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「京都は私の終の棲家です」京都の文化観光大使に任命された落語家、桂南光が語る京都の魅力

吉村智樹京都ライター/放送作家
桂南光さん(筆者撮影)

■京都の文化観光大使に任命され誰よりも自分が驚いた

「京都をしょっちゅう訪れるようになったのは二十歳からです。当時、京都に住む女子大生に恋をしましてね。デートで頻繁に京都に通うようになりました。そやからあの頃は『京都が好き』というより、『京都の女性が好き』でしたね。それが、私が京都に惹かれた最初なんです」

そう語るのは、大阪在住ながら「京都大好き」で知られる落語家の桂南光(なんこう)さん(71)。10年前からほぼ毎年「上七軒歌舞練場」にて落語会を開き、ライフワークとして冷泉家で和歌を、裏千家で茶を習うなど、「週に3日、京都で過ごす場合もある」というほどのKYOTO LOVER。京都への造詣の深さと愛する気持ちが広く知られ、南光さんは遂に2022年11月25日、京都府の「文化観光大使」に任命されました。

桂南光さん(以下、南光)「KBS京都で2022年4月から、キャスターの竹内弘一さんと『こういっちゃナンですが』という番組を始めました。番組のなかで、冗談で『こうして毎週、京都でおしゃべりするんやから、観光大使にならせてほしいわ』と言うたんです。ところがどういうわけか実現してしまいましてね。一番びっくりしたんは、他でもない私ですねん

もちろん、冗談ではありません。京都府庁での文化観光大使委嘱式にて西脇隆俊知事は「南光さんの活躍を通じ、たくさんの人が京都の文化に興味を持ってくれると思います。これからも京都の魅力を幅広く伝えていってください」と挨拶。文化庁の京都移転を目前とするさなか、京都をさらに盛り上げてくれる一員として南光さんに望みを託したのです。

ラジオ番組で「京都の観光大使になりたい」と語ったところ実現。「誰よりも自分が驚いた」と語る(筆者撮影)
ラジオ番組で「京都の観光大使になりたい」と語ったところ実現。「誰よりも自分が驚いた」と語る(筆者撮影)

■宇宙の真理を語る「けったいな落語家」に心酔した17歳

大阪の南端、千早(ちはや)赤阪村で生まれ育った南光さん。初めて京都にやってきたのは中学校の社会見学でした。

南光「授業の一環で、金閣寺や銀閣寺を鑑賞しました。まだ中学生でしたから、寺社仏閣のなにがええのやら、さっぱりわかりませんでしたね」

再び京都を訪れたのは、17歳、高校3年生のとき。大阪府立今宮工科高等学校に通っていた南光さんは、あるラジオパーソナリティのファンになります。

南光「ラジオ大阪で『オーサカ・オールナイト 叫べ! ヤングら』という帯番組を放送していましてね。これをよく聴いていました。特に桂小米(かつら こよね)という、けったいな中堅の落語家が話す日が好きでした。小米さん(註*この時点ではまだ師弟ではないので、さん付け)は土曜日を担当していましてね。他の曜日のディスクジョッキーは元気いっぱいやのに、小米さんだけは淡々とした語り口で、『宇宙の果てには何があるのでしょう』『人間は死ねばどうなるのでしょう』と哲学的な話ばかりしている。それを聴いて、『この人とは絶対に気が合うわ』と、ピンときたんです」

「小米さんの弟子になりたい」。そう決意した17歳の南光さんは、ラジオのオンエア本番にあたる土曜日、館内にサテライトスタジオがある梅田の百貨店へと出向きます。そうして、百貨店に架かる陸橋の上で小米さんに弟子入りを志願したのです。

南光「急に押し掛けたので、かなり戸惑ってはりましたね。二人で近くの喫茶店へ行きましてね、小米さんは『自分は三十歳になったばかり。弟子をとるのだなんて、おそれ多い』とおっしゃった。さらに『あなたは私の落語のどこが気に入って弟子になりたいと思ったのですか?』と質問してきはったんです。困りましたよ。だってね、小米さんの落語を一度も聴いたことがなかったんですから(苦笑)。正直に言うて、ラジオでファンになったから、小米さんの顔すらはっきりとは知らなんだ。せやけど一度弟子になりたいと願ったからには引き返せない。『あなたと私は、きっと気が合いますから』と食い下がりました

若さゆえの怖いものなし。弟子入りを志願しながらも、師匠となるべき人物の落語を聴いた経験がなかった南光さん。無礼だと怒鳴られて追い返されてもおかしくない状況でした。しかし、小米さんは大胆不敵な17歳の若者に興味を示し、「京都の安井金比羅宮で米朝一門の勉強会(桂米朝落語研究会)があるから観に来なさい。それで私の落語が気に入ったならば感想文を送ってきてください」と柔和な口調でチャンスを与えたのです。ところが……。

南光「落語会へ来なさいと言うてくださるんやけども、私にとって京都は遥か彼方の遠い街です。右も左もわかりません。すると小米さんは親切に安井金比羅宮まで行く地図を描いてくれた。ただ、紙にやなしに、コップの水で指を濡らし、喫茶店のテーブルの上に地図を描きはるんです。水で『ここが河原町で……』と描きながら説明するんやけど、言うてる端から河原町が乾いて消えていきますねん(笑)。『これは、試されてるな……』と思い、必死で指の動きを覚えました」

そうして後日、南光さんは安井金比羅宮で小米さんの生の落語に触れました。つまり南光さんが初めて落語と向き合った場所は、京都なのです。

「師匠の落語を聴いた経験がなかった」。それなのに弟子入りを志願。その後、京都で初めて生の落語に触れた(筆者撮影)
「師匠の落語を聴いた経験がなかった」。それなのに弟子入りを志願。その後、京都で初めて生の落語に触れた(筆者撮影)

■「あなたは弟子ではなく仲間です」

落語の感想文を書いて送り、高校卒業を待って1970年(昭和45年)3月3日、南光さんは晴れて小米師匠の一番弟子となりました。小米師匠はなんと、南光さんのためにわざわざ下宿部屋まで借りてくれたのだそうです。

南光「師匠にはよくしていただきました、ほんまに。ただ、師匠は私になかなか『師匠』とは呼ばせてくれませんでした。『あなたは落語をともに学ぶ仲間であり、兄弟やと思うてます。ですから私のことを師匠ではなく兄さんと呼びなさい』、こうおっしゃるんです。大師匠の米朝師匠から『それでは周りの者にしめしがつかんやないか』と二人して怒られましたね」

米朝師匠から注意されながらも、小米師匠はなかなか縦の関係を築こうとしません。南光さんが十代のときにラジオを聴いてピンときた「この人とは絶対に気が合う」という予感のとおり、師弟というより同志と呼ぶのがふさわしい関係になっていったのだそうです。

南光「師匠は弟子の私に対しても、『今日の自分の落語はどうでしたか?』と敬語で意見を求めてくる。そやから『あそこはもっとこうしたほうがええんとちゃいますか』と意見をした日もあります。師匠もそれを聴いて、実際になおしてはりました

その後、小米師匠は鬱病による休養を経て、1973年(昭和48年)に2代目「桂枝雀」を襲名。大きな身振り手振りで「爆笑王」と呼ばれるスタイルへと変貌を遂げ、上方落語を代表するビッグスターとなりました。

南光「こういっちゃナンやけども、これは言うておきたいですね。『桂枝雀の偉大なる才能をいち早く見出したのは、この私やで』と(笑)

桂枝雀氏から「師匠とは呼ぶな」と言われ、内心は困っていたという(筆者撮影)
桂枝雀氏から「師匠とは呼ぶな」と言われ、内心は困っていたという(筆者撮影)

■昼寝するほどリラックスできる「京都で一番好きな場所」

京都をこよなく愛する南光さん。なかでもとりわけ気に入っている場所があるのだそうです。

南光「五条にある河井寛次郎(かわい かんじろう)記念館です。初めて訪れたのは私がまだ南光になる前の“べかこ”やった頃からですから、もう30年来、通っています。リラックスできて最高ですよ」

「河井寛次郎記念館」とは、大正から昭和にかけて京都を拠点に活躍した陶芸作家、河井寬次郎の住居を保存した美術館。陶芸作品、木彫作品、大きな窯などが展示されています。

南光「もともと河井寛次郎さんが焼いた壺や器が好きでね。『なんというおもしろい柄なんやろう』と、よう骨とう品店を巡っていたんです。そんなある日、京都で仕事があったとき、たまたまこの記念館を見つけた。入ってみたら、生前に使っておられた椅子や机がそのまま遺されている。展示しているだけやなしに、実際に座っていい。書斎の本も読んでいい。堅苦しくないんです。落ち着いた雰囲気のなかでのんびり過ごすうちに、だんだん自分が河井寛次郎になった気がしてきてね。しまいに昼寝までしていました

それ以来、京都で仕事があるときは早めに着いて、河井寛次郎記念館で物思いにふけるのが習慣になったのだそうです。現在では名誉利用者として、なんと無期限の入館パスまで授与されているのだとか。

京都でもっとも好きな場所は、くつろげる雰囲気がある河井寛次郎記念館。リラックスできるため昼寝する場合もあるのだそうだ(筆者撮影)
京都でもっとも好きな場所は、くつろげる雰囲気がある河井寛次郎記念館。リラックスできるため昼寝する場合もあるのだそうだ(筆者撮影)

■京都の名水から生まれた豆腐はバツグンにうまい

初めて師匠の落語を聴いた京都。恋をした京都。心のよりどころを見つけた京都。そして文化観光大使に任命された京都。南光さんにとって、そんな京都の魅力はどこにあるのでしょう。

南光「京都の大きな魅力の一つは、やっぱり水のよさです。軟水で、のど越しがまろやかでね。そんないい水でこしらえた京都の豆腐の味は、バツグンにおいしい。よそのんとはぜんぜん違います。豆腐だけやなしに、お酒や野菜もおいしい。それはやっぱり、水がいいからですよ。食べもんだけやなく、京都は茶道や華道が盛んです。それらも水が支えている文化ですわ。京都は四方が山に囲まれ、雨水が土に沁みこみ、水瓶のように地下にたまる。『京都の地底には琵琶湖に匹敵する水瓶がある』と言われていますが、いい水が京都を支えているんでしょうね」

「京都の文化は水が支えている」。確かに染織、陶芸、京料理、和菓子、どれをとっても豊かな水なしでは成り立ちません。

南光「もう一つ、京都の魅力は時間の流れです。不思議なもんで、電車で大阪から京都へ向かうと、駅名を見なくても『あ、いま京都に入った』と感覚でわかります。時間の進み方がゆっくりになる。世界が変わるのを感じるんです。喫茶店でコーヒーを飲んでいてもね、時間がゆったり流れていて、ほっとします。そういうとき、『ああ、京都ってええな』と思いますね」

京都の水のよさに惚れ込む。「京都の名水でこしらえた豆腐はバツグンにうまい」と語る(筆者撮影)
京都の水のよさに惚れ込む。「京都の名水でこしらえた豆腐はバツグンにうまい」と語る(筆者撮影)

■京都は終の棲家。3年以内に移住したい

京都に対する想いをいっそう強くする南光さん。文化観光大使任命を機に、なんと、具体的に「京都への移住を考えている」というからマブでマジのガチです。

南光「文化観光大使の期限は3年間。そのあいだに大阪から京都に転居しようと計画しています。京都を“終の棲家”に選び、永住しようと本気で考えているんです

「京都は終の棲家」と心に決め、物件を探しているという南光さん。京都へ移住するとなると、仕事の方向性や暮らしぶりが変わったり、幅が広がったりするでしょう。南光さんのライフスタイルがこれからどのように転換してゆくのか、楽しみです。

南光「ただ、妻からは、『京都はいま住んでいる大阪の四條畷から30分で行ける距離や。それやのに、なんでわざわざ引っ越さなあかんの』といやがられていますけどね(笑)」

(筆者撮影)
(筆者撮影)

桂南光(かつら なんこう)

歯に衣着せぬ軽快な本音トークと独特な塩辛声でお茶の間を沸かせ続ける人気落語家。1951年生まれ。2代目桂枝雀(入門当時:桂小米)の一番弟子。入門は1970年3月3日。高座名は大師匠である3代目桂米朝の提案で米歌子(べかこ)となり、後に「桂べかこ」に改名。入門翌月の4月6日、京都の安井金刀比羅宮での米朝一門勉強会にて『始末の極意』を演じたのが公式の初舞台となる。1993年11月に3代目桂南光を襲名。

京都ライター/放送作家

よしむら・ともき 京都在住。フリーライター&放送作家。近畿一円の取材に奔走する。著書に『VOWやねん』(宝島社)『ビックリ仰天! 食べ歩きの旅 西日本編』(鹿砦社)『吉村智樹の街がいさがし』(オークラ出版)『ジワジワ来る関西』(扶桑社)などがある。朝日放送のテレビ番組『LIFE 夢のカタチ』を構成。

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