか

準々決勝では日本の山口茜を破るなど、順調な勝ち上がりで見事表彰台の頂点に立ったアン・セヨン。韓国では有名なバドミントン界のスター選手だ。

2017年のバドミントン代表選抜で彗星のように登場し、当時中学3年生ながら韓国史上初めて“中学生の国家代表”となった天才少女でもある。

2019年10月のフランスオープン女子シングルスではリオ五輪女王のキャロリーナ・マリーンを破り優勝。2021年東京五輪では準々決勝で敗退したが、2022年には世界選手権優勝、2023年には杭州アジア大会で優勝。そして今回のパリ五輪も制し、名実ともに真の“バドミントン女王”となった。

何より、1996年アトランタ五輪のパン・スヒョン以来、28年ぶりに五輪女子シングルスで金メダルを獲得する歴史も築いた。

報道陣もパニックの爆弾発言

ところが、韓国国内が金メダル獲得の余韻に浸るなか、アン・セヨンは突如として爆弾発言を放った。パリ五輪を現地取材中の『スポーツソウル』チョン・ダウォ記者によると、彼女は試合後、報道陣の前で次のように語ったという。

「私の負傷は想像以上に深刻だった。誤診を受けた後、我慢して試合をした。五輪に出場することができないような負傷だった。それでも我慢した。トレーナーの先生が手伝ってくれて、ここまで来た。代表がいい加減だと思った。とてもがっかりした。忘れることができない。この瞬間を最後に、代表と一緒に続けていくのは難しいのではないかと思う」

韓国バドミントン協会をストレートに批判する“直撃弾”だ。アン・セヨンの突然の爆弾発言には、現場にいた報道陣もパニックに陥るほどだった。

なぜ彼女は自ら晴れ舞台をひっくり返したのか

なぜ、アン・セヨンは自ら晴れ舞台をひっくり返すような発言をしたのか。彼女が言及した事件の発端は、昨年までさかのぼる。

アン・セヨンは昨年秋に行われた杭州アジア大会で右膝の膝蓋腱を負傷した。負傷当初は最低2週間から最大5週間程度の回復期間が必要という診断を受けたが、年末になっても膝は治らなかった。

その後、再び検査を受けた結果、「パリ五輪前まで完璧な治療は難しい」という所見を受けたが、アン・セヨンはこれを“誤診”と表現した。結局、彼女は膝の痛みに適応する方法で五輪の準備を進め、本大会にも出場することができた。

“代表引退”ではない?

もっとも、チョン・ダウォ記者によると、「アン・セヨンが引退宣言をしたとは言い難い」という。

「彼女は“バドミントンの発展と個人の記録のために、協会がどうしてくれるかはわからない。これから最高、最大といった記録をたくさん築いていくのが目標だ”とも発言し、現役を退く計画はないという考えを間接的に表現しました」

また、「代表引退という意味か」という報道陣の質問には、「よく話し合ってみなければならないが、大変失望した。後日、再び説明する機会があると良い。協会が今後どうやってくれるのかわからない。バドミントンだけができるなら、どんな状況でも耐えられると思う」と回答している。

「そのうえで、“代表を離れるといっても、五輪に出られないわけではないと思う。シングルスとダブルスは異なる。シングルスだけ出るといって、選手の資格をはく奪されるわけにはいかない。協会がすべてを妨げているようにも感じる。自由という名のもとに放任している。私たちのバドミントンは大きな発展を遂げられると思うが、金メダルはひとつしか出ていない。振り返るべき時期ではないかと思う”と、改めて協会に苦言を呈していました」

協会も混乱「選手と対話する」

アン・セヨンの発言には韓国バドミントン協会も混乱しているようだ。チョン・ダウォ記者によると、協会関係者は「我々も少し当惑している。協会なりに最善を尽くしたと思うが、選手が“不足していると思う”とインタビューをしたので···。世界最高の選手を支えるために我々は最善を尽くしたが、いずれにしても選手は不足していると感じたようだ」とコメント。

続けて、「ひとまず、帰国後にアン・セヨン選手と対話を交わす。不足している部分があれば、その部分を解決する。今すぐパリでするよりは、帰国後にするのが正しいのではないかと思う。協会に間違った内容があるのか、選手と対話を交わす。選手も苦痛を訴えたので、我々も選手と直接会って、選手の話を聞くことが先ではないかと思う」とし、「帰国後、協会の立場を公式に発表する」と明らかにしたという。

アン・セヨンは自身が負傷した後、協会の対処とトレーナーの措置などに不便さを感じ、自分なりの方法を提示したところ、意見の相違が発生したようだ。

このため、一時は協会と“不便な同居”が続いたというが、ひとまずはある程度お互いの意見を調整し、パリ五輪に出場。そして今回、悲願の金メダルを獲得したことで、心に抱いていた不満を公に表したものと見られる。

SNSでも不満吐露「再び傷つけられた」

アン・セヨンが最初から引退を宣言したのであれば話は別だが、とりあえずは現役続行の意思が強いだけに、協会との確執は簡単には解決されない見通しだ。

そんなアン・セヨンは試合後の6日未明、自身のSNSで「今日はロマンチックに終えたいと思っていたのに、私のインタビューに皆さん驚かれたでしょう?ひとまず宿題を終えた気分を少し楽しみたいが、そういう時間もなしに私のインタビューがまた別の記事に拡大されていて、私の物語は山あり谷ありで簡単ではありませんね」とし、次のような長文を投稿した。

「まずは私のオリンピックを応援してくれ、待っていてくれて感謝します。その終わりに選手管理に関してお話ししたかったのですが、不本意ながら責任を転嫁する協会や監督の記事に再び傷つけられました。私が優れているからではなく、選手が保護され管理されるべき点、そして権力よりもコミュニケーションについていつか話したかったのですが、また刺激的な記事で再生されるのは残念です」

「誰かと戦争するように話す部分ではなく、選手の保護に関する話であることを理解してください。そして引退という表現で曲解しないでください。私が話したいことについて、一度は考えて解決してくださる大人がいてほしいと願っています」

金メダルの快挙を成し遂げたアン・セヨンの歩みは、バドミントン界を超えて韓国スポーツ界全体のイシューとなっている。協会には選手との対話を通じて、円満な解決が実現することを願うばかりだ。

ライター/スポーツソウル日本版編集長

1971年4月16日東京都生まれの在日コリアン3世。早稲田大学・大学院スポーツ科学科修了。著書『ヒディンク・コリアの真実』で02年度ミズノ・スポーツライター賞最優秀賞受賞。著書・訳書に『祖国と母国とフットボール』『パク・チソン自伝』『韓流スターたちの真実』など多数。KFA(韓国サッカー協会)、KLPGA(韓国女子プロゴルフ協会)、Kリーグなどの登録メディア。韓国のスポーツ新聞『スポーツソウル』日本版編集長も務めている。

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