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完売続出、豪華付録が雑誌を滅ぼす? ―ドラえもん×GUCCIコラボ付録が浮き彫りにしたもの

米澤泉甲南女子大学教授
書店には豪華な付録付きの雑誌が山積みだが・・・。(写真:Shutterstock/アフロ)

雑誌が買えない!

 今月5日のことだった。私はファッション誌研究を専門にしているので、日頃からさまざまな雑誌に目を通すことを日課としている。その日は、『Precious』の発売日だった。いつものように、アマゾンで購入しようとすると、すでに完売になっているではないか。『Precious』は40代キャリア女性向けのファッション誌で、高級ブランドファッションに定評がある。一定の読者には需要があると思うが、完売するようなタイプの雑誌ではない。

 なぜ、いきなり完売なのか。表紙画像を見ると、その理由がすぐにわかった。今月号には、あの人気コラボ「ドラえもん×GUCCI」の特製便箋セットが付いているのだ。

 しまった!出遅れてしまった。あわてて、いくつかの大型書店に駆け込むがすでに完売。結局、アマゾンに頼るしかなく、一週間遅れで現物を手にすることになった。雑誌一冊買うのにこんなに苦労するとは思いもよらなかった。

 こんなことになっていたのは『Precious』だけではない。ドラえもんの小学館ということで、小学館発行の2021年3月号のファッション誌には、軒並みドラえもん×GUCCIコラボの付録が付いていた。『CanCam』はノート、『Oggi』はメモパッド。やはりそれぞれ大人気で完売続き、現在でもネットでは2倍近くの値段で売られている。

 大人の女性の雑誌『Precious』にまで、騒動が及ぶとは想定外だったが、付録の前にはどんな雑誌もひれ伏すしかない。アマゾンコメント欄には、「かわいい付録が手に入って満足」といった付録の感想が並ぶ。中には最初から転売目的で購入するいわゆる「転売ヤー」もいるだろうが、『Precious』3月号の特集「おしゃれを一歩進める、美しき『掟破り』」をきちんと読んだ読者はどれぐらいいるのだろうか。大多数が「付録」目当てで誌面内容にはほぼ目を通さない結果になっていたとしたら、雑誌を愛する筆者としては悲しい限りである。

どんどん豪華になる雑誌の付録

 3月号の『Precious』定価は1430円だったが、最近の雑誌は、1000円以上も珍しくない。付録が豪華になるのと比例するように、雑誌の価格は高くなっているようだ。セブン-イレブン限定、ファミリーマート限定などコンビニごとに付録が異なるものもあり、付録目当ての「読者」(と言えるのかどうかわからないが)をターゲットにしているものも目立つ。 

 アマゾンでは、予約段階から付録の説明しかされておらず、今回のように人気ブランドとのコラボともなれば、発売日を待たずに完売となる。雑誌本体の中身と関係なく雑誌が完売する状況なのだ。もはや欲しい雑誌を確実に手に入れるには、定期購読するか、ネットで常にパトロールするかしかない。

 現物を手にとってからなどという悠長な時代ではなくなったのだ。それも多くは付録の立派な箱とともにパッケージングされていておいそれと読むことはできなくなっている。 

肝心の雑誌は、何を特集しようが関係ないようだ。

 豪華な付録は2001年の規制緩和とともに始まった。言うまでもなく、ファッションに関しては後発だった宝島社の雑誌が付録カルチャーを牽引してきた。ポーチやエコバッグから始まり、ミラーやスマホケース、財布、ノート、ペン、ソックス、クッション、マニキュア、ヘアブラシ、スマホライト・・・考えつくあらゆる雑貨が付録になった。他社の雑誌も付録競争に次々と参入するようになり、やがてファッション誌に付録が付くことは当たり前になっていった。    

 子どもの頃の『なかよし』や『りぼん』の「ふろく」とは違う。大人の付録は、付録とは思えないクオリティが売りだった。さまざまなブランドやキャラクターとのコラボレーションも魅力的だった。スマホの台頭以降、付録は衰退するファッション誌の救世主としての役割を果たしてきた。付録との相乗効果もあり、宝島社の『Sweet』などは2010年に100万部の発行部数を記録した。

 だが、ここにきてその付録も、完全に付録の域を超えてしまった。ついには、ファッション誌の表紙をモデルではなく付録が飾るという現象までおきてしまったのだ。もう、完全に付録が雑誌の主役と言ってしまっていいだろう。

付録が雑誌文化を駆逐する?

 今回のドラえもんGUCCIは人気キャラクターとハイブランドのコラボレーションなのだから、付録としては最強である。雑誌本体の存在などかすんでしまったのもわからなくはない。確かに、付録以上の価値がある豪華な付録は読者にとって魅力的だ。

 しかし、クオリティの高い「豪華」な付録に頼らざるを得ないことは、それだけ、紙の雑誌の情報に価値がないことを露呈してしまっている。

 紙の雑誌で読める内容(コンテンツ)はすでに、ネット上で知り得ることばかりになってしまっているのかもしれないが、わざわざ雑誌自体が、そのことを付録によって白日の下にさらすことはないだろう。

 また、豪華な付録につられる「一見さん」ばかりを相手して、馴染みの顧客をないがしろにしているようにも感じられる。実際のところ、「付録はいらない」という読者の声もコメント欄には寄せられている。そういった声を受けて、付録ありと付録なしの両方を発売する雑誌も増えてきた。

 豪華な付録が起爆剤となり、一時的には「完売」が続き、売上が回復するかもしれないが、それだけでは結果的にますます雑誌離れがすすむだろう。書店はかさばる箱に入った物品販売の場と化すだろう。

 救世主であった付録が雑誌文化を駆逐しては元も子もない。紙の雑誌の魅力は、「モノ」の魅力ではない。豪華な付録に頼らざるを得ない事情もわかるが、やはりもう一度、「付録」を付録の位置に戻すこと。あるいは、付録のない雑誌を作ること。ハードルは高いだろうが、それこそが紙の雑誌のサスティナビリティではないかと思うのだが。もう遅きに失しているのだろうか。

甲南女子大学教授

1970年京都生まれ、京都在住。同志社大学文学部卒業。大阪大学大学院言語文化研究科博士後期課程単位取得満期退学。甲南女子大学人間科学部文化社会学科教授。専門は女子学(ファッション文化論、化粧文化論など)。扱うテーマは、コスメ、ブランド、雑誌からライフスタイル全般まで幅広い。著書は『おしゃれ嫌いー私たちがユニクロを選ぶ本当の理由』『「くらし」の時代』『「女子」の誕生』『コスメの時代』『私に萌える女たち』『筋肉女子』など多数。

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