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センバツ100年物語①えっ! 第1回は甲子園じゃないの?

楊順行スポーツライター
(山本球場 名古屋で検索すれば画像が見つかります)(写真:イメージマート)

 26日、第96回選抜高校野球大会(3月18日〜阪神甲子園球場)の選考会が開催される。いわゆる「センバツ」。源流は、1924年に開催された全国選抜中等学校野球大会で、つまり今年で100周年となる。

 大正初期から隆盛する中学野球人気を受け、もう一つ全国大会を開催しようという動きから創設につながったのが、全国選抜中等学校野球大会だ。夏の中等学校優勝野球大会が朝日新聞社の主催で行われるのに対し、毎日新聞社が主催し、地域にこだわらず全国から選んだ強豪8校で開催された。

 当時は、夏の大会の優勝が近畿に偏るなど、地区によるレベルの差が大きかった。実力校の多い地区では、別の地区なら全国大会出場相当の力があっても、地方大会で敗退してしまうこともあるわけだ。

 そこで地域の枠にあまりとらわれず、真の実力があると見られるチームを選ぼうじゃないか、という形式をとった。当時は、現行のように系統立った秋季大会は行われていない。そこで、各チームの戦力の把握に関わったのが、大阪毎日新聞を母体とした大毎野球団という社会人チームだ。もともと全国各地を転戦し、地元チームのコーチも行うなどしてきており、出場校の選抜にあたっては、そのときに目と耳で集めた情報が役立ったと思われる。

 第1回大会に選抜されたのは、関東/早稲田実(東京)、横浜商(神奈川) 東海/愛知一中(現旭丘) 関西/立命館中(京都)、市岡中(大阪)、和歌山中(現桐蔭) 四国/高松商(香川)、松山商(愛媛)の8校。全国といえども、いまでいう4地区のみからで、そのことについてもいつか書こう。優勝は高松商。北四国予選で松山商などに阻まれ、夏の大会は6年間出場を逃していたが、四国から2校出場する選抜方式のおかげで見事に実力を示し、また大会の妙味も証明したわけだ。

甲子園球場竣工の1924年だが……

 この24年というのは、阪神甲子園球場(当時は甲子園大運動場)が完成する年だが、竣工式は8月1日。できあがっていなければむろん使えるわけもないのだが、では、センバツの第1回はどこで……? 答えは、名古屋市郊外の山本球場。名古屋で開催したのは、中京圏の野球ファンの要望に応るのがまず第一。ほかには朝日新聞が主催する近畿と重ならないための判断、あるいは一説には、毎日新聞が新たに創設した東海版の販売政策もあったらしい。

 また、夏の大会では関西地方の学校の優勝確率が高く(前年までの優勝校8校のうち6校、準優勝も5校)、それが関西の風土に関係あるのか、あるいは移動による負担が少ないことも影響しているのかを検証する意味合いがあったという。

 この山本球場ではプロ野球創設間もない36年7月、「連盟結成記念全日本野球選手権試合」が行われ、巨人と大阪タイガースが対戦している。両者の公式戦での対戦は、これが初めて。つまり、伝統の一戦がスタートしている歴史的な地だ。だが、

「そんな球場、聞いたことないぞ」

 とおっしゃる方もおいででしょう。なにしろ、90年をもって閉鎖しているのだ。

 山本球場があったのは、名古屋市昭和区。22年、スポーツ用品問屋や不動産業を展開していた山本権十郎という富豪が、私費を投じて建設したものだ。総面積は約2800坪、当時の収容人員は約2000人といわれ、名古屋市内では初めての本格的な野球場だった。

 戦時中は悲しくも芋畑などに転用される歴史を経て、戦後の47年には国鉄が取得。所在地の名から国鉄八事球場と呼ばれるようになる。やがて国鉄が分割民営化した後も、JR東海野球部の練習グラウンドとして使用した。

 だがなにしろ、名古屋から最寄り駅まで20分強という一等地である。90年には、国鉄清算事業団が住宅都市整備公団と名古屋市住宅供給公社への土地売却が決定して閉鎖。JR東海野球部も移転し、跡地には集合住宅が作られた。

 山本球場でセンバツが行われたのは第1回ぽっきりで、翌年からは甲子園に場所を移しているが、大会がここから始まったことは間違いない。加えて、伝統の一戦もここからスタートしているのだから、日本の野球史にとってはメモリアルな地だ。そこで92年5月には「八事球場メモリアルパーク」が設けられ、日本高等学校野球連盟と毎日新聞社などの協力により、かつての本塁付近、集合住宅の敷地の一角には「センバツ発祥の地」と示すモニュメントが設置された。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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