ドラマ『不滅の恋人』の重要人物チニャン大君は、史実ではどんな人物だったのか
毎週日曜夜にNHK総合テレビで放送されている韓国時代劇『不滅の恋人』。
15世紀の朝鮮王朝を舞台に、2人の王子が1人の女性をめぐって対立する史劇ロマンスだ。毎週楽しみにしている人も多いだろう。
『不滅の恋人』は時代劇だが、登場人物も物語も史実とは異なり脚色が加わった“フュージョン時代劇”といえる。
というのも女優チン・セヨンが演じるソン・ジャヒョンは、歴史上には存在しない。チン・セヨンは『オクニョ 運命の女(ひと)』に続き、架空の人物を演じているわけだ。
(参考記事:秘蔵写真に韓国現地情報も。時代劇『オクニョ』主役の美人女優チン・セヨンとはどんな人物か)
ただ、史実をモデルにした登場人物はいる。それがユン・シユンが扮するイ・フィ=ウンソン大君と、チュ・サンウクが演じるイ・ガン=チニャン大君(テグン)だ。
ウンソン大君は、第4代王・世宗(セジョン)の三男である安平(アンピョン)大君がモデル。そしてチニャン大君は、世宗の次男で後に第7代王・世祖(セジョ)となる首陽(スヤン)大君がモデルとなっている。
チニャン大君のモデル首陽大君とは?
特に首陽大君は、朝鮮王朝500年の歴史のなかでも独特の存在感を誇っている。どんな人物だったのか。
首陽大君は1417年9月29日、世宗の次男として生まれた。世宗は韓国語(=ハングル)の原型となる訓民正音(フンミンチョンウム)を制定した名君中の名君だ。ただ、文学や書芸を好んだ兄・文宗(ムンジョン)や弟・安平大君と違い、首陽大君は武人的な資質を持っていた。
1450年に父・世宗が亡くなると、長男の文宗が第5代王となる。が、文宗は即位からわずか2年で病に倒れ、まだ11歳だった端宗(タンジョン、文宗の長男)が第6代王となった。
王が幼いだけに、金宗瑞(キム・ジョンソ)ら高官たちによる政治が始まり、こうして王族と臣下の間に不和が生じるようになった。
王族のなかで力が大きかったのが、首陽大君と安平大君だ。金宗瑞は2人が仲たがいすることを狙い、安平大君を援助する姿勢を見せた。脅威を感じた首陽大君は、対抗するように武臣たちを仲間に引き入れ、虎視眈々と王位強奪の機会をうかがった。
そして1453年、首陽大君は行動を起こした。
数人の護衛だけを連れて金宗瑞の屋敷を訪れ、彼を殺害。その足で王宮に向かって端宗を脅し、高官たちの処罰を願い出た。
幼い端宗に叔父を抑えることできるわけがない。結局、首陽大君は、安平大君の官職を剥奪して賜死(しし)に追い込んだ。まさに首陽大君はクーデターを起こしたわけだ。
この事件は韓国史の中で「癸酉靖難(ケユジョンナン)」と呼ばれる。
“癸酉”は事件が起きた1453年を意味し、“靖難”は「国の過ちを正す」という意味だ。クーデター以外の何物でもないが、靖難とつけられているのは、勝者である首陽大君が記した歴史だからだろう。
金宗瑞らを失った端宗は身の危険を感じ、1455年に王位を退く。こうして首陽大君が世祖として第7代王となった。
史実では、首陽大君が勝者で、安平大君は敗者といえるが、時代劇『不滅の恋人』では、どう描かれるか。
フュージョン時代劇であるため、まったく別の経緯や結末になる可能性もある(これ以上はネタバレになるので言及は避けたい)だけに、こうした史実を参考に視聴してみるのも面白いかもしれない。