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【京都市】伏見区 高雄『神護寺』を再興した「文覚上人」ゆかりの「恋塚浄禅寺」は六地蔵巡りの一つの寺♪

高津商会RICALIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

文覚上人をご存知でしょうか?

文覚上人は京都高雄の古刹『神護寺』を再興した人物としても知られます。

神護寺』さんといえば、『高津商会』の小道具展でも大変お世話になっている、時代劇映画やドラマの撮影の聖地!私も大好きな場所で、いつも行くたびにドキドキするところです♪

京都では毎年8月22日、23日になると「六地蔵めぐり」をします。

「京の地蔵盆」は旧街道入り口『六地蔵巡り』で小野篁作地蔵に疫病退散・家内安全・福徳招来祈願

平安京の羅城門跡から南へのびる鳥羽作道(鳥羽街道)は、平安建都のために造成された道としても知られる大切な街道です。

旧街道の入り口それぞれに置かれた六地蔵を巡り、疫病退散・家内安全・福徳招来の祈願をするのが「京の六地蔵巡り」です。

この鳥羽街道沿いには、男と女の悲話を伝える2つの恋寺があります。

一つは上鳥羽にある「浄禅寺」で、もう一つは少し南へ下った下鳥羽にある「恋塚寺」。

平安時代末、北面の武士の遠藤盛遠(もりとお)は淀川の橋供養の際、美しい女を見初める。女の乗った輿の後をつけた盛遠は、その女が自分の叔母の娘・袈裟(けさ)だと知る。幼なじみだった少女が美しく成長し、従兄弟である源渡(みなもとのわたる)の妻になっていたことに驚き、同時に恋い心を募らせていく。盛遠は人妻と知って諦めるどころか、叔母を脅して袈裟との逢瀬を迫る。母から事の顛末を聞いた袈裟は一夜、盛遠と過ごし、「自分の夫を殺してくれたら一緒になれます。夫には髪を洗わせ、酔わせて眠らせるので、髪の濡れている方を斬ってください」とそそのかす。約束の夜、盛遠が袈裟の家に忍び、漆黒の闇に包まれた部屋に眠る男の濡れ髪を掴み、一太刀で斬って素知らぬ顔で家に戻る。ところが翌日、源渡ではなく袈裟が殺されたと聞き、仰天して昨夜の首を確認すると、自分が斬ったのは愛しい女の首だった。盛遠は袈裟の夫に、下手人は自分だと名乗り斬ってくれと頼むが、「そんなことをしても袈裟は帰ってこない」と言われ、俗世を捨てて出家の道を選ぶ。この盛遠こそ、荒法師とか怪僧と呼ばれた文覚上人。文覚は鎌倉幕府初代将軍・源頼朝に、父義朝の髑髏を見せて平家討伐を促したと伝わり、頼朝の信頼は厚かったという。

上鳥羽にある浄土宗西山禅林寺派「浄禅寺」は総本山・永観堂の末寺です。

1182年に、文覚上人が袈裟の菩提を弔うために建立したお寺さんです。

観音堂には9~10世紀とされる十一面観世音菩薩(京都市指定文化財)が祀られています。

その横には、役行者さんの像がいらっしゃいました。

ご本尊は阿弥陀如来立像。とっても美しい阿弥陀さまです♪

また袈裟、盛遠、源渡の木像が安置されているそうですよ。

源頼朝亡き後も、文覚上人は怪僧といわれるほど野心家な性格がわざわいして、後鳥羽上皇(天皇)への謀反の罪で流刑、その途中で命を落としてしまいます。

文覚上人の遺骨は、上覚によって持ち帰られ遺言により「神護寺(高雄山頂)」に祀られています。

境内には供養塔も建っています。

家内安全、安産祈願の信仰がある「浄禅寺」さんは地元でも愛される寺です。

従兄弟で同僚だった源渡の妻、袈裟御前に恋し自らの命と引き換えに貞節を貫き通した袈裟御前を自らの手であやめてしまった「文覚上人」。

高雄の聖とも呼ばれる「文覚上人」ゆかりの「浄禅寺」さんで熱い思いに浸りたくおもいます。

浄禅寺

住所;京都市南区上鳥羽岩ノ本町93

TEL; 075-691-3831

LIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

京都で生まれ育つ。世界各地を周遊、欧米中心に20年ほど滞在し京都に帰還。日本のコアな伝統文化や芸能、神社仏閣や裏歴史、催事らを国内外の旅サイト・雑誌・新聞で執筆。経験に基づく“陰謀説”の電子書籍出版あり。フォトジャーナリスト、写真映像家、音楽・イベントプロデューサー、特殊ツアープロデュース・ガイドから日本庭園庭師までマルチに活躍。日本映画の発祥時より美術に携わってきた”ジャパニーズハリウッド”京都太秦にある老舗『髙津商会』にて映画・美術装飾・アート&エンタメ、海外事業に携わりつつ伝統文化・芸能などに関わる史実や古美術らについて勉強中。『京愛』や『日本愛』を深め世界進出を夢見る毎日。

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