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【連載・第1回】震災報道で気づいた「放置される性虐待」~若年女性の“見えない傷”と「レジリエンス」

治部れんげ東京科学大学リベラルアーツ研究教育院准教授、ジャーナリスト

地方を、そして日本を本当の意味で活性化させるために必要なものは、何でしょうか。それは、実はとてもシンプルで、若い女性たちのもつ力を最大限活かすこと。彼女達の声に耳を傾け、必要とする支援を提供することで、安心して働き、家族を作り、定住できるようになるでしょう。そうすれば、自ずと人口は増え、地方自治体は消滅から再生へと向かうはずです。

この短期連載では、東北の若年女性への聞き取り調査「Tohoku Girls Voices」と、調査チームへの取材をもとに、地方創生、そして日本再生のヒントを探ります。震災当時、10代~30代始めだった女性たちの声から今後の政策が見えてくるでしょう。

調査分析を手掛けたジェンダー専門家の大崎麻子さんは言います。「災害によって顕在化された社会の構造的な問題や、個々人が持つ脆弱性の問題と向き合い、ひとりひとりがエンパワーされることによって、復興は、単にもとの状態に戻るのではなく、より良い社会を作ることにつながります」

こうした発想は国際社会の潮流でもあります。若年女性が負った傷と、そこから回復する過程で使われる能力や資源(=レジリエンス)を生かすことこそが、今後の日本の発展には不可欠なのです。

■見過ごされてきた若い女性の苦労「私は被災者じゃない」

東日本大震災が起きた当時、被災地に住んでいた若年女性の話を聞いてみると、皆、決まって同じことを言うのに気づきます。

震災で被害に遭った人の話を聞きたい、ということなら、私は当てはまりません――。

どういうこと? と思い、会話を続けるうちに、彼女たちの微妙な心情が見えてきます。「被害に遭っていない」というのは「家を津波で流されていない」とか「家族を亡くしていない」ということなのです。たとえ大変な経験をしていても、もっと大変な被害に遭った沿岸部の人たちに配慮して「辛かった」とは言えない彼女たち。その本音に耳を傾けてみましょう。

震災に加えて「認識されない被害」のお話を聞かせてくれた美樹さん
震災に加えて「認識されない被害」のお話を聞かせてくれた美樹さん

新幹線の停まるある都市で話を聞かせてくれた、美樹さん(30代・仮名)もそんな遠慮がちな女性のひとりでした。昼食を取りながら話を聞こうと、ホテルのレストランに座ると、すぐ、こう言いました。

「私は被災者とは言えないと思うんです。家は壊れていないし、家族も無事でしたから」

私の話で、取材の趣旨に合うんでしょうか…という美樹さんと、しばらく雑談をしているうちに、こんな言葉が出てきました。

「そういえば、私の家族は無事でしたが、母の再婚相手は津波で流されたそうです」

自分の家族は無事でも、その知人や家族に亡くなった方がいる…身近に辛い思いをした人がいるだけに「自分は大したことはなかった」とつい言ってしまう心情は、他の若年女性にも共通しています。実際、生活面では、大変な経験をしています。

「地震から1カ月くらいは、スーパーに商品がありませんでした。毎日、開店1時間前に並んで買い物をするんですが、制限があって、買える数が決まっています。たいてい、菓子パンくらいしか買えなくて、暖かいお惣菜を作ることはできませんでした。」

ライフラインも大きな影響を受けました。

「ガスと電気はすぐ復旧しましたが、食料とガソリンが普通に手に入るまで1カ月かかりました。車で30分ほどの実家にも行けず、家族のことが心配でした」

このように、被災地の外から見れば、明らかな被災体験であり、困難であっても、被災地の中に住んでいると、その辛さを認識しにくい状況がありました。実は震災時、10代半ば~30代始めだった若年女性達は、家庭内や避難所で周囲の人を助ける役割を自然と引き受けています。

美樹さんが家族の食糧調達のため寒い中、開店前のスーパーで1時間並んだように、忙しい両親に代わって10代の娘が祖父母の介護をしたり、避難所では自分たちに配られた食料や毛布まで、高齢者や子どもに食料や毛布に分けたりする若い女性たちはたくさんいました。子どもではなく、子連れの母親でもない若年女性たちは、こうして家庭内や避難所で、ケアワークを担うことになったのです。しかし、彼女たちの努力や苦労は、これまでほとんど注目されてきませんでした。

■手を差し伸べられる被害者と放置される被害者

ところで、震災から1年たったある日、ふと思ったことがある、と美樹さんは言います。

被災地にはたくさんのお金が落ちている。復興しなきゃ、と政府は思っているようだけど、“私たち”は何も支援を受けられず、放置されている。これは、おかしいんじゃないか」

美樹さんのいう“私たち”とは、性的虐待に遭った人たちのことを指します。美樹さんは10年ほど前から、被害経験者の自助グループを作って活動してきました。病院の一室を借りて月に1回、ミーティングを開き、コストは各自で負担しています。

被害者なのに、なぜ、回復するために、自分でお金を払わなくてはならないのか…という美樹さんの問いは、ストレートでありながら「被害」認定の政治性を突きつけるものでもあります。

もちろん、震災で家族や家を失った方の悲しみや喪失感は計り知れず、復興政策で常に最優先に取り組むべき課題です。

一方で、震災の影響は広い範囲のひとの人生に影響を与えました。今後、ひとりひとりの力が生かされる社会を作ることを本当の意味での復興と考えるなら、震災による被害の大きさだけでなく、ひとりひとりが持っている「レジリエンス」とは何か、それを最大限引き出すにはどうすれば良いのか、ということを分析していく必要があります。

そのために、本企画では、若い女性の経験に耳を傾け、震災が明らかにした「認識されない被害」と、そこから回復しようとする個人の力やそれを生み出すものについて、見ていきます。

「私は7歳の時、父親から性虐待を受けました。その後しばらく、父親に反抗してきました。見られることすら嫌だった」

■自分でも何が起きたか分からないまま、20年が過ぎた

美樹さんが自分の身に起きたことを認識できるようになったのは、20代後半のことだった、と言います。

「ずっと『親が子どもにそんなことをするわけない』とか『大人が子どもに性欲を持つわけがない』と思って、否定してきました」

高校生の時、美樹さんの両親は離婚し、母親が家を出て行きました。「一緒に来る?」と聞かれた美樹さんは、弟と家に残ることを選びます。

「母が子どもより、男を選んだんだ、と思うと、さみしかったです。でも『さみしい』とは言えず、過食が始まりました」

摂食障害の数年後に、援助交際を始めた、と言います。その後、精神状態が悪化し20代前半は友達にも会えない状況に。

「当時はおじさんとセックスした後、お金を取るのが復讐のように思えました。自分自身を大切と思えなかったから、身体を売ってお金を取るのは“トク”だと考えていた。売春が自分を傷つけると認識できたのは『自分は大事だ』と思えるようになってから

10年近く続いた摂食障害で20代半ばには不眠症が始まりました。自ら調べて精神科を受診。その直後に父親が亡くなり、その頃、性虐待のことを思い出したと言います。

「援助交際をしていた理由が、自分の中で腑に落ちました」

性虐待の事実を思い出し、自分が被害者だったと認識できたことで、自傷行為のように援助交際を続けていたわけが、分かったということです。それにより、自尊感情が回復し、援助交際をやめることができました

その後、東京で同じ経験を持つ人が集まる自助グループに参加し、自分が住む街でもそうしたグループが必要と考えて、手弁当で立ち上げ、今に至るまで約10年間、完全なボランティアで企画運営してきました。精神科での治療過程で今の夫と出会い、自分の過去を全て話して受け入れてもらえたそうです。

夫と出会って、自分を大切にしてくれる男性がいる、と分かりました。それまでは、どこか父親に似た人、暴力的な人や支配的な人と付き合っていた。そういう男性たちとの間に、もし子どもが出来たら、自分と同じように虐待されるのではないか…と心配になるような人たちです」

心理関係の専門家である夫は、美樹さんが経験してきた辛さを理解してくれています。長い年月をかけて一緒に傷を癒してくれた夫は、震災後の物資不足の中、美樹さんの誕生ケーキを作ってくれました。

「小麦粉を焼いてホットケーキを作って、ろうそくを立ててくれました」

「ずっと子どもが欲しかったのですが、自分がこういう風に幸せになっているのがうそみたい

■回復のきっかけは同じ被害に遭った仲間に気持ちを打ち明けられたこと

被害から約30年。美樹さんの人生を回復するきっかけになったのは、性虐待被害者の自助グループでした。

「同じ苦しい経験をした人に話を聞いてもらうことができたのが、よかったです。自分の心を開いて話せるようになったことで、憎しみや悲しさが減っていきました。今は、父を憎んではいません。父の家庭環境や夫婦関係も大変だった、と知っていますし。加害者がどうしてそんなことをしてしまうのか、知りたいと思うこともあります」

辛い経験をきっかけに病気になった美樹さんですが、自ら病院に行き、原因に気づいてからは、積極的な動きをしています。良い医師や、後に夫となる男性や、自助グループとの出会いでエンパワーされた(=力を得た)美樹さんは、自分自身の過去を振り返り、生き方を変えただけでなく、支援者として同じ苦しい経験をした人をサポートするようになりました

これは、記事の冒頭でジェンダー専門家の大崎麻子さんが指摘する「単にもとの状態に戻るのではなく、より良い状態を作る」プロセスと同じです。美樹さんは良い支援者に巡り合ったことで、個人的な心と身体の復興を果たしつつあるように見えました。

同じことは、他の地域に住む、他の人にも当てはまるでしょう。厚生労働省の調べによれば、平成24年度に児童相談所には、性的虐待に関する相談が1449件寄せられています。この統計には、美樹さんのように大人になってから被害に気づいた人は含まれません

美樹さんのような被害に遭った人が心身の健康を回復し、前より良い状態になるためには、適切な支援と長い年月が必要です。そして回復の第一歩は「自分の気持ちを話すこと」。今のように、幸せを感じることができるには、何が一番大事だと思いますか? と尋ねると、美樹さんは、こう言いました。

心を開いて話ができるようになったこと。それがなかったら、夫がどんなにいい人でも、うまくいかなかったと思います。やはり、自分自身が変わることが一番大事です」

美樹さんの言葉からは、想像しがたい辛い経験をした人も「心を開いて話せる場」に出会うことで、前より良い状態になる、きっかけをつかめることが分かります。では、どうしたら「話せる相手」が見つかるのでしょうか。次回は、見えない傷を抱える若い女性たちの声を聞き続けている、専門家の話をご紹介します。

東京科学大学リベラルアーツ研究教育院准教授、ジャーナリスト

1997年一橋大学法学部卒業後、日経BP社で16年間、経済誌記者。2006年~07年ミシガン大学フルブライト客員研究員。2014年からフリージャーナリスト。2018年一橋大学大学院経営学修士。2021年4月より現職。内閣府男女共同参画計画実行・監視専門調査会委員、国際女性会議WAW!国内アドバイザー、東京都男女平等参画審議会委員、豊島区男女共同参画推進会議会長など男女平等関係の公職多数。著書に『稼ぐ妻 育てる夫』(勁草書房)、『炎上しない企業情報発信』(日本経済新聞出版)、『「男女格差後進国」の衝撃』(小学館新書)、『ジェンダーで見るヒットドラマ』(光文社新書)などがある。

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