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ENEOS・度会隆輝が魅せた! 攻守にドラフト1位の輝き

楊順行スポーツライター
社会人野球・日本選手権が開かれている京セラドーム(写真:イメージマート)

「かけがえのない、一番ステップアップできた時間です」

 ENEOSの度会隆輝は、横浜高から入社した社会人での3年間をそう振り返った。

 3球団が1位指名で競合し、DeNAが交渉権を獲得したドラフト会議を経て、迎えた社会人最後の公式戦・日本選手権。開幕日の8日、ENEOSは初戦でTDKと対戦した。度会の第1打席。相手先発・佐藤亜蓮の5球目、146キロの低めストレートに反応すると、打球は弾丸ライナーで右中間に飛び込んだ、先制ソロ。守っても、度会は魅せる。8対0から1点を返され、さらに2点目のタイムリーとなった伊藤優平の打球を処理すると、二塁へダイレクト返球して伊藤を封殺。相手に向きかけた流れを引き戻す。

 ENEOSは結局、9対2で2回戦に進出し、度会は攻守ともに3年間の「ステップアップ」を見せつけた。

 もともと、打席での対応力にはずば抜けたものがあった。バットとボールがくっついているというのは、ドラフト前のあるスカウトの表現だ。かと思えば、2022年には社会人の本塁打王に輝いたように、遠くに飛ばす力もある。21年2月、ENEOSの寮に入った日、グラウンドに飛び出すと、ロングティーを打った打球が、ことごとくセンターのフェンスを越えていったそうだ。「お手並み拝見」とばかりに見ていた社会人の猛者たちが目を丸くするような軌道だったという。その時点ではまだ表情があどけなく、きゃしゃな印象だったからなおさらだ。

 で、屈指の強豪・ENEOSでは1年目からレギュラー。都市対抗では、「金属より、木のバットが自分に合っているみたい」と、社会人屈指といわれるJR東海・戸田公星のフォークを「反応で」ホームランした。小学生時代にはリトルリーグの硬式球でプレーしながら、並行したヤクルトジュニアでは、軟式球を苦もなく打ち返している。硬式と同じ感覚で軟式ボールを打つと、ふつうはポップフライになってしまうのに、鋭敏な反射で対応していたのだろう。

活躍してこそホンモノの2年目に……

 社会人2年目には、ド派手な活躍を見せた。チームが9年ぶりに優勝した都市対抗では打率・429、4本塁打、11打点。東京ガスとの決勝で、増田武尚(現広島)から放ったスリーランは、初球ストレートが外れたあとの2球目。変化球を待ちながら、149キロの速球に反応したというからびっくりだ。

「初球は151キロ。打線がけっこう低めの落ち球にやられていたので、次は低めの落ち球を意識していたんです。そこでまっすぐに対応できたのは、ベストパフォーマンスに近い。1年目だったら打てていなかったでしょうし、すごく成長を実感できた一打です」

 そういえば度会から、こんな話を聞いたことがある。

「たまたま、福留(孝介)さんの言葉を目にしたんです。"社会人では、2年目に活躍できる選手こそ本物"」。

 PL学園高から社会人・日本生命を経て中日入りし、メジャーでも活躍した福留氏である。

「その通りだと思いました。高校から社会人入りすると、1年目はルーキーで脚光を浴び、3年目はドラフトイヤーで注目される。節目じゃない2年目は、よっぽど活躍しない限り目立たない……」

 その、2年目の都市対抗。福留氏が初年度に受賞した若獅子賞(新人賞)獲得こそ1年遅れだったが、度会は氏が手にしていない橋戸賞(MVPにあたる)と打撃賞に輝き、さらに社会人年間表彰でもベストナイン、最多本塁打賞、最多打点賞の"三冠"。それこそ、「よっぽどの活躍」だった。

 それでもENEOS・大久保秀昭監督が今季、「全大会で4割を打ったら本物だと認める」と高いハードルを設定したのは、それだけのポテンシャルがあるからだ。度会本人は、シーズン前にこう語っている。

「目標は都市対抗連覇。個人的には、22年にいただいたベストナイン、最多本塁打、最多打点に首位打者を加えた四冠が目標」

 いまのところ、「全大会4割」とまではいかないが、3割超えの打率は昨年を大幅に上回るし、ホームランは昨年には及ばないものの主要大会ではこの日で3本目。

「四国大会では、明治安田生命・三宮(舜)さんのまっすぐを右翼席に運び、左投手からの一発に成長を実感しました。九州大会の東海理化戦では、広い球場の右中間にホームラン。ミート力の向上と、パワーもついてきた感覚があります」

 さすがに目標の四冠は厳しいが、連続でのベストナインは十分にありうる。

 チームは順当に初戦を突破。同じゾーンには、都市対抗を制覇したトヨタ自動車がいる。そのときは2回戦で敗れており、度会自身も無安打だった。両者とも勝ち進めば、対戦するのは準々決勝。社会人野球の有終を飾るためにも、今度は負けるわけにはいかない。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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