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わたしをつくる「動作」をめぐって―― ニューロ・ダイバースな英国人アーティストが身体と向き合う理由

吉田直人Freelance Writer
Photo: Naoto Yoshida

10月15・16日、スコットランドのグラスゴー中心部にあるCentre for Contemporary Arts(CCA)を会場に、「NEUROSTAGES」というアートイベントが開催された。リモートも含めて、参加したアーティストの多くは発達障害や精神障害の当事者であり、当事者としての背景が表現のきっかけになっていたり、作風に影響を及ぼしたりしていた。

NEUROSTAGESは、小規模ながら各々がひとりのアーティストとして作品を発表している点では、他のアートイベントと何ら違いはない。しかし、彼ら、彼女らはそのバックグラウンドゆえ、日々の生活の中で生きづらさを感じてきた。その経験から生まれるアウトプットは、社会に対して重要な問いを投げかけていた。

12月初旬、NEUROSTAGESに参加したひとり、スザンナ・ダイ(Susanna Dye)さんにロンドンで話を聞いた。彼女は「ディスプラクシア(協調運動障害)」と「ディスレクシア(識字障害)」、「ADD(注意欠陥障害)」の当事者だ。

日常に溶け込んだ小さなダンス

淡いピンク色の背景に、ノイズのような音がかすかに流れる映像の中で、ひとりの女性が座ったまま前後に揺れたり、指を舐めたり、自分の髪をつまんで眺めたりしている。あるいは、表情や姿勢を少しずつ変えた同じ女性の画像が、連続写真のように並べられている。

スザンナさんの作品「Stimming R&D」の一部だ。モデルは彼女自身である。この作品は「アーツカウンシル・イングランド」や、「ウェルカム・コレクション」、英国の主要なコンテンポラリーダンス・カンパニーのひとつ「ザ・プレイス」などからサポートを受けた。

「Stimming(スティミング)」は「自己刺激行動」とか「自己制御行動」と訳される。たとえば発達障害や自閉症の当事者が時折見せる反復的な行動を指す。

スザンナさんもスティミングを行うことがある。彼女が「ザ・プレイス」のウェブサイトに執筆した記事によれば、スティミングは「地に足をつけるために必要なこと」であり、逆に「メディテーション(瞑想)のような静止する行為は、身体や空間がねじれるような感覚に陥り、パニックになることがある」という。

だが数年前までは、外見的な理由から、家族以外の前ではスティミングを避けてきた。しかし、自分を保つ上で必要な動作であるから、友達といるときは席を外して行っていたという。

「発達障害や自閉症の人がスティミングをするのは理由があります。周囲からの刺激や環境の変化に対処し、感情をコントロールするためです。その動作が時に周囲から目立つために、当事者に特有の行動と思われがちですが、スティミングは、誰しもが行う動作ともいえるのです」(スザンナさん)

気持ちを落ち着かせたり、考え事をしたりする際、何らかの反復動作をする人は少なくないだろう。爪を噛んだり、髪の毛を触ったり、手の指を絡ませたりといった具合だ。言い換えれば、スティミングは人間にとって普遍的な行動ともいえる。

自らも発達障害の当事者であるスザンナさんは、作品を通して人々にスティミングへの関心を持ってほしいと考えた。それが入り口となり、“見えにくい障害”ともいわれる発達障害への理解を促すことができるかもしれないからだ。

スザンナさんは、アーティストとしてだけでなく、ムーブメントディレクターとしての肩書も持ち、英国の芸術大学やダンススクールでレクチャーを受け持つ。表現の手段でもある自らの身体について、より深く理解したいという好奇心も制作の動機になった。タイトルに「R&D(=研究開発)」という言葉があるのもそのためだ。

「身体と動作にはどのような関係性があるのか、わたしの身体はどう動き、また、どのような動作に心地よさを感じるのか。そう自問自答していくと、スティミングについて考えてみることで、ひとつの答えが見つかるかもしれないと思いました。そこで、スティミングを日常に溶け込んだ小さなダンスと捉えてみたらどうだろう、と考えたのです」

Photo: Naoto Yoshida
Photo: Naoto Yoshida

25歳、発達障害の診断

子供の頃から身体をつかって表現するのが好きだったスザンナさんは、10代になると自然な流れで地元のスクールでダンスを習い始めた。ただほどなく、クラスメイトと同じように授業をこなすことができない自分に気づいた。友人たちは先生に続いて軽やかにステップを踏んでいるのに、自分は今何をしているのか、次に何をするべきかを理解し、動作に繋げるのに苦労した。

「なんとかみんなに付いていこうと、常に周りをキョロキョロ見回していました。わたしが困難に感じることを軽々とこなすので、クラスメイトたちが超能力を持っているように見えたものです」

そんな経験もあり、大学でもダンスを専攻することは考えられず、代わりに劇文学を学んだ。卒業後は劇場の舞台美術として働き始めたが、身体を使った表現に携わってみたいという意志は、まだ心の中で燻っていた。そんな時、劇場のディレクターから「ムーブメントディレクターが向いているのでは」と提案された。主に、舞台に立つ役者の動きを構成・指導する役割だ。

初めて耳にする職業に少し戸惑いながらも、専門知識を身につけるために大学院に進んだ。だが、かつてのダンス教室と同じく、授業についていくことができない。トレーニングの一環で通ったいくつかのダンススクールでは、初級者向けのクラスさえもうまくこなせなかった。「何かがおかしい」と、思い切って受診してみた。すると、「ディスプラクシア(協調運動障害)」という診断がおりた。約4年前、25歳のときだった。

ディスプラクシアは、動作のなめらかさに支障をきたす発達障害のひとつだ。筋肉の連動、記憶の整理や連結がうまく噛み合わないことが理由とされている。

「診断の内容をしばらく受け入れることができませんでした。ムーブメントディレクターとして仕事をする上で、大切な要素が欠落していると感じたからです。ただ、幸いまだキャリアを始めるかどうかという時期でした。人一倍、苦労することを承知の上で、このままの道を進むか、それとも別のアプローチを試みるか、落ち着いて考えてみたんです」

ふと思い当たることがあった。ダンススクールを転々としていた頃、ロンドン南部のペッカムにある「Candoco Dance Company(以下:キャンドゥーコ)」というスクールは、どこよりも心地よく感じられたのだ。「キャンドゥーコ」は、障害の有無にかかわらずダンサーを育成するカンパニーとして知られている。

「当時はまだ発達障害の診断を受けていませんでしたが、『キャンドゥーコ』では自分自身を欺いたり、無理に他人と競ったりする必要がないと感じたんです。診断の後にその体験を振り返ってみて、ひょっとしたら、わたしが探しているものがそこにあるかもしれないと思いました」

今でこそ「発達障害の当事者であることと自分の表現には密接な関係がある」と語るスザンナさんだが、診断結果を受容するまでには時間が必要だった。その点で、素直な自分を肯定できる「キャンドゥーコ」との出会いは、彼女に自信と柔軟性を与えるきっかけになった。

スザンナさんは今、自らの原点でもある同カンパニーで講師としても働いている。

“見えない障害”を撮る

「Stimming R&D」の制作にあたって重要な役割を担った人がいる。ロンドンを拠点に、若手のフォトグラファーとして活躍するマノン・ウィメット(Manon Ouimet)さんだ。

マノンさんが撮影した「Portrait of Dan」は、今年のブリティッシュ・フォトグラフィー・アワードの人物部門大賞に選ばれた。同写真を含むシリーズ「ALTERED」では、人生のある時点で、事故や暴力によって体の一部を失ったり、傷を受けたりした人々の姿をモノクロ写真で捉えている。

マノンさんは、スザンナさんからの依頼で作品の写真・映像を撮影した。本記事の公開に合わせてはマノンさんへのインタビューは叶わなかったため、今回はスザンナさんの視点で制作のプロセスを綴りたい。

「『ALTERED』を見た時に、発達障害のような“見えにくい障害”を写真で伝えることができるのか興味がわいたんです。それは同時に、わたし自身への挑戦でもありました。スティミングの動作ひとつひとつは、一般的な舞台上のふるまいに比べるとささやかで単調なものです。それでも、観る人がその行為にフォーカスし、かつ好奇心をもって鑑賞できるようにしたいと思いました」(スザンナさん)

撮影はスザンナさん自身にとっても「面白い体験だった」という。

彼女によれば、スティミングはフロー状態のような直感的な行為だ。だが、カメラを向けられてすぐは、「つい自分の動作に意識的になってしまった」と話す。とはいえ、カメラの存在は作品の性質上不可欠なもの。そこで、マノンさんと意識を共有するようにイメージをすると、次第にマノンさんやカメラの存在自体を忘れられるようになったという。

Photo: Naoto Yoshida
Photo: Naoto Yoshida

“隠してきた行為”が“社会との接点”に

スザンナさんにとって「Stimming R&D」は、アーティストとして発表した初めての作品となった。発達障害の診断を受容し、「キャンドゥーコ」で自分を肯定できるようになった後、約2年をかけて、アーツカウンシル・イングランドへ向けたプロポーザルを作成した。その間、いくつかの変化も感じたという。

「以前に比べると感情と身体の調律がうまくなり、安心感を持てるようになりました。それから驚いたのは、スティミングを通して社会とつながれたこと。作品をきっかけに、これまで関わりのなかった人とも接点を持つことができたんです」

前述の「ザ・プレイス」の記事で、スザンナさんはこう書いている。

“子供の頃、延々と髪を手ぐしでとかしたり、髪の束を割いたりしていた。それが非社交的な行為だとわかっていても、他者との間に髪でカーテンをつくっていた。そんな自分が嫌いだったけれど、その行為を止めることはできなかった”

周りの目を気にして、家族以外の前では隠してきたスティミングが、今ではひとつの表現手段となり、他者とつながる入り口になった。

単純ではない、人間の身体

スザンナさんが今回参加した「NEUROSTAGES」の「NEURO」は、ニューロダイバーシティ(Neurodiversity)という言葉に由来する。発達障害や精神障害について理解するための概念のひとつである。人間の脳や発達のプロセスは多様で、グラデーションのあるものだ、というのがその前提となっている。日本でも近年少しずつ聞かれるようになってきた言葉だ。

加えて、障害に関する視点に「社会モデル」がある。個人を取り巻く社会や環境のあり方が、障害を作り出しているとする考え方だ。社会モデルでは、たとえば、世界が視覚優位、音声優位になっていることで、目が見えない人や耳が聴こえない人たちの生きづらさに繋がっているとする。

大人になってから発達障害の診断を受けたスザンナさんは、突如として、他者や社会が“発達障害者”である自分をどう見ているかという視線を意識するようになったという。一方で自分は「定型発達」(=発達障害ではない)だと信じ、そう振る舞っている人も多くいることにも気づかされた。何より、彼女自身がそうだったからだ。

その体験から「ニューロダイバーシティについて考えることは、障害の社会モデルを理解する上で大きな可能性を持っている」とスザンナさんは言う。

「複雑で多面的な発達障害という状態は、周囲の環境に大きく左右されるものです。たとえば私は、ディスプラクシアのほかに、ディスレクシア(識字障害)とADD(注意欠陥障害)もあって、ストレスフルな環境下ではそれらの影響がより強く出ます。逆に、周囲の人からの十分な支えがあると感じるとき—それは精神面でのサポートだったりしますが—には、まったく影響が出ない時もあります」

環境に対して身体の中で起きている変化や反応は“視覚的には”認識しづらいものだ。だが、外に表れる反応のひとつが、身体と環境のあわいで生じるスティミングという行為だった。スザンナさんはその点に着目し、作品の本質に据えることにしたのだった。

「わたしにとっては、“障害があるかないか”という境界自体が、ますますあいまいなものになっています。というのも、障害のない身体、ある身体、あるいは障害のない脳、発達障害の脳というふうに、二項対立で考えられるほど、人間は単純ではないと気づいたから。スティミングについても、要は人によって方法や程度に幅があるというだけで、誰もが普遍的に行う、“人間の表現”ともいうべきものだと思っています」

スザンナさんは今、新しいプロジェクトについて考えている。タイトルに「R&D」とあるだけに、スティミングについて考えることは、彼女のライフワークのひとつとして続いていくのかもしれない。

Photo: Naoto Yoshida
Photo: Naoto Yoshida

Freelance Writer

1989年、千葉県生まれ。中央大学卒業後、広告会社勤務を経て、2017年よりフリーランス・ライターとして活動中。「Yahoo!ニュース特集」「スポーツナビ」「Web Sportiva(集英社)」「Number」「NewsPicks」「Wired」などで執筆。義肢装具士と義足スプリンターとの出会いをきっかけに、国内外で障がい者スポーツの取材を継続的に実施。共著に『WHO I AMパラリンピアンたちの肖像』(集英社)、『パラアスリートたちの挑戦』(童心社)がある。2020年10月より英国在住。2022年9月より、University for the Creative Arts 写真修士課程在籍。

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