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渡辺元智監督勇退。そこで「厳選・横浜名勝負」 最終話

楊順行スポーツライター

2004年8月14日 第86回全国高校野球選手権大会 2回戦

京都外大西 000 000 000 00=0

横   浜 000 000 000 01=1

本格派・涌井秀章と右横手の軟投派・大谷侑の投手戦。6回は両チームともにスクイズ失敗などホームが遠いが、押し気味なのは京都だ。9回も二死満塁の好機。だが涌井が踏ん張り、横浜の延長11回。二死二塁から三番・石川雄洋が敬遠で歩くと、ここまで無安打の四番・橋本達也が意地の中越え二塁打。サヨナラで決めた。

この年の5月、渡辺元智監督をアクシデントが襲った。脳梗塞の発症だ。涌井を軸に春の県大会、関東大会を優勝し、さあこれから……という矢先のことだった。当然渡辺は、チームを離れて入院。7月14日の神奈川大会初戦は、病院から駆けつけるというあわただしさだ。

「診断は、半年なり1年なりの入院だったんですよ、それを40日くらいで出て行くなんて、脳神経科ではほとんど考えられないことだそうです。それにしても体調が体調ですから、当然、なんとかベンチに入っても制約は多かったですよ。大声を出すな、炎天下に出るな……でもそれはそれでまた、条件を限られると、野球が冷静に、よく見えるんですね。ああ、こんなふうにやればいいのか……と、ですから野球がわかってきたのはこのころかもしれません(笑)」

なぜか伝統的に、軟投派に弱い

「小倉(清一郎)部長と選手たちに連れてきてもらったような甲子園で、印象的なのは京都外大西との試合です。大谷君という右軟投派の術中にはまりました。伝統的に、なぜかウチは軟投派が苦手なんですよ。アンダースローとかね。優勝する06年のセンバツでも、履正社の魚谷(貴大)君に苦しんだじゃないですか(○1対0)。この試合は結果的に涌井の好投で勝てましたが、監督としての三原(新二郎)さんの手腕にも感服しました。

この年は次に明徳に勝って(○7対5)、結局甲子園では明徳に3連勝なんです。招待試合でも練習試合でも勝っているから、馬淵さんはやっぱり98年のあれがトラウマなのかな(笑)。ただそのあと、準々決勝で駒大苫小牧に負けるんですが(●1対6)、やはり神奈川を勝ち抜いて甲子園でも、というのはとてつもなくむずかしいですね。この年もベストの状態だったら、勝てたと思います。それでも、私の脳梗塞という状態から全国ベスト8というのは、ひじょうにうれしかったですね」

横浜名勝負、実はもう1編あるのだが、それはこの夏発行の書物に掲載の予定だ。この夏、渡辺監督を甲子園で見られるのか。そして、だとしたらどんな名勝負を演じてくれるのか。楽しみに待ちたい。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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