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このドラフト候補を知っていますか? 1 益田武尚(東京ガス)

楊順行スポーツライター
黒獅子旗と呼ばれる都市対抗野球の初代優勝旗(撮影/筆者)

 うかつだった。こんなピッチャー、見たことないぞ……。

 昨年12月1日、都市対抗でのこと。ミキハウスとの初戦に先発した東京ガスのルーキー・益田武尚が、いきなり151キロをたたき出したのだ。この試合は5回を2失点にまとめ、勝利投手に。東京ガスはここから勢いに乗り、初優勝を果たすことになる。

 ただ益田自身は、優勝の歓喜を第三者的に見つめていた。ENEOSとの準々決勝で再び先発に起用されたが、試合前のブルペンで左わき腹に肉離れを起こし、わずか1球で降板。離脱してしまったのだ。益田はいう。

「肉離れというのは初めての経験。最初は"つったのかな?"と思ったんですが、肉が外れた感じがし、だんだん呼吸も苦しくなって。あの試合、ENEOSの先頭打者は自分と同じ飯塚出身の金子(聖史・東芝から補強)さん。楽しみにしていたんですが、とてもそれどころじゃありません。結果はレフト前ヒットにしても、初球を打ってくれてそのまま降板。チームには迷惑をかけました」

 今年7月の都市対抗でも、益田は初戦のマウンドに立った。しかも推薦出場の前年優勝チームゆえ、開幕戦。肉離れからの回復に時間がかかり、6月下旬の北海道大会で先発復帰してまだ間もなく、重圧は何重にもある。

 益田はそこで、JR東海を相手に5安打完封という会心の完封劇だ。最速は、故障前より速い153キロを計測した。

「チームは連覇がかかっていましたし、都市対抗では前年優勝チームが3年続けて初戦敗退。そういう大役ですから、緊張はしましたね。またチームは、北海道大会でJR東海に負けているので、怖い印象はありました。ただ、先頭打者を抑えたのでいくぶん、気が楽になりました。それでも、つねに100%で投げていた昨年までの自分なら、5回で一杯一杯だったでしょうね」

 東京ガスは、この益田の完封を皮切りに決勝まで進み、連覇寸前の準優勝を果たすことになる。

大学までは無名、一般就職も考えた

 ただ益田は、肉離れからの復帰には多少、苦しんだ。しばらくは、寝返りも打てないような痛みに苦しみ、眠りも浅い。「トイレでも力めないんです(笑)」。安静にし、入念なマッサージを受けながら、リハビリを重ねた。2月後半にようやくキャッチボールを始めたと思ったら、無意識にわき腹をかばうためか、今度はヒジに痛みがきた。

 それ以後は、毎日の治療に加え、ケガを防ぐためのトレーニング。社会人入り後に明らかに「出力は上がっていた」が、その負荷が肉離れにつながったためだ。体と折り合いがつくよう、フォームも微調整した。全力で投げられるようになったのは4月。公式戦初登板は4月下旬の長野大会、救援の短いイニングからで、そこから徐々にピッチを上げ、都市対抗での完封となったわけだ。益田はいう。

「1年目は、ただ速さだけを求めていました。いまは点差やカウント、相手打者のタイミングの合い方、表情などを細かく観察し、大事なところ、決めに行くところだけフル出力する投球ができるようになっています」

 うかつにもその名を知らなかったのは、大学時代までの益田が全国的にはほとんど無名だったからだ。「大学で野球を続けるのも、学年で1、2人」(益田)という福岡・嘉穂高から、北九州市立大へ。4勝した3年秋のリーグ戦でチームは優勝し、MVPを獲得したが、神宮大会出場権をかけた九州選手権で敗れたから、全国大会の経験はない。

 だが、その選手権でたたき出した152キロが一部スカウトの目に止まった。プロ志望届は出したものの、本人は半信半疑。「注目度の低い公立大だし、指名はないだろうな」と、4年時には一般就職を考えていたという。それが、ひょんな縁で東京ガスに入社するのだから、球運はわからない。

 自分たちで自主的に練習していた大学時代に比べ、アマチュア最高峰のレベルに、最初は戸惑った。

「大学時代も自分ではとことん練習したつもりですが、意識と、ワンプレーに求められる精度の高さは、社会人に比べればまるで同好会レベルでした」

 だが、持ち前のスピンの効いたストレートで春先から救援で結果を残すと、12月の都市対抗では初戦の先発を任されるのだから、

「たった1年で、自分の置かれている状況ががらりと変わりました」

 本格派としては制球もまずまず。いまは、「速めの変化球が多いので、もっと奥行きを持たせるために、沈むチェンジアップに挑戦しているところです」。それにしても、2年前には一般就職を考えた男が、いまやドラフト上位候補なのだから、と、本人が一番びっくりしているのではないか。

■ますだ・たけひさ/1998年10月6日生まれ/福岡県出身/175cm86kg/右投右打/嘉穂高→北九州市立大

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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