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ヒカル宇多田のすべらない歌とすべりまくるMVの理由【月刊レコード大賞】

スージー鈴木音楽評論家、ラジオDJ、小説家
何色でもない花 | HIKARU UTADA OFFICIAL WEBSITE

 東京スポーツ紙の連載「スージー鈴木のオジサンに贈るヒット曲講座」連動して毎月お届けする本企画。2月度は宇多田ヒカルの新曲を取り上げます。

 新曲を出すたびに、チャートの中で明らかに異質な輝きを放つ歌と、奇想天外なMVが楽しみな彼女。昨年の『Gold 〜また逢う日まで〜』のMVでは、何と新宿西口の空中に浮遊しました(こちら参照→『宇多田ヒカルはなぜ新曲「Gold」のMVで新宿西口の夜空に舞い上がったのか【月刊レコード大賞】』

 今回の新曲『何色でもない花』のMVは、帯広で撮影されたそうです。映像の中身がすごい。あの宇多田ヒカルが、氷の上をすべって、すべって、すべりまくる。手掛けたのは『Gold』のMVも手掛けた映像作家の山田智和。

 宇多田ヒカル本人の弁。

 ちなみにメイキングはこちら。

 楽曲は非現実感の中で進んでいきます。そもそもタイトル「何色でもない花」とか、歌詞も「僕らはもうここにはいないけど」「僕らは幻らしいけど」とか。サウンドとしても、イントロのシンプルなピアノや、三拍子のリズムなども非現実感を高めていく。

 そんな非現実感の中で、MV映像の中の宇多田ヒカルは、自分の意志で美しく淡々と踊っているように見える。

 ですが――。

 「♪だけど」(上映像で2:13くらい)という歌詞で火蓋が切られます。

 歌詞は「自分を信じられなきゃ 何も信じらんない」と強く展開し、非現実世界の中で「真実」を求めようとします。その瞬間、MV映像の宇多田ヒカルは、向かい風にあおられて、自分の意志に反して、氷上を流され、すべっていくのです。苦しそうに見えるのは、人生の中で「真実」を強く求める苦しみの表れでしょうか。

 そして突き刺さる「in it with you!」というシャウト。

 私は「♪だけど」以降の映像を見て、アイコンとしての「宇多田ヒカル」が「人間・宇多田ヒカル」に転換する感じがしたのです。

 この4月に発売されるベストアルバムは、宇多田ヒカルの「デビュー25周年記念」。四半世紀前、15歳でデビューして、すべての成功をほしいままにして、時代のアイコンとして取り扱われ、人生の波乱も経験しました。

 そして2016年、傑作アルバム『Fantôme』をリリース。以降の作品を通底するテーマは、アイコンではなく「人間」としての自らの発露だと思うのです。言わば、あの宇多田ヒカルの「人間宣言」。だから、『Fantôme』以降の宇多田ヒカルの新曲は外さない、というか、すべらない。

 そういえば、2010年に音楽活動を休止したときの理由は「人間活動」でした――。

 MVの中、宇多田ヒカルの最初の表情と最後の表情を見比べてください。私には、向かい風にあおられて、氷上をすべってすべって苦闘した後の、最後の表情の方が強く迫ってきました。

 なぜなら――人間こそが美しい、のですから。以上、「ヒカル宇多田のすべらない歌とすべりまくるMVの理由」。

  • 『何色でもない花』/作詞・作曲:宇多田ヒカル
  • 『Gold ~また逢う日まで~』/作詞・作曲:宇多田ヒカル

音楽評論家、ラジオDJ、小説家

音楽評論家。ラジオDJ、小説家。1966年大阪府東大阪市生まれ。BS12『ザ・カセットテープ・ミュージック』、bayfm『9の音粋』月曜日に出演中。主な著書に『幸福な退職』『桑田佳祐論』(新潮新書)、『EPICソニーとその時代』(集英社新書)、『平成Jポップと令和歌謡』『80年代音楽解体新書』(ともに彩流社)、『恋するラジオ』(ブックマン社)、『サザンオールスターズ1978-1985』(新潮新書)、『1984年の歌謡曲』(イースト新書)など多数。東洋経済オンライン、東京スポーツなどで連載中。2023年12月12日に新刊『中森明菜の音楽1982-1991』(辰巳出版)発売。

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